告白させて下さい。これがツンデレ嫌いの理由です
私にはKという友人が居た。
Kとは大学時代、ある講義が被った事で知り合った。
学科は異なっていたが、週末にはどちらかの家でビデオゲームを持ち寄る程度には、仲が良かった。
私達は良き友人同士だったと思う。
その日もいつも通り、私達は私の家でゲームに興じていた。
私達が──主に私が──好んで遊んでいたのは、極一般的な2D対戦ゲームであった。
対戦相手のキャラクターに攻撃して、ダメージを蓄積する。蓄積したダメージが増える程、キャラクターの防御力が減少する。防御力の減少した相手を更に攻撃して、場外に追いやった方の勝利だ。
2D対戦ゲームというと、どうしても敷居の高いものを想像するものだが、このゲームはそうではなかった。
エンジョイ勢からプロまで、幅広い層が楽しめる──対戦ゲームだが、いわゆるパーティゲーム的な側面もあった。
故に、彼と遊ぶゲームに迷った時、私は必ずそれを候補に挙げた。
外れは無いだろう。私はいつもそう思っていた。
地元の友人らとも、繰り返しプレイしたゲームだから、問題ない。
無意識のうちに、私はそう思っていた。
──それが間違いであるとも知らずに。
勝った負けたを数百回──否、数千回以上は繰り返してきた私にとって、恐らくそうではないKとは、深い溝があったのに。
***
私がその日、7連勝を叩きだした時だったか。
Kがキレた。
唐突に椅子から立ち上がったと思うと、Kは私の肩を掴み、床に押し倒した。
私はろくな抵抗もできずに、背中を叩きつけられた。頭も打ったようで、後頭部がじんじんと痛んでいた。
どちらの身体がぶつかったのか。机に積まれていたマンガ本が5、6冊、床に落ちていた。
痛みに歯をくいしばりながら、私はKに訴えた。
──何をするんだ、痛いじゃあないか。
私に覆いかぶさる様な体勢のまま、Kは言った。
──おまえは卑怯だ。やるなら正々堂々と戦え!
私は呆気に取られた。間抜けにも、餌やりを待つ金魚のように、ぽかんと口を半開きにしていた。
どの口が言ってるんだ、そう思った。
しかし、私は──殴り合いがしたいなら、ゲームでやろう、と。現実で取っ組み合いをする等、面白くもなんともない、と。
その時の私の口からは、一言も出なかった。
理由は至って単純だった。
Kの言いたい事がすとんと腑に落ちてしまったからだった。
私が使用していたキャラクターは、4種の武器を駆使する女騎士だった。
女騎士が使っていた武器は、銃、槍、両手斧、鞭。
銃で敵を牽制し、近寄って来る敵を、手持ちの武器を始めとした様々な手段で崩していく。
4種の武器を自在に操り、相手との間合いを詰めさせない──雑に言ってしまえば、リーチの鬼だ。
そういった戦法を得意とするキャラクターだ。
そして私は、その戦法が好きだった。そのために、この女騎士を選んでいたと言っても、過言ではない。
……決して、キャラクターの容姿が好みだったなどと──その様な浅慮な理由ではない。黒髪のロングだとか、甲冑に覆われたやや小ぶりな胸だとか、タイツでぴっちり包まれた健康的な太ももだとかが、私の趣味嗜好に突き刺さった訳では──断じてない。
閑話休題、私が女騎士を好んで使っていた様に、勿論Kにも、好んで使っていたキャラクターがいた。
体術を駆使するタイプ。接近戦が得意な坊主だった。
相手の懐に潜り込み、連続攻撃を繰り出して、一瞬で大ダメージを与えるのが特徴だった。
女騎士が中距離戦を得意としているのに対して、坊主は近距離戦に特化していた──肉弾戦のプロフェッショナルといえる。
つまり、キャラクター同士の距離が離れれば、私が有利になり、距離が狭まると、Kが有利になる。そういったバランスで、私達は戦っていた。
だが、勝負として成り立っていたとは言い難かった。
冒頭で述べたように、ゲームは私の7連勝で終わっている。
一方的な試合運び。蹂躙だった。
恐らく、たとえ続けていたところで、私が負ける事態にはならなかっただろう。
──何故か。
答えはやはり単純である。
経験の差だ。
子供の頃よりそのゲームをやり込んでいる者と、そうではない者。
それがどれ程、経験値に差をつけるのか、想像に難くないだろう。
我ながら、人心に欠けた行いだったと思う。
キャラクター同士の間合いの取り合いとも言える戦闘において、自分より経験の少ない相手を負かすのは、そう難しい話ではなかった。
***
──お前は卑怯だ。やるなら正々堂々と戦え!
私が己の失敗を悟ったのは、正にその瞬間──Kに押し倒されている最中の事だった。
連敗を重ね、冷静さを欠いたKが、私に向かって拳を振り下ろした。
顔面に当たる寸前のところで、私は首を捻った。視線を向けると、今しがた私の顔があった処に、Kの拳が落ちていた。
Kは私の腹の上に乗りながら、肩で息をしている。
……私が避けていなかったら、如何するつもりだったんだろうか。
背筋がすうっと冷えたような気がした。
私は振り下ろされたままのKの拳に手を伸ばし、その甲の肉を摘んだ。
Kは苦痛に一瞬怯むも、すぐに怒りを再燃した様子で、獣のように吠えた。
──お前……いい加減にしろよなあああああああああああああぁぁ!!
……だから、それは私の台詞だ。先に手を出したのはどちらか、もう忘れたのか。
私は内心毒づきつつも、事態の把握に努めるべく、周囲に意識を向けた。
眼前で吠えるKの唾が、私の頬にかかっていた。Kは縄張りを侵犯された番犬のような形相で、罵詈雑言の嵐を巻き起こしている。
唾など、さっさと拭い取ってしまいたかったが、そんな事をすれば、間違いなく反感を買うだろう。得策ではない。
唯一の脱出経路──玄関扉は、Kの背後にある。とてもじゃあないが、其処から逃げるのは難しそうだ。逆に、私の背後には窓があるが、鍵がかかっていて、すぐに開けられるとは思えない。窓からの脱出も厳しいだろう。
腹にはKが乗っかっていて、仰向けのまま、身動きが取れない。
手足は動くが、私の力ではKを持ち上げたり、腕力だけで抑え込む事は難しい。また、手にはゲームのコントローラーが握られている。
周囲には、先刻机から落下した6冊のマンガ本。それとは別に、読み捨てられた雑誌類が数冊。
飲んだ後、そこら中に放っているペットボトルが数本──否、十数本は在る。それらが互いに足の踏み場を奪い合っている。
部屋の対角には、ゲーム以外では殆ど使用用途の無いテレビが鎮座している。画面中央では、見慣れた女騎士が勝利ポーズを取ったまま、硬直していた。胸元に手を当てて、口元に微笑を携えている。
画面に映る女騎士を見て、私の中に1つの疑問が生まれた。
……Kは、どんな心情であの画面を見ていたのだろうか。
天井を見上げて、少し考えた。
考えた。
考えた。
考えた。
考えた末に、私は──
──本人に直接聞くしかないな、そう思った。
詰まるところ、さっぱり分からなかった。
***
飽きもせず、Kは私の腹の上で何事か喚いていた。
最早、それは日本語ですらなかった。氾濫したダムみたいに、思いの丈をただ吐き出しているだけだった。
私はその様子を目の当たりにして、却って冷静でいられた。混乱している者が傍に居れば、存外他人は落ち着いていられるという話を思い出していた。
それが無くとも、元来私は感情が表に出ないたちだった。
空気が読めないともよく言われた。
癪に障ったのだろう。
Kは額に青筋を立て、再び拳を振り上げた。右腕がKの頭頂部より高く位置した。
それを確認してから、私は自由に動かせる手を、Kの脇腹に突っ込んだ。
がら空きになり、隙だらけとなった脇腹に手を突っ込むのは、あまりに容易かった。
Kは体勢を崩し、私の上から転げ落ちた。
──しめた。
私は口笛を吹いた。下手な口笛だった。
バネの如き俊敏さで起き上がりつつ、私は扉へと駆けた。
横目にKを見ると、彼は内壁に身体を預けながら、両手で頭を抱えていた。
今更自責の念に駆られているのだろうか、私がそう思い、彼に背を向けた時だった。
──いってえええええええええええええええええぇぇ!!
先刻、私に罵倒を浴びせた時より大きな声で、Kが叫んだ。
私は振り返り、彼を見る。
Kは両手で頭を抱え、床上をのた打ち回っている。
ドアノブまで伸びていた手を引っ込め、私は彼の元へ歩み寄った。
──なあ、大丈夫か?
私の声に気付き、Kの肩が跳ね上がる。
Kは私に背を向けたまま、そろそろと壁を指差した。
指先を目で追った。
──は?
私の口から、微かに絞り出した様な声が漏れた。
Kの示した部分の壁が抉れていた。
抉れた箇所は、半径1、2センチ程度の窪みになっていた。
再びKを見る。
彼は既にのた打ち回る事を止めていた。手で後頭部を押さえながら、沈黙しているだけだった。
……成る程。
漸く合点がいった私は、彼の肩に手を置き、彼に尋ねた。
──頭打ったんだな、平気?
Kは亀みたいに鈍重な動作で、私の方を向いた。
その顔は、泣き出す寸前の子どもみたいに、ぐしゃぐしゃだった。
震える声で、縋る様な調子で、Kは尋ねた。
──心配してくれるのか、俺を?
何故倒置法なのか、と思った。
疑問を口にする代わりに、私はかぶりを振って応えた。
──違う。頭打ったんなら、病院行かなきゃあ駄目だろう。それだけだ。
私は本心からそう言った。
言いながら、最寄りの病院まで、どの位の時間で到着するかを計算していた。
救急車を呼ぶべきか、数秒、真剣に思案した。
考えている間に、Kが顔を上げた。
そして言った。
その言葉を。
──お前はやっぱりツンデレだなぁ。
Kは笑みを浮かべていた。
私に視線を合わせて、二チャッとした微笑を浮かべていた。
ほんのりと、頬が赤く染まっていた。
目が三日月状に狭まっていた。
それを見て、私は──全身から鳥肌が立っていた。
すぐに口元を手で塞いだ。
──込み上げてくる吐き気を堪えて、歪んだ口唇を隠すためだった。
私は一歩、後退した。
──少しでも距離を取りたかったからだ。
私はぺたんと尻餅をついた。
──自分自身の心の中を覗けなくなっていたからだ。
そんな私の些細な変化に気づいてか、そうではなかったのか。
やがてKは恍惚とした表情を浮かべ、ほうと溜息を1つ吐いた。
そして、私の耳元で囁いた。
──可愛いな、お前は。
***
私はKを部屋から叩き出した。
***
あれから数年が経った。
あの後すぐ、私はKの連絡先を消した。
通話やメールも着信拒否に設定した。
Kは私の住居を知っている。
だが、彼が訪ねてくる事はもう無かった。
週末の予定は、1人でいる事が増えた。
以前と同様に、1日中引き籠って、ビデオゲームをする日もあれば──カラオケに行き、喉を潰すまで歌う日もあった。
飯づくりに凝った日もあった。人生で初めて炒飯を作った。初めて作った炒飯は、とても水っぽかったのを覚えている。
無理矢理に完食して、翌日腹を壊した。
アニメや映画の鑑賞、そして──読書にも勤しんだ。
雑多に本を読み耽った。
或る時、私は1冊の本に出会った。
その本は、ある作家の短編集だった。
読み始めたばかりの頃は、えらく地の文が少ないなぁ、なんて思っていた。
最後のページを読み終えて、私はもう一度、最初のページを開いた。
いつか、といえばその時だった。
私の脳ミソが、その小説に当てられたのは。
──小説を書くこと。
それが、今週の予定だ。