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「いいじゃないの亡き最愛の親父さんから引き継がれたレシピで二代目の娘が作るクリームパン!他の店は男ばっかりだし、しかもカメラ映えしそうな美人なんでしょ?」
「美人ですけど先代との仲はあまり良くなかったという話で、レシピも自力で復活させた実力派の二代目です」
会議室で向かい合っている田嶋Pと伊原を交互に見ていたADの渡部美里が「美人なんだ」とノートに何かを書き留める。そこを強調されるのも伊原の本望ではなく、苦い物を口の中に入れられた様な気分になる。
取材協力をしてもらうからには店側にとっても宣伝効果のある結果にすべきだ。でも過剰演出によって嘘を伝えるわけにはいかない。
アナウンサーを生業にしているからこそテレビ媒体における容貌の良し悪しの重要性は身に染みて理解する。それでも旭こむぎを飾りのように利用するのは、プロとしても伊原個人としても許容しにくかった。心情の置き所がどうであろうと、パン屋あさひの店主が亡くなって娘に交代していることがミーティングで報告された結果として、伊原の予想通り制作スタッフの反応は「問題ないしむしろ歓迎」という物だった。
「まあそこらへんの切り口は任せるさ。紹介する三店舗の商品が似通わなくてウマそうな画が取れりゃ構わない。先方の希望を通しておけ。また別の特集で頼むこともあるだろうからな」
「わかりました」
「でも伊原さんが異動した来月以降もコーナー続くのかなあ」
そう首を傾げたのは美里だった。伊原が夕方のyou.NEWSから朝のモーニング!ニッポンへ移ることは、週が明けて社内外に公表されていた。朝の番組では伊原の長所に合わせてグルメ情報を多めに取り扱おうということで話が進んでいる。夕方のサブには新人の男性アナが代わって入ることになった。
不安そうな部下を田嶋が鼻で笑った。
「定期コーナーがなかろうが、夕方からグルメがなくなるなんてこと天と地が引っくり返ろうと有り得ないんだよ。朝も昼も夕も絶えずメシ、メシ、メシだ」
田嶋の言っていることは伊原の目から見ても正しい。食に対する視聴者の興味関心は如何なる時間帯でも高く、どの情報番組でも欠かすことはない。伊原がキャスターとして担当してきた木曜コーナーがその名前と趣旨のまま続く場合も続かない場合も、四半期に一度くらいはしっかり時間をとって再びパンの特集をすることがあるだろう。同じ店に違う切り口で頼むこともある。今回のパン屋あさひはまさにその例だった。
朝のメインキャスター担当でいるしばらくの間は、自ら現場に出て取材をすることはなくなる。その最後の取材に恩人の旭こむぎが関わっている。伊原にとっては絶対成功させたい仕事だった。
取材当日のあさひは休業にした。こむぎはいつも通りの時間に起床にして店舗の磨き上げをしていた。再オープンしたばかりで終日閉めることには少し悩んだが、売り場や厨房を点検してみて良いタイミングだったと思うことにした。
先代の父が店舗を13年前に新装して以来、見た目は草臥れていなくてもメンテナンスが十分に行き届いていない設備が散見された。例えば大型オーブンの部品が劣化してきている。結露が目立つ冷蔵庫もある。衛生や営業に即時支障がある程度ではないが、近々交換を考える必要があった。
借金返済は予定通りで貯金もある。それでもパン作りだけでなく、経営についても考えなくてはならないことを改めて実感出来た。帰ってきて一週間。葬儀や営業再開、ついでに朝から人を起こすという副業まで始めて目まぐるしかったが、ようやく一息ついた。
別に休みでもなんでもないんだけれど。重要とも言える一日が始まるのだけれど。
朝9時、連絡を受けていた通りの時間にテレビ局のスタッフはやってきた。
「帝京テレビ、ADの渡部です。本日はよろしくお願いします」
伊原から貰った物と同じデザインの名刺を受け取り深々とお辞儀をされて、こむぎもつられて頭を下げた。小柄な美里が両腕に大きな荷物を持っているので「よければこの辺りに置いてください」と普段パンを並べているテーブルを動かして場所を空ける。
「ありがとうございます。とても助かります。いま車から大きめのカメラと照明機材を持ってきますので」
「分かりました」
「早速、昨日メールでもご連絡していた取材の流れをもう一度ご説明したいのですが」
「はい。お願いします」
手際良くクリアファイルから取り出されてきたコピー用紙一枚を手渡される。言葉通り見覚えのあるメール内容の写しだ。
「旭さんが製造されている姿を一通り撮影させて頂きます。作ってもらうのはクリームパンで、材料を混ぜるところから焼き上がるところまでです。焼き立てを食べさせてもらうところも撮影させてください。あと簡単なインタビューも。その時にお父様との思い出話などお聞かせください。明日の朝、お店の営業中に改めて商品が棚に並んでるところを少しだけ撮影させてもらいます。5分でも頂ければ十分で、できればお客さんが入ってるところだと有難いです。お手間かけてすみません」
「こちらこそ、うちの都合でお手数かけます」
通常は営業中に取材対応をするため一回の撮影で対応が完了するのだと伊原から聞き出していた。パン屋あさひは一人で営業している。オープン前に焼き終えてしまうことを昨日ADの美里に連絡したところ「早朝より2日間に分ける方が局も都合がいい」ということになった。
それって伊原さんが朝起きれないからかしら、と思っていたところで機材が全て運び込まれたらしい。体格のいい男性スタッフが2人入って、店のドアがカランコロンと音を立てて閉じられた。
「伊原は最後の試食とインタビューの時に来ますよ」
今日はもしかして来ないのか、と思っていた心を読み取られた気がしてこむぎは美里の顔をまじまじと見た。テレビで見慣れたアナウンサーに会いたいと言う取材対象者は多く、その応対に慣れていた美里が自動的に答えた。美里は田嶋達が話していたこむぎの容姿を思い出し「なるほど」と納得していた。撮影の甲斐があるというのはこういうことだ。これは編集順が変わるかもと頭の中で予測を立てた。
伊原がパン屋あさひ到着したのは正午に近い時間だった。午前中は朝番組の打ち合わせ、取材を一時間ほどで終えて局に戻り、今度は夕方の放送前準備を予定している。
カランコロンと扉を開けると甘い匂いが伊原の鼻腔と胃袋を刺激した。バニラビーンズがアクセントになったカスタードクリームとパン生地の香ばしい小麦の香りだ。
「遅れまし、たーーー?」
スケジュール上はそろそろクリームパンが焼き上がり、伊原が到着次第で試食、そのままインタビューをするという予定になっていたが様子がおかしい。ADの渡部美里が売り場の隅でさらに小さくなって電話をしていて、背中から険しい雰囲気が伝わってくる。テレビ収録はトラブルがつきものだ。あまり深く気にせずに奥へ進んで厨房を覗くと、大型オーブン前に立っていたこむぎと直ぐに目があった。
仕事中に親しく話しかけていいかどうか決めてなかったと今更になって思い当たり、会釈だけした。こむぎは伊原の顔を見ると、何故か少しほっとしたような表情を見せた。
カメラマンと照明係は顔見知りだ。2人とも仕事道具を抱えたまま立っている。「お疲れ様です」と声を掛けた。
「何かあったんですか」
売り場の方を指さして聞くと、
「それが……」
とカメラマンが口を開ききる前に美里が戻ってきた。スマートフォンを片手に握りしめていた。
「旭さん、パンはあとどのくらいで焼けます?」
「10分くらいです」
「了解です。ーーー伊原さん。ちょっと相談いいッスか……」
「あ、はい」
美里は苛立っている。制作で追い込まれたADもしくは小動物が敵に向かって威嚇するように、震える指で店の外を示す。俺何かしでかしたかなと恐る恐る連れ立って店のドアを出ると、美里が無言でスマートフォンを差し出した。見るとメールの画面が表示させている。
「やっぱりクリームパンにします……ってなんですかこれ」
文面を読みあげると、
「サンサンベーカリーさんですよ!」
と美里が声を荒げた。明日パン屋あさひの後に取材に行く店の名のはずだ。
「私もなんですかこれと思って電話したら、やっぱりクリームパンを撮って欲しいからよろしくとか言って聞いてもらえなくって、やっぱりってなんですかね?!昨日まで一度もクリームパンのクの字も話してなかったんですよ!よりにもよってこちらでクリームパン焼いてもらった後に言います!?」
「それは……良くないね」
「良くないですよ」
プロデューサーからは商品が被らないようにと言われているし、実際3店舗が共通してクリームパンなら並べようもあるが自慢の商品と謳いながら3分の2が似通った商品というのは望ましくない。無理ではない。違いは必ずあるだろうから切り口を変えれば紹介の仕様もある。
「先方には俺から電話してみましょうか」
アナウンサー自ら交渉して先方の対応が柔和になることもあるが、小柄で年下の女性スタッフが交渉すると高圧的になる相手も存在することは、多くの取材を扱う中で何度も体験してきている。
「それは最後の手段としてアリでしたが既に先方電源切りやがってました」
「それはまた良くない」
「良くないどころじゃないですよ!」
道を行く人にも、店の中で待っているこむぎにも不安を抱かせないようにヒソヒソと話す。予定通りできないなら今回の取材は他にお願いしますと言えるタイミングではもう無い。
「あさひさんで撮らせてもらったあと私が現地に交渉しに行きます。なので伊原さんはインタビューのところでクリームパン被りになる可能性も折り込んで話してもらう感じでお願いします」
「……先に、あさひさんに商品変更の相談してみませんか」
「はい?!」
伊原の提案に美里は目を開いた。何を言い出すのか、とんでもない、と息巻く。
「いまから撮影するわけじゃないんですよ!製造過程も撮り終えて、もうクリームもパンも出来上がっちゃうところなんですよ!?」
「そうだけど時間的に不可能じゃないでしょう」
「不可能ですよインタビューいまからやっても商品試食が間に合いませんよ、伊原さんはこのあとyou.の生放送あるんですから」
「試食は明日放送中にやりましょう。どこの店のをやるかの決定は取材後に局側で判断するという話にしてたし」
「でも、あさひさんにはなんの落ち度もないんですよ。それなのにこちらの都合で別のパンをこれからもう一度作り直してもらうなんてご迷惑です。タジさんだって相手方の希望が通るようにって言ってたじゃないですか」
「だから、まずはあさひさんに聞いてもらいましょう。放送中試食の件は先方にとっても悪い話じゃないはずです」
こむぎなら条件を聞けば店の利益の為に臨機応変の判断をするのではないか。店の為なら、朝早くから自分を起こしに来ても構わないと判断してくれた旭こむぎであれば。そういう予想が伊原にはあった。
「構いません。材料は一通り揃ってますし」
ほかほかに膨らんだクリームパンが鉄板に乗ってオーブンから取り出される所を撮影した後、事情を説明するとこむぎは頷いた。
「商品によりますが3時間もらえれば出来ます」
「ほ、本当ですか!」
美里が「すみません」と「ありがとうございます」を繰り返しているのを伊原は見ていた。きっとこむぎさんなら、と望みを持っていたものの何でもないような返事に安心して両手の平を強く握った。
言い出したのは自分だし直接話したことがあるから、と交渉を申し出たが、美里が「自分がこの場の責任者なので」と譲らなかった。確かに伊原が局に戻った後もこむぎと撮影を続けるのは彼女だ。
「放送中に食べてもらって宣伝効果があるということなら、こちらもその方が有り難いです」
「それは間違いなくそうです。メインMCの東郷も食べさせてもらいますし」
「代わりに作る商品についてはどうしますか?このあともう作り始めた方がいいんですよね」
「そうですね……」
美里が伊原の方をちらりと見る。もう一店舗のパリの人気店オーナーがプロデュースするラヌベルルヌは、本格派で繊細な高級クロワッサンだ。それは伊原も分かっている。
パン屋あさひの紹介方法を変えてもいいのではないかと伊原が考えた理由は、他にもあった。
「選んで頂けませんか。おすすめの商品」
こむぎは伊原を真っ直ぐに見ていた。これからのパン屋あさひにはもっとおすすめしたい商品が伊原にはあった。
「チーズブールはどうですか」
そう提案するとこむぎは少し険しい顔をした。言おうとしている事が分かったようだった。
「あの、チーズブールというのは」
と質問したのは美里だ。こむぎが答える前に伊原が続ける。
「いわゆるバケット、硬めのフランスパン生地の丸型がブールで、そこにチーズが加えられたパンです。あさひさんのチーズブールは上の部分が十字に割れていてチーズが載ってるタイプ。日本のパン屋ではよく見かける定番な商品……ですよね?」
「ーーー理由を聞いてもいいですか」
少しの間考え込んでいたこむぎが聞いた。理由は初めて会った日に食べて伝えた通りだ。
「こむぎさんの商品が先代のより美味しいと思ったからです。あの日に作っていたチーズブール、あの中でチーズブールだけは以前のあさひの商品通りではなく、自分なりにアレンジしていたんじゃないですか?これは想像ですけど例えばフランス本場バケットのレシピを取り入れたりして……先代の商品も確かにどっしりしてて食べ応えがあって美味しかったです。定番商品ですから他の店との大きな違いはなかった。でもあれはもっと軽くて、表面がパリッとして、少しだけライ麦の酸味もあってでも絶妙に食べやすくて……先代と味が変わったら今まで通りにのお客さんに通ってもらえなくなるかも知れないという気持ちはもっともです。でも自分個人としては、パン屋あさひのお客様に新しいこむぎさんのチーズブールを食べてもらいたいし、番組でも紹介したいです」
自分個人としてと言ってしまったのはこの場にはそぐわないかもしれなかった。取材を申し入れている立場として、見栄えがいい商品だとか視聴者の記憶に残りやすいだとか、そういう提案も出来た。
「これからは他でもない旭こむぎさんの店なんですから」
彼女はどこか父親のレシピを再現することに固執しているように見えた。まるで父親にやるなと言われたことをそのままやって見せるかのように。しばらく黙っていたこむぎが口を開き「少し考える時間をください」と言い、伊原達は休憩時間を挟んでから撮影再開をすることにした。