私は悪い聖女ですが王子のほうがもっと悪いと思います
こんなん書きました。聖女ものってどーゆーもんやろな?という疑問から始まった物語です。
これは聖女ジェーンによる復讐の物語である。
ノクテラ王国の王城の中心にある神託の塔に、聖女ジェーンは閉じこもっていた。
理由は簡単、失恋である。
「ジェーン! そろそろ出てきてくれ!」
「お願いですから、謝りますから!」
塔の外からは、そんな男女の悲痛な声が聞こえてくる。
それでもジェーンは塔の隅っこにいじけて三角座りをしている。塔にこもった聖女は飲食も何も必要としないため、いつまでも閉じこもっていられる。引きこもるには最適の場所だ。しかもジェーンは塔へこもる前に王城のシェフたちを騙して、王城に蓄えられているワインを塔へ入るだけ運ばせていたので、いつまでも飲んだくれていられる。塔の神聖な力のおかげでトイレに行くこともないのでいつまでも飲んでいる。
「ちくしょー、私が何したって言うのよ……パーシヴァルが悪いんでしょおおおお!」
「だからそれは事情があって」
「うるさい! 会話するな!」
神託の塔にこもった聖女の言葉は、残念ながら王城中に響き渡る。メイドや使用人たちはヒソヒソこういう噂話をしはじめた。
「やっぱり、パーシヴァル王子がチェスタートン伯爵令嬢スカーレット様を婚約者にする、なんて強引に進められるから」
「わざわざ自分から聖女様を婚約者に迎えておきながら、政治の都合と自分の好みで聖女様を婚約破棄するなんて最低」
「振り回された聖女様がかわいそう。それは塔にこもられるでしょうよ」
塔の前で必死にジェーンを説得しようとしている二人の男女、パーシヴァルとその婚約者スカーレットへ向けられる視線は厳しいものだった。
ジェーンは引きこもり、神託の塔で行われるさまざまな儀式は行えず、ノクテラ王国は神託を得ることもできない。その上、聖女の力で王国中に神聖なシールドを張ってわんさか湧く魔物から守っていたのに、それもジェーンは酒の勢いで解いてしまった。もっとも、それに関してはジェーンにばかり非があるわけではなく、パーシヴァルに不幸のどん底へ叩き落とされたジェーンは聖女の力を万全に使うことができなくなったからでもある。
こうなっては、国王もパーシヴァルに責任があると認めざるをえず、何とかしろと仰せになった。
とはいえ、パーシヴァルに何か妙案があるわけでもなく、ただ平謝りするしかない。しかし、ジェーンとの婚約を破棄してスカーレットと婚約したことを撤回するつもりはなく、ジェーンもそれが分かっているだけにパーシヴァルと会話すらしたくない。
「私の何が悪かったのよー……顔? 美人じゃなくて悪かったわね! どうせ聖女の力しかない普通の女ですよ! 出自だって平民だし! 嫌なら最初から近づかなきゃよかったのにさ! パーシヴァルが強引に腕掴んだり待ち伏せしたりしたからしょうがなく婚約だってしたんじゃないのよおおおお! それが何さー! 目移りして婚約、破棄! ざっけんなー!」
塔の中で、ジェーンはわあわあ泣く。パーシヴァルとの馴れ初め、婚約破棄に至る過程も全部バラす。それを聞いた王城にいる王侯貴族たちも、何となく居心地が悪い。聖女ジェーンが平民だから、と口さがなく罵っていた貴族に対する視線も、日に日に厳しくなっていく。お前とパーシヴァルのせいで聖女ジェーンが引きこもったのだろう、国家の安全すらも脅かす事態を引き起こして、と忙しくさせられた軍人たちからは不満が噴出し、大不評だった。
このままでは、ノクテラ王国は崩壊の危機だ。
王城では緊急会議が開かれた。
ある日、誰も寄せ付けなくなった神託の塔の前に、一人の軍人がやってきた。
「聖女ジェーン、お話があります」
初めて聞く声に、ジェーンは酒でうつらうつらしていた寝ぼけ眼をこすって聞き耳を立てる。
「私の名は、ケイ・スコールズと申します。普段は北の国境に駐屯して軍を率いている軍人です」
ケイ・スコールズ、ジェーンにとっては知らない名前だった。しかも軍人、聖女とはほとんど何も関係がない。おそらく、魔物が出てきて困っている、とか言って情に訴えたり脅したりしてくるのだろう、とジェーンは見ていた。
「どうせ私のせいで魔物が溢れたからって責めにきたんでしょ。私のせいじゃないもん、私だってそのくらい何とかしようとしたけど無理だっただけだしパーシヴァルが悪い」
「ええ、本当に王子が悪いということは王城中の誰もが意見を同じくするところです。先の緊急会議でもそのように結論づけられ、王子は謹慎中です」
「ぷぷー、ざ・ま・あ」
ジェーンのその言葉に、聞こえていた王城中の人々は思わず噴き出していた。
そんなことは露知らず、パーシヴァルのざまにちょっとだけ上機嫌になったジェーンへ、ケイはこう伝える。
「しかしです、聖女ジェーン。どうせなら王子にだけ天罰を与えていただきたい。民には何の責もありません、兵士たちも魔物との戦いによって疲弊しています。何か、方法はございませんか? 国王陛下からは、今回の件であなたに咎を与えることは決してなく、今まで蔑ろにしていたことに関しては謝罪すると言伝を預かっておりますが」
それを聞いて、ジェーンは吐き捨てるように拒否する。
「嘘吐き。陛下がそんなこと本気で言ってるわけないでしょ。だってパーシヴァルが婚約破棄するのを黙って見てたんだから。私が塔から出た瞬間捕まえて処刑台送りよ、きっとそう。新しい聖女を探せばいいだけって思ってそう」
「実際、新しい聖女など存在するのですか?」
「知らない。神託で聞こうにも儀式できないし」
「なるほど。つまり、現在の我が国はあなたを保護し、国家のため尽力願うことしかできませんね」
だからって本当にそうしてくれるわけないじゃない、今までもしてくれなかったんだから。ジェーンはこの先のことを分かっていないわけではない、自分は聖女の役割をまっとうしなかったと糾弾されるだろうし、パーシヴァルは王子だからと甘やかされてお咎めなしだろう。そういうものだ。この国において、聖女はあまりにも当たり前に存在しすぎた。その価値を王子ですらきちんと認識していないほどにだ。
「はあー、聖女なんかなるんじゃなかった。給料大してくれないし、王城から出してもらえないし、誰も感謝してくれないし。何かの罰としか思えないわ。その上、パーシヴァルは私をいらない子扱いして、他の女に乗り換えるし。私、そんなに悪いことしたの? 存在自体が悪いとか貴族の連中は言ってきそうで腹立つわ」
飲んだくれジェーンの愚痴は続く。ワインは今日だけで三本空けた。いくら飲んでも体が限界を覚えないため、いくらでも飲める。そこだけは聖女の特権だ、とジェーンは自分自身への皮肉を思いつく。
しかし、ケイにはこの状況を打破する妙案があるようだった。
「聖女ジェーン。我々だけで話すことは可能ですか? 誰にも聞かれたくない話があります」
ふむ? とジェーンはその話に興味が湧いた。聞くだけは聞こう、とちょっと力を使って、神託の塔の力を抑える。
ケイは、その企みをジェーンへ聞かせる。
聞き終わったジェーンは、素っ頓狂な声で尋ね返す。
「……どういうこと?」
ケイの言い分は、ジェーンは理解はできたが、本当にそんなことができるのか、と疑念を持たざるをえない。
だが、ケイは——こうも言った。
「それが軍の総意です。いかがでしょう、我々は国王陛下とは違い、約束は必ずお守りします。何せ」
何せ。
「ノクテラ王国が無事存続し、民の安寧さえ守れるならば、それでいいのですから」
なるほど、それもそうだ。
そこは、自分と目的というか願望を同じくするところだ、とジェーンは考える。
そのためならケイはジェーンを追い払ったり処刑したりしないだろう。
ジェーンは、ケイと企みを煮詰めることにした。
一年後のことだ。
王城のバルコニーから、王城前広場にはみ出るほどつめかけた大観衆へと、ジェーンは手を振る。王冠と王笏、ふくよかなドレープドレスに豪奢なケープを身にまとい、隣には正装のケイがいた。
「女王ジェーン万歳!」
「聖女であり新生ノクテラ王国初代女王ジェーン陛下!」
「夫君のケイ卿もおられるぞ!」
人々はジェーンの戴冠を言祝ぐ。クーデターによって王侯貴族たちの身分をすべて剥奪し、聖女とそれを支える軍人たちによる国土と民の安全を最優先にした指導体制を整えたノクテラ王国は生まれ変わった。王城に独占されていた聖女の姿はすべての民の目に映るところとなり、新しい時代の到来を喜び、人々は希望に満ち溢れている。
「どうですか? 大勢に受け入れられ、その存在を喜ばれる気分は」
実はノクテラ王国でもっとも若い将軍だったケイは、ジェーンを口説き落とした。クーデターだけでなく、その心を射止めて、ジェーンに取り入って生き残ろうとしていた王侯貴族たちを排除したのだ。
ときに実力行使を、ときに説得を、ときにジェーンとの愛を見せつけて敵を倒したケイは、今ではジェーンのもっとも信頼する臣下の一人であり、最愛の夫だ。
「ケイ、やりすぎ」
「ははは」
「これからどうしよう」
ジェーンは聖女であって、政治にはまったく関わってこなかった。ノウハウは一切ない。もちろん官僚は残っているから国は十分存続できるのだが、さて何をすればいいのだろうか。
悩むジェーンへ、ケイはこう答える。
「好きになさっていいのですよ。あなたがこの国を守るかぎり、我々はお供いたしますゆえ」
ケイならばそう言うだろう、とジェーンは知っていた。頷き、方針を語る。
「まあ、とりあえず、ノクテラ王国をもっと豊かにしよう」
「いいですね。微力を尽くさせていただきましょう」
「聖女の力、見せてやるわー」
ジェーンは王笏を持った右手を空へと掲げ、民の声に応える。
聖女によって平和はもたらされた。
その裏にあった失恋と復讐の物語は、王城の皆はそっと胸にしまっておいた。