決闘狂想曲(1)
人目に付きにくい木陰でひっそりと咲いていた薄桃色の花から数枚の花弁を頂戴し、カズヤは伸びをしながら立ち上がった。
「くあー、今日のお仕事終了っと」
半日近く屈めていたせいで凝り固まっていた腰をバキバキとほぐしていると、数日前の出来事が何とはなしに思い返される。
結局あの後、カズヤは新宮寺の勧誘を受けることにした。
かえすがえすも胡散臭い取引なのだが、福利厚生として提示された「三か月間家賃免除で比良坂荘に入居可能」なる条件が、あまりにも魅力的だったためである。
ちなみに肝心の仕事内容は、必要となった際に改めて説明するとしか教えられておらず、具体的に何をやらされるのかは少しも聞き出せていない。
おまけに完全歩合制で固定給無しのため、結局は探索者として新宿迷宮へ潜る毎日であった。
仮にも探索者から新宿迷宮を守るという触れ込みなのに、言っている事とやっている事が矛盾しているのではと疑問に思わなくもなかったが、雇用主曰く、日々の採取程度であれば問題無し。むしろ適度なマナ循環のためには推奨なのだとか。
「まあいいか。寝床は確保できたわけだし、しばらくは様子見かね」
本日の戦利品を詰めた籠をよっこらせと担ぎ直し、出口を目指して歩き始める。
すると密林を少し行ったところで、野太さと人懐っこさを奇跡のバランスで両立させた聞き覚えのある声が、不意にカズヤを呼び止めた。
「おうい、カズヤじゃねえか。どうでえ、調子は?」
「その濁声は鉄平か。ま、ぼちぼちってところだな」
気さくに応じながら振り返れば、カズヤの視界が捉えたのは六人組の探索者だった。
身に着けた武器防具には無数の細かい傷がついており、立ち姿も一見すれば気を抜いている風でありながら、その実は適度な緊張感を保っている。まさに歴戦の探索者と呼ぶに相応しい風格といえるだろう。
そして彼等の先頭に立つ、百八十センチ台後半の立派なガタイを誇る男こそ、今しがたカズヤに呼びかけてきた鋼屋鉄平その人であった。
新宿迷宮が発生した当初、まだ探索者が自らを潜り屋と称していた頃から最前線に立ち続け、恵まれた肉体と厳つい顔に反して愛嬌のある性格で交友関係も広い、いわゆるベテラン探索者というやつである。
先日、単独で潜っているはずなのに採取量が毎回半端ない新人の噂を聞きつけ、どんな奴かと顔を見に来たのが縁で知り合ったのだ。付き合いは短いが鉄平の人並み外れたコミュニケーション能力もあって、こうして新宿迷宮内で顔を会わせた際には挨拶を交わすくらいの仲にはなっている。
「うお、相変わらず凄い量だな。こいつをたった一人で集めてるってんだから、毎度ながら頭が下がる思いだぜ」
「ま、そいつが売りなもんでね。とは言っても、他の連中だってコツさえ掴めば、これくらいはできるようになると思うけどな」
籠を揺すってみせながらカズヤが感想を漏らすと、鉄平はぐしゃりと表情を歪めた。
初めて見た時は怒っているのかと勘違いしてしまったが、単に顔の造作がごついからそう見えてしまうだけで、本人的には苦笑しているつもりらしい。
「皆がお前さん級に採取上手になったら、薬草の卸量が増えすぎて値崩れしちまうって。それに稼ぎたい奴なら、もっと下の階に潜った方が結局は実入りもデカいしな。その分、危険度は跳ね上がるが」
カズヤにとって苦い思い出である初日の査定時に教えられた通り、新宿迷宮から回収される資源の買い取り価格は、基本的に需要と供給の関係によって決定される。
それはつまり、魔獣の数や質が跳ね上がるため挑戦者が少なくなる奥のフロア――深層と呼ばれる階層の方が、産出される資源の稀少度が上がり、高値がつく傾向にあるという意味でもあった。
探索者となった理由ランキング上位を、一攫千金や名声を求めてといった即物的な回答が占めている以上、腕の立つ探索者がダンジョンの深奥を目指すのは必然でもある。
むしろ、日々の生活費だけ稼げれば後はそれほど金に執着しないカズヤのようなタイプの方が、探索者業界においては少数派なのだ。
「そういや、お前さんはもう聞いたかよ? 欧州帰りの凄腕探索者の話」
「欧州帰り? いや、初耳」
隣を歩く鉄平が、思い出したように話題を振ってくる。
いつの間にか鉄平のチームと同行する流れとなっていたが、互いに知らない仲ではないため目くじらを立てる者はいない。
ともあれゴシップや噂話には疎いカズヤが首を横に振ってみせると、鉄平はわざとらしく声を潜めた。
「ギルド職員の独り言を【隠密】と【五感強化】の練習をしていた奴が偶然聞きつけて、そいつがブン屋にタレこんでいるところを遠目から唇読んだだけなんだが、欧州で若手のホープと呼ばれていた日本人が帰国して、しかも新宿迷宮に来てるって噂なんだわ」
「とりあえず、スキルと才能の無駄遣いが横行してるってことだけは俺にも分かった。ちなみにそのホープは、どうしてわざわざ新宿迷宮に来たんだ? あっちのダンジョン……確か、ストーンヘンジとクレタ島だったか。攻略が終わって飽きたとか?」
素朴な疑問を呈してみれば、鉄平は「あー」と唸りながら、怒っているようにしか見えない不思議顔をしてみせた。
「そいつは全然気にしてなかったが、言われてみりゃ妙な話だぜ。出てくる魔獣や資源はダンジョンごとに違いがあるってのは聞いた記憶があるが、そいつが理由かね?」
「さてな。こちとら第一階層の草摘み専門なんだ。噂のホープ様の目的なんざ、想像もつかないっての」
「草摘み専門、ねえ」
字面だけ見れば卑下しているようにも取れるカズヤの発言に、鉄平はまじまじと雑談相手を見直した。
ミリタリー風の迷彩服に重ねて急所を守る小型のプロテクターを着込み、一応は打撃武器も兼ねた手甲と脚甲をはめている。取り回しを考えたのか、探索者の装備にしては小ぶりな剣鉈が二本、腰から提げられているが、これを抜いているところは見たことがない。
確かに格好だけから判断するならば、魔獣との戦闘を避けて資源回収だけを目的とした装備であり、口さがない者達ならば漁り屋とでも呼ぶのだろう。だが、ベテラン探索者である鉄平の勘は、カズヤがただの臆病者ではないと主張してやまなかった。残念ながら、根拠までは辿り着けていなかったが。
舐め回すように注がれる鉄平の視線に気付いているのかいないのか、カズヤは肩を回したり背筋を反らしたりしつつ、いかにも興味無さそうに言葉を結ぶ。
「最前線組のあんた達ならともかく、俺がそんな有名人とお近づきになるドッキリ展開なんて、万に一つも無いだろうからどうでもいいよ。もしそんな機会があったら、誰得な上にどんな三文小説だって文句をつけてやるさ」