隣に迷宮のある暮らし(6)
今川焼に釣られて案内されたのは、新宿駅から徒歩数分の距離にある集合住宅だった。
駅前の喧騒もここまでは届いてはおらず、周囲の人気も少ない。二階建て全八室からなるそのアパートは、閑静な住宅街の一画によく馴染んでいる。
さすがに新築というわけではなさそうだが、敷地の広さや駅までの所要時間を考慮すれば、家賃の方も相応の額が求められそうな雰囲気である。
「ここは私が管理人を務めている比良坂荘よ。名乗るのが遅れてしまったけれど、私は新宮寺圭。呼び方は好きにしてくれて構わないわ。遠慮せずに上がって頂戴」
背を向けたまま一方的に告げると、返事を待つことなく一○一号室へ入っていく。扉の脇には部屋番号の他にも氏名を掲げられるようになっていたが、横目でちらりと確かめたところ、新宮寺という表札はなく、管理人室という四角四面な四文字が記されているだけだった。
食べ物の誘惑に屈しておいて今更ではあるが、それでも一応の警戒はしつつ、カズヤは扉の中へと足を踏み入れる。
玄関には新宮寺が履いていたハイヒールの他に、ワンポイントの入った可愛らしいデザインのサンダルがちょこんと置かれていた。一瞬、新宮寺の趣味かと考えるが、工業規格もかくやというほど整然と並べられたハイヒールに比べて、サンダルのそれはムラがある。どうやら中にもう一人いるらしい。
そんな予想を立てつつ奥へと進んでみれば、案の定ベランダに面したリビングの中央、床に敷かれたカーペットの上には先客が待っていた。しかも、座卓で足を崩しながらのほほんとお茶を啜っていたのは、私服に着替えてこそいるがカズヤにも見覚えのある人物ではないか。
同時に向こうもカズヤに気付いたようで、完全にくつろぎモードとなっていた少女が、驚きのあまり目を丸くする。
「えっ、さっきの行き倒れていた人!?」
「そういうあんたは少女Aじゃんか」
『どうしてここに?』
疑問の声が唱和する。
この場をセッティングした人物へ二人揃って振り返れば、新宮寺は顔色一つ変えることなく、それどころかわざとらしさすら漂わせながらいけしゃあしゃあとのたまった
「あらあら、二人は知り合いだったのね。これは奇遇だわ」
「いや、ここまで露骨にお膳立てしておいて、知らん振りとかないだろ」
脊髄反射で突っ込むカズヤ。しかし新宮寺は、妙に様になった仕種で肩をすくめてみせる。
「それは買いかぶりよ。まったくの無関係とまでは考えていなかったけれど、あなた達の間にどのような縁があったかなんて、私には知る由も無いもの。むしろ、それを聞かせてもらうためにこの場を設けたと思ってもらえるかしら」
「あんたの胡散臭さが、とっくにカンストしていると思ってたのにどんどん限界突破していくんで、正直ビビってるんだが……。まあいい、今は保留にしといてやるよ。あー、それからそっちの少女Aのことはどう呼べばいいんだ? さすがにずっと少女Aのままだと気まずいんだが」
思い切って尋ねてみると、少女は少しだけ考え込んだ後、諦観を込めた様子で肩を落とした。
ちなみに入室した際には扉の陰になっていて気付かなかったのだが、少女の傍らには黒い毛並みの大型犬、尾の先まで真っ白な猫、眼光鋭い小型の猛禽が、まるで少女を護るかのように控えている。
「管理人さんの紹介なら仕方ないですね。私は化野涼音といいます。この子達は順番に、チャウ君、キュルちゃん、ヒュイ君です。皆とってもいい子なんですよ」
自己紹介よりも声を弾ませ、三匹のペットを指し示してみせる涼音。目尻の下がり具合から察するに、相当に溺愛しているらしい。
許可も得ずに涼音のペット達を撫でようとし、即座に威嚇されて慌てて手を引っ込めたカズヤは、決まり悪そうに座卓の向かい側に腰を下ろすと感想を漏らした。
「このアパートってペットOKなんだな」
「きちんと面倒を見られるのであれば、絶対に禁止する理由は無いでしょう? それに彼女の場合、特別な事情があるもの」
新宮寺への呼び方から、涼音が比良坂荘の住人であるとあたりをつけ、差し障りなさそうな話題から口火を切ってみる。
特別な事情とやらが気にならないと言えば嘘になるが、どうやら本題からは外れていたようで、新宮寺はそれ以上ペットの話題には言及することなく、二人の顔を順番に見回すとおもむろに口を開いた。
「今回の事態について、関係者と目される人間に集まってもらったわ。まずは参考までに、あなた達の関係を教えてもらっても構わないかしら?」
「関係ってほど大袈裟なもんじゃないが……強いて言うなら、化野は死にそうになっている俺に救いの手を差し伸べてくれたんだ。俺は感謝感激して、地面に這いつくばって恩返しを誓わせてもらった」
「管理人さん、私から経緯を説明させてもらっていいですか」
肝心な部分が抜けている上に嘘ではないが誤解されかねないカズヤの回答を受け、律儀に手を挙げて発言許可を求めた涼音からすかさず訂正が入る。
新宮寺が了承すると、涼音はかくかくしかじかと何があったのかを語り出した。とはいえ涼音的には、空腹で倒れていた人に昼食の残りを恵んでやった以上の事実などありはしないのだが。
簡潔であるがゆえに要点を押さえた話が終われば、新宮寺は納得した様子で首肯してみせた。