新宿迷宮攻防戦(7)
強敵の残骸が崩れきったのを見届けると、アスカルトスは灰の山に背を向け、大爆発が発生した地点を目指して重い足を引きずり始めた。
その歩幅には新宿迷宮へ転移してきた時の高揚はすでになく、心中を支配しているのはエルティの仇を討つという暗い愉悦のみ。
「……勝った、ぞ。私は、勝った。待っていておくれ、愛するエルティ。すぐに他の奴等にも君の後を追わせて――」
「悪いけど、そいつはさせてやれねえ」
もはやこの世にいるはずのない者の声音で制止され、アスカルトスは驚愕に染まった表情で背後を振り返った。
ありえない。たった今、跡形もなく焼き尽くしたはずの相手から、平然と呼びかけられるなど。生物が炭化していく感触などこれまで経験したことは無いが、あの生々しい手触りは絶対に本物のはずだ。
そんなアスカルトスの確信を裏切るかのように、灰の山の中からゆっくりと人影が立ち上がる。目を細めて確かめるまでもない。その人影は、焼却前と何ら変わった様子の無いカズヤであった。
目を剥くアスカルトスの喉から、知らずかすれた声がこぼれ落ちる。
「馬鹿な……どうして生きているのですか。あなたは確かに――」
「ああ、見事に殺されちまったよ。骨も残らないほどにこんがりとな。だからこそ、蘇ることができたってわけだ」
そう言って摘まむようにして持ち上げたのは、一枚の巨大な風切り羽。彩る紅蓮の色合いは、まるで羽そのものが燃えているかのように錯覚させる。
蘇るというカズヤの言葉と見た事のない紅蓮の羽という二つのヒントをきっかけに、アスカルトスは瞬時に答えへと辿り着いた。
「っ!? フェニックス……!!」
不死鳥の二つ名を持つ幻想種の中の幻想種。その最も有名にして常軌を逸した特性は、呼び名の通りに不死である事。死した不死鳥が炎の中で蘇り新たに生まれ変わるという伝承は、魔術師のみならず一般人にも認知されているほどに、あまりにも有名であった。
「ありえない、理屈が通らない! 肉体が滅びた時点で合成獣の能力は失われるはずです。不死鳥の特性が発動するはずがない!」
「そう言われても、こうして生き返ったのは事実だろ。まあ、合成したのは肉体じゃなくて魂の方だとか、ウィルの奴がごちゃごちゃ言ってた気はするけどな。生憎と魔術師じゃない俺には、その違いを理解できるほどの学は無いんで、細かい解説は勘弁してくれ」
アスカルトスの卓越した頭脳が、カズヤの呟きを瞬時に分析する。
魂の合成獣。肉体は魂の形を再現するだけの容器と規定していたとすれば、肉体由来ではない不死鳥の特性を再現し、消し炭の中から蘇生できた事にも説明がつく。
いや、消し炭と化したからこそ蘇ることができたと言うべきか。
「ならばもう一度死んで頂くまでです。焼死以外の死因であれば、不死鳥の特性による蘇生は望めないはずだ」
魔術師であれば誰もが思いつくであろう簡単な結論に誤りは無い。発動に条件が必要だというのなら、そもそも条件を満たさないように立ち回れば良いだけの話なのだから。
だが、“リュストゥング”の機能の大半を喪失した今のアスカルトスでは、カズヤと正面切ってのぶつかり合いなど、やる前から結果は見えている。
案の定、かろうじて残っていた右手で殴りかかるも、動きは完全に見切られており、カウンターで突き出されたカズヤの貫手が、先にアスカルトスの腹部を貫通していた。
遠く離れていたために知るはずもないのだが、奇しくも己の命より大事な相手の最期と酷似した姿となったアスカルトスは、しかしまるで狼狽えることなくカズヤの両腕を抑えつけると、凄絶な笑顔で微笑んだ。
「【傀儡】使いである私が、自らを傀儡に改造していないとでも思いましたか?」
正真正銘、最後の手段。肩甲骨に偽装して収納されていた隠し腕が、エルピスの刺繍が刻まれたローブを内側から破り、鎌首をもたげる。
鋭利な爪を備えた多関節の二本の腕は、互いの吐息がかかるほどの至近距離から左右同時に、身じろぎ一つしないカズヤの頸動脈目掛けて突き出され――
「合成獣の俺が、頭を増やせないとでも思ったのか?」
肉を引き裂く寸前、皮一枚で食い止められていた。
ぎりぎりの防御を成し遂げたのは、瞬きの間にカズヤの両肩から生えていた左右一対の狂猛な犬の頭部だ。強靭な顎でもって、刃物ですら容易には切り裂けないアスカルトスの隠し腕にがっしりと牙を立て、逆転の一手を完膚なきまでにねじ伏せる。
双頭の番犬、オルトロス。
伝承に謳われる魔獣の名が思い浮かぶより早く、迅雷のごとき速度でカズヤの反撃が翻った。両手両首を使い切っていても唯一自由に動かせる首から上でもって、野獣のようにアスカルトスの喉笛に喰らい付いたのである。
すでに万策尽きているアスカルトスにはこれを防ぐ術は無く、ぶちぶちという耳障りな音を立てながら、人体を模していた筋繊維が引き千切られていく。
ガヂリ
とうとうカズヤの顎が完全に閉じられると、首を半ば以上失ったアスカルトスはどさりと荒野に倒れ伏した。
肉体の大部分を傀儡に置き換えているアスカルトスであっても、さすがに脳が収められている頭部を胴と繋いでいる首を切断されては、指一本たりとて動かすことはできない。
ごろりと転がった青年の頭部は、それでも全く衰えることのない憎悪に濁った瞳で、己を殺した相手を見上げていた。
「一体……何匹の幻想種を……飼って……」
「別に俺が飼ってるわけじゃない。あいつらは俺で、俺はあいつらなんだ。ただ一心同体ってだけだよ」
「戯れ、言を…………」
遂に限界が来たのか、アスカルトスの瞳から光が消え、沈黙が訪れる。
しばらくの間、目に焼き付けるように亡骸を見下ろした後、カズヤは振り返ることなく戦場を後にしたのだった。