隣に迷宮のある暮らし(3)
転移魔術の余波に特有な三半規管の揺れが収まり、いつの間にか閉じていた目を開けてみると、周囲の景色が一変していた。
石造りの建築がうっそうと茂った緑に覆い尽くされ、すっかり苔むして朽ち果てている。もはや遺跡としか呼びようのない廃墟群は、頭上を仰いでも梢が見えぬほどに巨大な木々によって視界を遮られており、とても全容を見通すことはできそうにない。
密林、樹海、あるいは魔境。
違和感なくそれらの形容が当てはまる光景が、新宿という大都市のど真ん中から徒歩ゼロ秒で拝めるなど普通ならば信じられるわけもなく、ここがダンジョンという異界であることをまざまざと知らしめてくれる。
「第一階層、木漏れ日の古跡か。洒落た名前を考える奴もいたもんだ」
目立つ場所に設置されていた案内板を眺めながら、感心したように独りごちる。
それによれば、新宿迷宮は複数のフロアからなる多層型のダンジョンで、一つのフロアが半径にして数キロ、場合によっては数十キロという規模の歪な円形となっており、前のフロアへ戻るための階段と次のフロアへ進むための階段がそれぞれ存在するらしい。
現在までに到達が確認されている最深フロアは五十階で、十階ごとに環境ががらりと変化するため、その単位でまとめて階層と呼び習わしているのだとか。
つまりここ一階から十階までの第一階層では、目の前に広がっているような廃墟と密林が混ざり合った光景が続くという意味になる。
ちなみに背後を振り返ってみれば、様々な型の自動改札機が何台も並んでおり、それらを通って帰還していく探索者の姿もちらほらと見受けられた。
正直、密林の真っ只中に自動改札機というのは、周囲の雰囲気から激しく浮いていると言わざるを得ないのだが、その分だけ目に付いて分かりやすいし改善要望の提出先があるわけでもないため、カズヤは頭を切り替えて金策に励むことにする。
探索者の収入には様々な種類があるが、今回目指すのはその中でも最もオーソドックスな手段、資源回収だ。新宿迷宮の中には価値ある資源が多数眠っており、それらを採取してギルドへ売却するのが基本の流れとなる。
本来、異界領域から産出された物品は、時間経過と共に存在強度が低下して徐々に崩壊していくものなのだが、五年前のダンジョン出現を引き起こしたとされる“混沌の観測者”を名乗る何者かによって公開された情報の中には、薄れゆく存在を固定し消滅を防ぐ方法も含まれていた。
巨大な異界領域の同時多発的な発生に加えて、これまで少数の魔術結社のみに秘儀として伝えられてきた存在固定の術式までも開示され、当時の魔術師達の中にはそれこそ発狂寸前にまで追い込まれた者もいたらしいのだが、幸か不幸かその時点では魔術のまの字も知らない一般人だったカズヤにとっては、噂で聞く昔話以上の感想はない。
ともあれ、ギルドで固定処理を施したダンジョン由来の素材は、現在では社会に広く還元され、ありとあらゆる場面で用いられている。その流通の根っこを担っているのが、探索者でありギルドなのだ。
「んー、植生は微妙に違和感あるが、生えているのは俺でも知っている薬草類か。これなら何とかなりそうだ」
試しに軽く森の中へと分け入り、地面や樹木を観察して回る。
ここ数年の間、半異界化した畑で怪しい魔術師が怪しい儀式に使う怪しい植物の世話を任されてきたのだ。鑑別はもちろん掘り起こしから下処理まで、一通りの手順は頭に叩き込まれている。
そうと決まれば善は急げとばかりに、カズヤは植物採取に勤しみ始めた。
土壌の状態、陽当たり、風通し。そして魔術師であってもごく一部の者にしか区別できない、滞留しているマナの質。それら諸々を勘案してお目当ての植物を探し出していく手際は、同じように森の中で採取に励んでいる他の探索者からしても目を見張るレベルだったらしく、すれ違う者達が一様に二度見をしてくる。
一方、好奇の視線にさらされているとは思いもよらないカズヤはといえば、鼻歌交じりで作業を続けた結果、一段落着く頃には採集物でちょっとした小山を築くに至っていた。
ここまで捗った理由として、想像以上に森が豊かだったことはもちろんだが、ダンジョンに生息する魔獣との戦闘が発生しなかったことも、決して外すわけにはいくまい。おかげで余計な手間に気を取られることなく、採集に専念できたのだから。
「こっちからちょっかいをかけない限りは、一階の魔獣は大半が戦闘を避けるって話だしな。連中、本来はもう少し好戦的な性格だったと思うんだが……ま、おかげで楽に終わったし、細かい事はいいか」
あっさりと疑問を投げ捨て、代わりに大量の戦利品を小脇に抱えて帰途に就く。
相場を知らないため、具体的に幾らで買い取ってもらえるかまでは不明だが、これだけの量があれば二、三日分の宿代にはなるだろう。珍しい薬草も数本採取できたので、ボーナスの期待に胸が膨らんでしまう。
そして三十分後、順番待ちの人数が決して十人以下にならないことで有名なギルドの買い取り査定所にて、金額を告げられたカズヤは唖然呆然となっていた。