新宿迷宮攻防戦(3)
いきなりの猛烈な加速によりカズヤの意識が朦朧としていたのは、時間にすれば十秒にも満たないわずかなものだったが、その間に少なく見積もって1kmは離れた場所へ二人は運び去られていた。
「くそっ、放しやがれっ!」
がっちりと右腕を掴んで解放する気配のない鎧の継ぎ目に、左手の剣鉈の刃先を突き込もうと画策する。
さすがにそれは勘弁願いたいらしく、アスカルトスが仰け反って拘束が緩んだ隙をつき、カズヤは足裏で突き放すように蹴り飛ばした。
飛行中の飛び降りなど通常ならば自殺行為でしかないが、完璧なタイミングで受け身を取り、乾いた荒れ地の上をわざと転がることで衝撃を分散してのける。それでも殺しきれなかった慣性に何度も地面へ全身を打ち付けながら、人間離れした肉体強度にも助けられ、なんとか五体無事で立ち上がる。
とはいえ全身ありとあらゆる箇所から流血し、打撲が痣となって肉体を蝕んでいた。
カズヤは自身の状態を確かめると、腰ポーチから厳重に梱包されたアンプルを取り出すや、躊躇うことなく首筋へと打ち込む。
「見慣れない薬ですね。外傷用のポーションの類ですか?」
そんな満身創痍のカズヤの眼前へ、アスカルトスがゆっくりと降りてきた。
軽やかに着地すると同時に、背部に接続されていた飛行ユニットが剥離し、漆黒の鎧の足元へと転がる。
元々、緊急離脱等の一時的な使用を想定していたのだろう。ユニット全体が過熱、摩耗しており、もはや使い物にならないのは一目瞭然だ。
それはつまり、アスカルトスもこの戦いから逃亡することなど、微塵も考えてもいないという証左に他ならない。
「俺が調合したオリジナルレシピだよ。そっちこそ、どうしてわざわざ味方から距離を取った? 大量の人形で圧殺する、質より量の戦術が十八番だと思ってたけどな」
「エルティを傷付けた罪を償わせると言ったはずです。君の息の根を止めるのは、私自身の手で成さなければならない」
構えた剣鉈の下から隙をうかがうカズヤに対し、アスカルトスは見た目の上だけならば極めて穏やかな仕種で、悠々と両手を広げてみせた。
「それに私は、私の知らない天才魔術師の作り上げた、国津カズヤという人型合成獣を高く評価しているのです。あのまま戦えば、確かに数の利は得られるでしょうが、君が隠している能力によってはエルティまでも巻き込みかねない。万が一を考えれば必要な措置と判断しています」
「ああ、そうかい。それじゃあ最後に聞いておいてやるが、大人しくエルピスの情報を吐く気はあるか? 本拠地、連絡手段、その他構成メンバーとか諸々な」
「いかにも愚問ですね。崇高な理想を共有した同志を、私が裏切るとでも本当に思っているのですか?」
「聞いてみただけだよ」
肩をすくめたカズヤの返答が、闘争再開の号砲となった。
左右に体を揺らして的を絞らせないようにしながら、カズヤは地を駆け間合いを詰める。得物が剣鉈二丁である以上、どうしても接近戦に持ち込む必要があるからだ。
対するアスカルトスの武器もまた、近接距離での使用を想定したものだった。
厳密には武器というより防御に比重が置かれているのだろう。全身を隈なく覆った黒甲冑の中でも、一回りゴツくなっている前腕部。盾に近い役割を持っていると推測されるが、硬い物を勢いよく振り回せば、それは立派な鈍器に他ならない。
現に左から回り込もうとするカズヤに向かって放たれた裏拳は、甲冑に付与された魔術によって使用者の動作を追随・拡大させ、さながら一条の黒い閃光と化した。皮一枚で躱したカズヤの鼻先をかすめ、勢いを殺しきるより先に聳え立った水晶柱へ直撃、一抱え以上あるそれを一発で砕いて倒壊せしめる。
降り注ぐ破片で鎧の表面に乾いた音を響かせながら、会心のつもりで放った拳を苦も無く回避してみせた敵手を、アスカルトスは甲冑の奥から蒼の瞳を細めて見やった。
「この鎧は神経接続式の半自律装甲傀儡、“シュバルツ・リュストゥング”と言います。あなたの武器には【鋭利】が付与されているようですが、その程度の術式では量産型の人形には通じても、“リュストゥング”には傷一つ付けられませんよ」
「そいつは試してみないと分からないだろ」
「強度比較をシミュレートしてみれば、試すまでもなく明白なのですが……まあ、そう言うならば好きなだけ試みるといいでしょう。それともウェンディゴの特性で私の目を欺き、関節部でも狙ってみますか?」
命の奪い合いをしている相手からの提案を、カズヤは鼻で笑って却下する。
「カウンター狙いだとすると誘い方が不合格だ。どうせ視覚以外で俺の動きを追えるような仕掛けを用意しているんだろ? その程度に引っ掛かると思われているなら、逆に心外なんだが」
「さて、どうでしょう。そう思わせて姿を消させないためのブラフかもしれませんよ」
今度は少しだけ効果があったらしく、一呼吸の間、押し黙る。が、カズヤは深みにはまる前に思考を放棄した。
アスカルトスの狙いは、対抗策を用意しているかどうかを悩ませることそのものだと、すぐに察知したからだ。
魔術師相手にネタバレ済みの策が通用すると考えるべきではない。その常識を知悉していながら、アスカルトスは通用するかもしれないとカズヤに錯覚させることで、効果も定かではない選択肢を提示し、かえって視野を狭くするように仕向けてきたのだ。
なかなかどうして、数多くの実戦を経てきた老獪さをうかがわせる。
となればこれ以上の問答は不要。下手な会話は、かえってつけ込まれる隙になりかねない。
そう判断を下すと同時、カズヤは剣鉈を握り直すと、全身を稼働させてアスカルトスへと躍りかかった。
上下から、左右から、袈裟切りに加えて針の穴を通すかのような正確無比の突き。
決して動きを止めず、回避されたり弾かれたりしても、その動きを利用して即座に次の連撃へと繋げる。
同等以上の技量でもって迎え撃たなければ、あっという間にズタズタにされるであろう斬撃の嵐であったが、しかしアスカルトスは的確にこれを防いでみせた。
魔術師としては凄腕であっても、決して優れた戦士というわけではないアスカルトスがカズヤの攻撃をここまで捌けるのには、当然ながら相応の理由がある。
明らかに死角を取ったはずの斬撃に対して、視線すら向けることなく盾代わりの腕が迎撃してのけるとなれば、その答えなど難しく考えるまでもない。
「そういや半自律式って言ってたな。厄介な鎧だ!」
「お褒め頂き光栄ですよ。装着者の技量に左右されることなく自動的に攻防を成立させる。それこそが“シュバルツ・リュストゥング”のコンセプトなのですから。数多の戦士から優れた動きのみを抽出して組み上げた近接格闘アルゴリズム、とくと味わってください!」
アスカルトスの宣言を皮切りに、受け一辺倒だった甲冑が鋼の軋む咆哮を上げて反撃に転じた。
袈裟斬りの軌道で繰り出された<左天>を、紙一重で割り込んだ腕が受け止め、のみならず圧倒的な膂力でもって外へ弾き飛ばさんとする。
どうにか衝撃は受け流して武器の喪失を免れるも、たたらを踏んだカズヤをプレス機にかけるように、甲冑は五指を広げた張り手を真っ直ぐに振り下ろした。
ズズンッ!
轟音と共に地面が揺れ、小規模なクレーターが穿たれる。もしも真正面から受け止めていたならば、防御もろとも地面の染みとなっていたことだろう。
しかし間一髪、カズヤは野生の獣じみた直観で横方向へと身を投げ出し、致死の鉄槌から逃れることに成功していた。
だが、それすらもアスカルトスの思惑の内でしかなかった。
荒れ地にめり込んだ右手を引き抜くことなく、黒甲冑がその左手をカズヤへと向ける。しかし、両者の間合いは五メートル近い。指先まで伸ばしたところで、触れることすらかなわないだろう。
甲冑の左肘から先が、砲弾のごとく発射されなければ、の話だが。
「!?」
油断していた。予想して然るべきだった。鎧を模しているとはいえ、その本質はアスカルトスの魔術で操られている人形なのだ。飛び道具の一つや二つ、備えていて当たり前ではないか。
後悔は一瞬。現実が覆ることはない。完全に意表を突かれたカズヤにこの状況からの回避など望むべくもなく、咄嗟にできた対応といえば、二本の剣鉈を交差させて即席の盾とすることだけだった。
許容を超える負荷に晒された剣身が、与えられた役目を全うするも呆気なく限界を迎える。澄んだ音と共に<左天>と<右壌>は粉々となり、それでも殺しきれなかった衝撃がカズヤの腹部へと突き刺さった。
肺から押し出された空気の音さえかき消しながら、カズヤの体が宙を舞う。地面とほぼ水平に飛翔すると背中から水晶の柱に激突し、壁に投げつけられた生肉のようにずるずると落下する。
手応えからして六割は殺したはずだ。されど致命傷までには至っていないと、ビデオの逆再生のように戻ってきた左腕を甲冑へ結合させたアスカルトスには、文字通り手に取るように伝わっていた。
であれば次こそは、確実なとどめを。
甲冑の両手を組み替え長大な斧へと変形させたアスカルトスは、水晶柱に寄りかかるようにして立ち上がろうとしているカズヤへ向け、裂帛の気合と共に断頭の刃を振り下ろした。




