想いの行き着くところ(4)
属してから初めて知った事なのだが、この魔術結社は自分達が異端であることを正確に理解しているため、表立って行動することは滅多にない。
今回、新宿迷宮を攻略してコアを調査するという重要任務が与えられた際も、隠密性に重きを置いた結果、採用された方針は適当な探索者を操って攻略の矢面に立たせるというものであった。
探索者がダンジョン攻略を目指すのは当たり前なので、もしも他の魔術結社が新宿迷宮に食指を伸ばしていても、裏で糸を引く者がいるとはまず見抜けまいという目論見である。
大方針が定まったところで、アスカルトスは【遠話】越しに根本的な疑問を尋ねてみた。
「新宿迷宮を調査することが、我々の悲願へと繋がるものなのでしょうか?」
『もちろんだとも。君はダンジョンについてどれだけ知っているかな?』
「申し訳ありません。正直な話、さほど興味がありませんでしたので……数年前に世界中で同時に出現した異界領域、という程度でしょうか」
首領を失望させてしまったのではと不安になるが、その心配は杞憂だった。
返答はアスカルトスへの理解を示し、同時に道を指し示すものだったからだ。
『生粋の魔術師であれば、異界領域というだけでは殊更に騒ぐようなものでもないからね。その反応も致し方あるまい。だが、ダンジョンと呼称されているこれらの異界領域には、これまで観測されてきた数多の異界領域とは決定的に異なる特性がある』
「特性ですか……? 伝え聞くところによると、ダンジョンごとに随分と内部構造に差異があるとのことですが、異界領域であればいたって普通の――」
『思い返してみたまえ、かの異界領域は一般人にも認知されているという事実を』
「っ!?」
その通りだ。どうして今まで、そんな大事な特徴を見落としていたのか。
個々のダンジョン内部がどうなっているかなど、さして重要な観点ではない。
最も注目すべきは、異界領域という魔術の側に属する事象でありながら、魔術師以外の大衆にも知られている事実にこそあったのだ。それすなわち――
「“ヴェール”による認識干渉を受けていない……?」
『然り。他の魔術師共の中には、これをきっかけに魔術が白日の下に晒されるのではと脅えている者もいるようだが、我々にとってはその一点にこそ光明がある』
理路整然と希望を示され、アスカルトスは興奮を抑えることができなかった。もしもダンジョンが“ヴェール”の干渉から逃れる仕組みを持ち合わせているのならば、それを調査することで再現可能に。いや、“ヴェール”そのものの排除にすら可能かもしれないのだから。
『まだ不確定要素が多いためのめり込み過ぎないよう注意してもらいたいが、我々の悲願に通ずる可能性がわずかでもあるならば見逃す手は無い。やってくれるだろうね』
首領の言葉に、アスカルトスは即座に低頭していた。
「私の働きにより宿願が成就するのであれば、万難を排してでもダンジョンの秘密を持ち帰って御覧に入れます。どうぞ心安らかにお任せください」
『ありがとう。君ならばそう言ってくれると信じていたよ。幸運を祈る』
激励の言葉と共に【遠話】は途切れ、沈黙が訪れる。それでも興奮冷めやらず、アスカルトスは片時も離さず隣に控えさせていたエルティの、白磁のような頬へと手を伸ばした。
「確か君が発案・推進しているプロジェクトで、欧州を拠点とする探索者の中から、見込みのありそうな者に援助をしていたはずだね」
「はい、珍しい人形の材料になるのではと考え、何名かに資金援助や戦力供与を行っております。匿名のスポンサーという体裁を取っておりますので、こちらから接触することも可能です」
「素晴らしい! 君の先見の明にはいつも助けられるよ。では早速、その中から扱いやすそうな奴を選別しておいてくれないか。新宿迷宮に送り込むので、カバーストーリーも用意してくれると助かる」
主のリクエストに、エルティはカーテシーと共に応諾した。
「かしこまりました。一名、条件に合致した駒がおります。可能な限り精密に誘導するため、私が探索者を装ってその者に接近したいと思いますが、よろしいでしょうか」
「もちろん許可するとも……ああ、本当ならばほんのひと時でも君と離れたくはないのだけれど、少しの間だけ我慢しておくれ。もう少し、もう少しの辛抱だよ」
「はい、お待ちしております」
そして彼等は新宿迷宮へとやって来た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
戦況は概ね、アスカルトス有利で推移していた。
ブラックドッグが狂ったように撒き散らす雷撃は強力ではあるが、人形達にも簡易ながら耐熱や耐衝撃など、一通りの防御策は講じてある。その中には当然のように絶縁もあり、無傷とはいかないまでも触れるだけで木っ端微塵となるほど脆くはない。
無論、雑兵程度でダンジョンの眷属が従える強力な魔獣を仕留められるとは思えないが、ひとまずは足止めできればそれで十分だった。
厄介な幻術を操る金華猫については、常に幻の可能性を疑っていればさほど恐れるものではない。
特に無数の人形で周囲を包囲し、じわじわと面制圧していく戦術は、幻術使いにとっては天敵ともいえ、他の二匹との連携でどうにか持ち堪えているが、脅威となる可能性は極めて低い。
もっとも注意すべきは、主人や他の魔獣を背に載せて戦場を離脱し、仕切り直しを図ることができるルフ鳥だろう。
だがそちらは、探索者としての偽装を解除したエルティによる執拗な牽制射撃でもって、上空で足止めすることに成功していた。
つまり今この時、魔獣の女王を護る盾は、全て封じた状態にあるということだ。
将棋なら王手、チェスならばチェックメイトに相当する。
次から次へと絶え間なく波状攻撃を繰り返し、ようやく魔獣達の防衛線を突破した数体の人形が、後方に控える魔獣の女王へと迫りゆく様子を眺めながら、勝利を確信したアスカルトスはこの後の手順について考えを巡らせていた。
「正臣君達を隠れ蓑にできなくなった以上、ここから先は私の手勢だけで攻略する必要がありますね。この異界領域が何層構造かは判明していませんが、ギルドなどという魔術結社紛いの連中が追いかけてくる前にコアまで到達しなければ。まあ、状況を把握するまでに数日の時間があるでしょうし、肉の器に縛られた輩では追いつけるとは思えませんが」
算段が立てば、アスカルトスの思考はその先へ飛ぶ。
“ヴェール”を消し去った世界。魔術師が社会の影に潜むことなく、堂々と本来の姿をさらけ出すことのできる世界。彼の望みがようやく手の届くところまでやってきたのだ。
抑えきれない喜悦が狂気を孕んだ笑みとなって表出したその時、魔獣の女王に向かって今まさに攻撃を繰り出そうとした彼の人形達が、操り糸が断ち切られたかのように崩れ落ちた。