想いの行き着くところ(3)
アスカルトスは魔術師である。
幼くして才能を開花させ、周囲から神童と呼ばれ尊敬を集め、あるいは畏れられすらした。
特に【傀儡】の術式にかけては右に出る者がおらず、術式の媒体となる人形制作の腕前においても数多の魔術師達を唸らせてきた。
だが彼等は知らなかった。惜しむことなく注がれる称賛の雨こそ、石を穿つ水滴のように徐々に、しかし確実にアスカルトスの心に罅を入れていた事を。
『まるで本当に生きているかのようだ』
『生身の人間と全く見分けがつかない』
『これが人形とは、とても信じられない』
違う。なぜ理解できないのだ。欲しているのはそんな言葉ではない。
どうしてお前達は、人間などという不完全な生き物にどれだけ近付けたかという、くだらな過ぎて逆に笑ってしまうような尺度でしか人形の価値を測れないのか。
何故ありのまま、人形を人形として愛でることができないのか。
突き詰めれば、彼の憤懣はその一点に集約される。
アスカルトスにとって人形とは、人間の姿形を模した仕事道具などという範疇で収まるものではなく、美と真理を内包した生涯の伴侶にも等しい存在だというのに。
かつて神が自らに似せて人を想像したという逸話のように、もはや人形は人が生み出した被造物という枠を超え、創造主たる人と並び立つ存在になっている。そこには生命の有無など、些末な問題でしかない。
しかし、どんなに高名な魔術師であっても、誰もが無意識に人形は人間に及ばないと見下し、その真価を認めようとしない。
自らを取り巻く絶望的な事実を悟ってしまった日、アスカルトスは自身の最高傑作であり、永遠の愛を捧げると誓った自律型汎用人形エルティに、血を吐くほど苦しみ抜いた想いを打ち明けた。
ありのままを直視しようとしない世界の在り様に失望したと。エルティと結ばれたいとどれだけ望んでも、誰も彼の真の願いを理解することはなく、決して何人にも祝福されることのない未来など、果たしてどれほどの価値があるのだろうかと。
その絶望を綺麗に拭い去ったのが、いつの間にか工房に置かれていた通信宝珠越しに対面したエルピスの首領であった。
顔も名前も明らかにすることなく、男か女かも定かではない相手であったが、アスカルトスにとってその邂逅は福音に他ならなかった。
『素晴らしい。君達の関係は私達の求める理想そのものだ。ただ心のままにあり、そこには一切の不純物が存在しない』
それはエルティへの慕情の全肯定であり、アスカルトスが心の底から欲していた言葉を与えてくれたその人物は、彼に崇拝の念を抱かせるには十分に過ぎた。
『魔術師という生き物は、己の智を誇っておきながら偏見の塊だとは思わないか? 有史以来の気の遠くなるような年月、一般社会とは一線を引いてきてしまったため、新たな価値観の発掘や理解という人間として当然に備えるべき機能を喪失しかけている。他の何にも染まらず純粋に愛のみに殉じる君の精神は、むしろ魔術師以外ならば理解できる者はもっと多いはずだ』
答えを示されてみれば、目から鱗が落ちるかのようだった。
アスカルトス自身も含め、魔術師は血の連なりによる術式の相伝を旨としており、血族間の結びつきは非常に強い。反比例するように、魔術師ではない者達を構成員に含むコミュニティを忌避・軽視する傾向が見受けられた。
それゆえ子孫を残せない愛情への理解は皆無に等しく、一途にエルティを愛するアスカルトスの想いなど、わざわざ問うまでもなく異端と判断されることは明白であった。
しかし、昨今の非魔術師達の社会では、特に多様性なる概念が重んじられているという。聞けば聞くほど、アスカルトスにはそれらが理想郷のように感じられたものだ。
『だが、君の目指す楽園に至るには、避けて通れぬ明確な障害がある。 それは“ヴェール”だ。魔術を隠蔽するかの世界律の影響下では、君の最愛の人形は果たしてどう認識されるのだろうね。少なくとも、君の望むありのままの姿が受け入れられることだけは、絶対にありえないと断言しても構わないだろう』
自動人形という存在の根幹が魔術に根ざしていることは、アスカルトスであっても否定のしようがない。であるならば、魔術を覆い隠す“隔視のヴェール”により、一般人にはエルティ本来の姿を認識することはできず、少し風変わりな人間として知覚されてしまうはずだった。
それでは駄目なのだ。エルティが自動人形であることを万人に認めさせた上で結ばれなければ、それは偽りを孕んだ関係となってしまう。エルティを想う心に一点の曇りも無いように、彼女の正体を覆い隠してしまうなど絶対に許し難い。
『ならば“ヴェール”を取り除いてしまうしか道はあるまい。我々はエルピス。水瓶の中に残った最後の希望。人々から魔術という希望を遠ざける“ヴェール”を打ち破ることで、人類は真の意味で神の軛から解き放たれることができるのだ』
こうしてアスカルトスは、狂信者の群れにその身を投じることとなった。