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想いの行き着くところ(1)

 新宿迷宮の第五階層、水晶荒野。その名の由来となった水晶柱の林立地帯を抜けた先で、Sランク探索者である斑鳩正臣をリーダーに据えた探索者チーム、登録名称「エレメンタルソード」の面々は、かつてない強敵との対峙を余儀なくされていた。


 ごくり、と緊張から息を飲み込んだのは果たして誰だったのか。

 それを確かめる余裕すら失うほど、眼前の存在から意識を逸らした瞬間に蹂躙される未来がありありと想像できる。


 待ち構えていたのは一見すれば自分達と同じ人間。それも華奢という言葉が似つかわしい女性のようにすら見受けられた。

 しかし、仮にも深層到達者である正臣達には、その姿が欺瞞に過ぎないことは論をまたない。


 どういうわけか相手の顔が認識できないという異常事態に加え、彼女を守るように控えている三匹の魔獣もまた、見た事もなければ聞いた事もない種類であるにも関わらず、五十階に出現した有象無象とは一線を画した戦闘力を秘めていることは疑う余地が無かったからだ。


 黒い毛並みに全身を覆われた、全長五メートル近くはあろうかという猟犬に似た魔獣。牙の間から漏れ聞こえてくる低い威嚇の唸りを耳にすれば、百頭からなるアフリカ象の群れでも恐慌状態となって逃げ出すだろう。


 対をなすように、目にも鮮やかな純白の毛皮を持つ猫。こちらは黒犬より小さいとはいえ、少なく見積もっても三メートルを超す体躯があった。これと比べれば、地球上の猫科最大であるアムール虎ですら子猫に等しい。


 そして最後は、上空を悠々と旋回している巨鳥だ。姿形は鷲と似てはいるが、翼の端から端まで二十メートル以上もある猛禽など、寡聞にして耳にしたことはない。こちらも考えるまでもなく、ダンジョンを生まれ故郷とする魔獣に相違あるまい。


 まったく種類の異なる強力な配下を三匹も従えた、まさしく魔獣の女王とでも評すべき圧倒的強者の姿がそこにはあった。


 配下の魔獣達は、仮に一匹ずつ戦ったとしても今の正臣達では太刀打ちできるか怪しいほど、桁違いとしか言いようのないプレッシャーを放っている。それが同時に三匹など、ゲームならば負けイベとしてムービー鑑賞モードに移行しているところだ。


 しかしこれは現実であり、負けは容易く死への片道切符となる。

 さすがにそれくらいは心得ているようで、いかに絶望的な状況といえども戦う前から諦めるような者は誰一人としていなかった。もっとも、見苦しく歯噛みする者ならば一人いたが。


「くそ、どういうことだ。聞いていた情報と違うじゃないか! 以前に五チーム合同の最前線組を蹴散らしたのは、大剣を軽々と振り回す凶悪な戦士が一人だけじゃなかったのか!?」

「落ち着いてよ、正臣ってば。焦るのは分かるけど、隙を見せたらあっという間にやられちゃうよ」

「あ、ああ……ありがとう薊。計算が狂ったせいで動転してしまったけれど、もう大丈夫だ」

「現状の戦力では突破は不可能と判断する。よって無条件での逃走を第一対応案に推奨」


 指示を求める仲間からの声を受け、正臣は動揺を押し殺しながら改めて敵を見据えた。

 正直、勝てるビジョンが思い浮かばない。だからといって、ここで尻尾を巻いて逃げ帰ることだけは、山よりも高く海よりも深い彼のプライドが頑として認めなかった。


 撤退するにしても、せめてひと当てして形だけでも痛み分けを装わねばならない。そもそもいきなり逃げ出したとしても、大人しく見逃してくれるかなど分からないのだ。ならば追撃を躊躇わせるだけの損害を与えておくことは、作戦としても間違ってはいないはずだ。


「……一撃目に切り札を全て投入する。せめて一匹は撃破したい。倒しきれなくても、ダメージを与えれば向こうの足並みは乱せるはずだ。その隙に逃げ……一度引いて作戦を練り直す」


 こんな状況であっても逃げるとは素直に口にせず、わざわざ言い直す。ここまでプライドに固執されるといっそ感心したくなるが、生憎と悠長に感想を述べている余裕はない。作戦そのものは、客観的に判断すれば彼我の戦力差を考慮したそこそこ妥当な内容であるため、仲間達は小さく頷くと了承の意を示す。


 各員が武器を構え直し、魔獣達とその主に敵意を向ける。

 戦闘の意志は十分に伝わっているはずなのだが、魔獣達は不気味なほど沈黙を保ち、自ら仕掛けてこようとはしない。

 その悠然とした落ち着きぶりは、そもそも正臣達を敵とすら認識していないのではと疑うに足るものだった。


「くそ、Sランクの僕を馬鹿にしやがって。皆、用意はいいな?」


 本当に無視してくれているなら、本来ならば撤退の好機であるはずなのだが、勝手に自尊心を傷つけられたと思い込んだ正臣の中からは、いつの間にかその選択肢が消え失せていた。

 仲間達のアイコンタクトで準備が整ったことを確認し、カウントダウンを始める。


「三、二、一、今だっ!!」


 指示を叫ぶと同時に魔獣達との間合いを詰める。

 すぐ横に短槍使いのエルティが並び、囮と同時に切り込み役を担ってくれる。

 更に近接組二人の頭上を、一本の矢が風切り音と共に飛翔していった。

 奇妙なことに先端の矢じりは金属ではなく、紅色の貴石が鋭利な形状に加工されている。


 これこそ日野薊と水谷野乃亞の二人が編み出した、まったく新しい連携戦術であった。

 野乃亞は【火術】スキルの使い手であり、その威力は新宿迷宮随一と言っても過言ではない。だが彼女の手持ちで最高火力を誇る技は、射程がほぼ接触距離と非常に短く、後衛の野乃亞がそこまで前に出るのは危険度が高いため実用的ではなかった。


 そこでスキルの発動点として代用できる宝石を矢じりに加工し、薊の弓で射出したのだ。

 うまく刺さってくれれば、体内という至近距離を超えたマイナス距離からの業炎で、敵を跡形もなく焼き尽くすことができる。


 もしも表皮に阻まれ貫通まで至らなくても、文字通り目と鼻の先から放たれた【火術】は、筆舌に尽くし難い破壊をもたらすはずであった。

 弱点を挙げるなら貴石が強度的にどうしても脆いため、一発使い切りの高コストとなってしまうところか。まあ、命の値段に比べればただのようなものだ。


 ともあれヒュンッと空を裂いた矢が、漆黒の毛並みをした犬型魔獣へと接触する。

 最大火力をぶつけるならば、狙うべきは敵の最大戦力。飛んでいる鷲型魔獣は正臣とエルティでは届かないため火力の集中という観点から除外され、相手の攻撃方法や特性がまるで判明していない現状では、残りの二匹のうち体格的に優れた犬型の方を脅威と判断するのが合理的。


 そして命中したかどうかを確認するより早く、野乃亞は【火術】を発動する。

 矢が刺さっていなかった場合、悠長に確認していては【火術】の射程外に逃げられてしまうかもしれないからだ。


 巻き起こる炎が魔獣を包み込み、舞い散る赤色を目くらましに最後の一歩を踏み込んだ正臣は、周囲に溢れる炎の精霊を大上段に掲げた剣へと収束させた。

 【属性剣】。単体でも飛び抜けた攻撃力を発揮するスキルだが、野乃亞の【火術】で生み出された高熱と組み合わせることで、繰り出される一撃はもはや別次元へと昇華する。


 掛け値なしの全力全開。これを防ぎきれる者などいるはずがない。

 裂帛の気合と共に正臣の剣閃は縦一文字に魔獣をかち割り――何の手応えもなく水晶の大地に突き立った。


「なっ!?」

「なぁご」


 猫型魔獣が一声鳴いた途端、唐竹割りに処したはずの犬型魔獣の姿が揺らめき消え、直後に十メートルほど離れた地点にて、虚空から染み出すようにして再び姿を現した。

 その毛皮には焦げ目の一つとて残されてはいない。

 いや、そもそも正臣達の必死の攻撃は、魔獣に届きすらしていなかったのだ。


 幻を見せられ、何もいない場所に向かって攻撃を空撃ちさせられたのだと、一拍遅れて理解する。

 後先を考えずスキルを行使した反動、空振りによる体勢の乱れ、そして一から十まで手玉に取られていたのだと容赦なく見せつけられたことによる思考の隙間。

 ありとあらゆる要素が牙を剥き、反撃に備えて身構えることすら許されなかった。


 犬型魔獣がぐっと全身を撓め、力を溜める。すると艶のある漆黒の体毛一本一本が、何の前触れもなく逆立ったかと思うと、金色の輝きを放ったではないか。

 輝きの正体は電流だ。犬型魔獣は一瞬にして、全身に電撃を纏ったのである。


 無論、光って終わりなどというわけもなく、獣の形をした雷鳴が地を奔る。

 さながら本物の雷のように、目にも止まらぬ速度で犬型魔獣が戦場を駆け抜けると、雷光が尾を曳き、辺り一帯が烈光と轟音に飲み込まれた。


 やがてそれらが収まった後には、四人の探索者が焦げた匂いを立ち昇らせながら、悲鳴一つ上げることなく倒れ伏していた。

 小さく電気が弾ける度に思い出したように手足が痙攣しているので、まだ生きてこそいるようだが、どこからどう見ても確実に気絶している。


 こうして審判が宣告する必要すらないほどに、呆気なく勝負は決着した。Sランク探索者の手も足も出ない完敗という結末で。

 このまま戦いが終われば、四つの骸が新宿迷宮に打ち捨てられる。そう思われた時、


 ぱちぱちぱちぱち


 とどめを刺さんと前脚を振り上げた犬型魔獣に待ったをかけたのは、小さく乾いた破裂音だった。

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