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絡みつく過去(6)

 遮光カーテンで人工的に明度を下げられた室内には、大小の差こそあれ四つの気配が存在していた。

 その内訳は一人と三匹。

 カズヤに痛烈に拒絶されて以降、一歩たりとも部屋の外に出ることなく塞ぎ込み続ける涼音と、彼女が【テイム】しているチャウ、キュル、ヒュイと名付けられた魔獣達である。


「おんっ」

「チャウ君、慰めてくれてありがとうね……頼りない飼い主でごめんね……」


 鼻面を寄せてくる愛犬の額を優しく撫でながら、しかし涼音が口にしたのは謝罪の言葉だった。

 呟き声からも張りが失われており、外傷こそ無いものの精神的にかなり参っている上に、体力的にも衰弱しかけているのは一目瞭然であった。


「ねえ、私、やっぱり卑怯なのかな……?」


 縋りつくようにチャウをかき抱きながら、暖かな首筋の毛皮に顔を埋める。

 ふんわりと包み込んでくる感触に身を委ねながら、涼音はこれまで話して聞かせたことのない比良坂荘へ来る前の出来事について、三匹に向けてぽつぽつと語り出した。


        ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 幼い頃、化野涼音が暮らしていたのは、山際にへばりつくように数戸の家だけが立ち並ぶ、俗に言う限界集落であった。

 共に暮らしているのは針金のような祖母がたった一人。当時の涼音はその女性が自身と血縁関係にあるのだとかろうじて理解はしていたが、家族であるとは到底認識していなかった。


 単に同じ屋根の下で寝起きし、同じ物を食べ、事あるごとに小言を並べ立てて自分を委縮させる老婆。それが涼音の目から見た祖母の全てだったのだ。


 家族はいない。

 部屋の片隅で埃をかぶっていた教科書とやらによれば、良い子には父親と母親という優しい保護者がいて、一家揃って幸せに暮らしているらしいのだが、つまり父親と母親がいない自分は良い子ではないのだと、幼いながらに納得していた。


 そんな涼音にも家族と呼べる存在がいるとすれば、それは裏山に住んでいる友達が一番近いだろう。

 祖母に課せられた毎日の勉強が終わると、涼音は筆記用具を片付ける手間さえ惜しんで家を抜け出していた。


「皆、お待たせっ!」


 斜面はそれほど急ではないし、筍掘りなどで利用するため一応は道も通っているが、十歳にも満たない子供にとっては十分に難所といえる。そこを一回の休憩も入れずに駆け上がり、涼音は破裂しそうな心臓の鼓動に息を切らせながら、少し開けた広場で待っているであろう友達へ呼びかけた。


 振り向いたのは猿のきー助とウリ坊のぷー太、その他この裏山に暮らす無数の動物達だ。

 彼等は広場のあちこちで数頭ごとの集団にまとまっていたが、涼音がやって来たと知ると一斉に押し寄せてきた。


「あはは、皆くすぐったいってばー。ごめんね、婆ちゃんの宿題がなかなか終わらなくて」


 肩や頭の上によじ登って来る子や、興奮した様子で周りをぐるぐると駆け回る子。表現方法は十匹十色だが、涼音へ親愛の情を抱いている事だけは一致している。


 姿形こそ涼音とは異なるが、そんなものは程度問題に過ぎない。人間同士であっても一卵性双生児の類でもなければ、全く同じ見た目の者などまずいないのだから。


 それならば心が通い合ってさえいるのなら、彼等を友人や家族と呼ぶのに何の不都合があるというのだろう。

 少なくとも涼音にとっては、裏山に住む動物達は迷うことなく友人であり家族であった。


 そうして人間よりも野生動物と親しむこと数年、転機は訪れた。

 祖母が倒れたのである。


 往診にやって来た医者の診察結果を襖一枚隔てて盗み聞きしてしまった涼音は、祖母は元々さして体が強い方ではなかったのだが、駆け落ち同然で集落を去った一人娘の子供を預かることになり、どう接すればよいか分からず心労が積み重なっていたのだと、その時になって初めて知ることとなった。そのせいで持病が悪化し、もはや手の施しようがないとも。


 もうすぐ十五歳を迎えようという涼音は、祖母もまた手探りで生きていたのだとようやく気付かされ、愕然として膝を折った。


 女手一つで育て上げた我が子が突如として姿を消し、悲嘆に暮れ孤独な晩年を過ごす覚悟がようやく固まってきた頃になって、あなたの孫だと告げられて見知らぬ子供を預けられたのだ。話に聞くだけでも、その困惑は察して余りある。


 しかもその孫は自分に懐かず、暇さえあれば裏山に入り浸り、獣と戯れて過ごしている。

 田舎という小さな世界は、人間の頭数こそ少ないが、逆に他人へ向ける関心の密度が濃い。加えて自分達と少しでも異なる点を見つければ、情け容赦なくえぐり出そうとする残虐性も持ち合わせている。


 たとえ自覚の無い幼子であろうと、一度でも奇異の視線を向けられ異物と認定されれば、陰日向を問うことなく大小の排斥を受けるのは必定。ではなぜこれまで、そのことを自覚せずに生きて来られたのかと自問した時、涼音はようやく真実に辿り着いた。


 祖母はただ、黙って見守り続けてくれていたのだ。

 勉学と躾だけは手を抜かなかったが、引っ叩きたい時も叱りつけたい時もあっただろうに、全て呑み込んで涼音のやりたいようにやらせ、集落の者達と極力顔を会わせずにすむよう、小学校、中学校ともに不登校となった涼音を強引に通学させようとはしなかった。


「やだよ、お婆ちゃん……死んじゃやだよぉ……私を一人にしないでよぉ」

「やれやれ……泣き虫な子だねえ……誰に似たんだか」


 医者が帰ったとみるや、涼音は生まれて初めて祖母に縋りついて泣きじゃくった。

 病に伏せながらそれでも凛とした声音で、しかし確かに優しい響きを織り込みながら、初めての呼ばれ方に目尻を緩めつつ、祖母は涼音の頭を撫で切々と語った。


 年寄りが先に逝くのはこの世の摂理なのだと。

 たった一人で見送る者なく朽ちていくはずだったのに、何の因果か涼音という肉親に看取られて生涯を終えることができる。こんなに嬉しい事が他にあってたまるものかと。


「それに……あんたは一人じゃないだろう。私なんかよりずっと頼りになる……家族も友達だっているじゃないのさ…………ああ、でも」


 人間の友達も作ってくれたら、もう少し安心できたかもねえ。

 それが祖母と交わした最後の会話となり、遺言となった。

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