絡みつく過去(3)
隠しようのないくらいに動揺の気配を漏らしたアスカルトスであったが、数回の深呼吸を経て気を落ち着かせると、まだ少しだけ震えの残る手付きで刺繍の布をカズヤへ返却した。
「……貴方には本当に驚かされる。どこでこれを入手したのですか?」
「ある事件の遺留品だよ。俺はこいつの持ち主を探しているんだ。そっちはどうやら、何か知っているみたいだな」
「ええ。ご満足いただけるかは保証できませんが……この図案はエルピスなる魔術結社に属する証と聞いた記憶があります」
「エルピス……聞き覚えのない結社だな」
カズヤはその名前を忘れぬよう、舌の上で転がすと同時に深く刻み込んだ。初めて獲物の影が鼻面をかすめた感触に、知らず知らずのうちに産毛が逆立ってしまう。
抑えること叶わず漏れ出した殺気を正面から浴びたはずなのだが、小指の先ほどの反応も示すことなく、アスカルトスは静かに言葉を続けた。
「魔術師の中でも特に訳ありの者達が集まっているとか。彼等の目的には諸説ありますが、最も信憑性の高いものは“ヴェール”の破壊でしょう」
“隔視のヴェール”もしくは単に“ヴェール”とも呼ばれ、欺きの世界律といった異名を持つ、世界法則の一つである。
その効果は魔術を知覚・認識できなくすること。これにより一般人の多くは、魔術を目の当たりにしてもすぐにその光景を忘却するか、別の解釈をして気にも留めなくなってしまう。
魔術がこれまで人類の歴史の裏に隠れ続けることができた、最古にして最大の要因と言ってもいいだろう。
その“ヴェール”の破壊を目論むなど、魔術の存在を隠し続けたい多くの魔術結社にとって、害こそあれ利は一欠片も無い。
わざわざそんな意味不明な目的を掲げている点だけでも、エルピスなる魔術結社が極めて異色の行動原理を備えていると理解するには十分だった。
「なるほどな……助かった。参考になったよ」
「いえいえ、喜んでいただけたのならば私も嬉しいですよ。なにせ見返りへの期待が増しますからね」
「案外と正直なんだな、あんた」
直截的な物言いに、つい苦笑してしまう。
差し出したものに見合うだけの対価を寄越せという分かりやすい要求は、返報性の原理からすれば至極当然の話なのだが、迂遠な言い回しをする者が多い魔術師の中では傍流と見做されやすい。
あるいは魔術師ではないカズヤに対しては、下手に飾らない方が好感触になるという判断なのかもしれず、事実その通りであるため、カズヤとしては見透かされている感が無いわけではない。
ともあれ前払いで仇の情報という報酬をもらってしまった以上、出し惜しみは義理に反する。カズヤの方も嘘や誤魔化しを交えることなく、己の秘密を簡潔に明かした。
「俺はいわゆる合成獣ってやつなのさ。昔、事故で三途の川を渡り……ああ、宗教違うとこの表現は伝わりづらいんだっけか。まあ簡単に言うなら死に掛けたんだよ。その時、ある魔術師に命を救われたんだが、ついでに改造されて色々と混ざり物の多い余生を送る羽目になったってわけだ」
「瀕死の人間を合成獣化ですか……確かに器の生命活動は低調である方が、複数の生物を混ぜ合わせる際に抵抗反応が小さく済むと聞いた事があります。施術後の蘇生の困難さと引き換えにはなりますが」
倫理面に触れることなく魔術の知見を優先させた相槌に、久方ぶりに魔術師と会話しているのだと実感させられる。
そういえばあいつも、生命操作魔術の話を始めると止まらなかったな、とカズヤはつい昔を懐かしんでしまった。
微妙に柔らかくなった雰囲気を察したのか、アスカルトスが小首をかしげた。
「私の知識にどこか不備でもありましたか?」
「いや、ちょっと改造された頃を思い返していただけだ。ともあれそういう理由で、俺は混ぜられた魔獣の特性を受け継ぐことができるんだよ。さっきの動画で姿を消していたのは、ウェンディゴの特性だな」
「ウェンディゴ、北米大陸のインディアンに伝承される精霊ですね。仰る通り彼の存在は、旅人に気配だけは悟らせるものの、決してその姿は見せないと伝えられています」
どうやら納得したようで、アスカルトスは何度も深く首を縦に振る。
人間としての理性を残したまま、魔獣――魔術師的に言うならば幻想種と合成する。それを為した超絶技巧に、心の底から感心しているのだ。
「色々混ざっていると仰っていましたが、それは他にも幻想種の能力を受け継いでいるという意味でしょうか。是非とも拝見したいのですが」
目を輝かせながら身を乗り出してくるアスカルトスに、カズヤは乗り気でないと一発で分かる渋面を作り、おもむろに首を横に振ってみせた。
「そいつは勘弁してくれ。強引にあいつ等の特性を借りると、肉体への負荷が重過ぎて全身の血管が破裂しちまうんだ。あんなしんどい真似、そう気安くやりたくはない」
「そうでしたか、それは残念です……」
にべもなく断られ、肩を落としてしょげ返るアスカルトス。ついつい同情してしまいそうになるが、うっかり流されればボロ雑巾のようになる未来が確定しているので、カズヤとしても易々と甘い顔をすることはできない。
「それにしても、人間形態時での擬態の完成度も含め、発想・理論・技術共に称賛に値する腕前ですね。貴方を造った魔術師にいつかお会いしてみたいのですが、その際は仲介をお願いできますか?」
「そいつは無理な相談だな」
隠し切れぬ高揚感を滲ませた頼みであったが、カズヤの返事は素っ気なかった。
一考すらされずに却下されるとは思ってもみなかったのか、絶句するアスカルトスに向けてカズヤがぽつりと付け足す。
「あいつはもう、くたばっちまってる」
今度こそ完全に言葉を失うアスカルトス。カズヤは一瞥もくれることなく、少し乱暴に席を立つと、踏み込み過ぎた魔術師を放置したまま喫茶店を後にするのだった。




