絡みつく過去(2)
新宿歌舞伎町の裏路地にひっそりと店を構える一軒のバー。
昼間は喫茶店を営んでいる店舗の奥まった席で、カズヤはギルドで接触してきた金髪碧眼の青年と、差し向かいに対峙していた。
柔らかい巻き毛の下に穏やかな微笑を浮かべ、優雅な仕種で青年が名乗る。
「改めまして、私はアスカルトスと申します。エルティの兄……憶えていらっしゃるかは分かりませんが、正臣君のチームで斥候役を務めている短槍使いは、私の妹でして」
そう言われて記憶をほじくり返してみれば、確かにそれらしい少女がいたかもしれない。
口さがない者達からはハーレムなどと揶揄されているが、カズヤの見る限り正臣に熱を上げているのは少女三人の内二人だけで、どちらかといえばビジネスライクな関係らしい最後の一人が、確かそのような名前だったはずだ。
正臣の関係者というだけで警戒心を抱くには十分であり、眼光鋭く一挙手一投足をうかがってくるカズヤに対して、アスカルトスは困ったように苦笑してみせた。
「警戒しないで欲しい、というお願いが無理筋な事は承知しています。ただ私は、是非とも貴方と言葉を交わしたいだけなのです。そのために、まずは私の秘密を差し出させて頂きます」
他の席には届かないほどの小声で申し出るや、青年は人差し指を素早く机上に走らせた。
するとどうしたことか、指の腹でなぞった軌跡が淡い光を伴って浮かび上がったではないか。
世界を形作っているマナを取り込み、内的世界を満たすオドと結合させることで生成される、魔力とも呼称されるプラーナに特有の、魔術師用語で言うところの輝かない光である。
軌跡は紋様とも文字ともつかぬ不思議な形状をしていたが、最後まで書き終えたアスカルトスがこつりと指先で机を叩くと、今度は柔らかい波動と共に拡散した。
波動はカズヤに接触するも感触らしい感触はなく、するりと透過して店内いっぱいに広がっていく。
狐に化かされているような不可思議な現象だったが、カズヤはその正体に心当たりがあった。
「あんた、魔術師だったのか」
「ええ、スキルを含めて探索者特有の能力は、ダンジョンの外では使用できません。正確には、一度くらいならば使用できないこともないのでしょうが、積み上げてきた身体強化やスキルの熟練が一瞬で霧散してしまう。よって今お見せしたものは、ダンジョン由来ではない正真正銘の魔術ですよ。もっとも、初歩中の初歩である【静音】の術式に過ぎませんが」
いきなり魔術を披露しておいて何を言わんとしているのか、意図が掴めずかえって警戒を強めるカズヤに、アスカルトスはにこりと笑いかけた。
「私の魔術で周囲とは音を遮断していますから、会話の内容が聞き咎められる恐れはありませんよ。言ったでしょう、私は貴方と言葉を交わしたいのだと」
「ご指名のところ悪いが、俺は魔術の存在を知ってこそいるが魔術師じゃない。そもそも、魔術はおいそれと他人に見せるものではないと聞いてるけどな。どうしていきなり手の内を明かすような真似をしたんだ?」
否定と質問を兼ねたカズヤの答えに対し、アスカルトスは一瞬だけ顔をしかめたものの、すぐに笑顔の仮面で表情を覆い隠すと、鞄から取り出したタブレットを机の上に置き、一本の動画の再生を開始した。
その動画は密林の中を疾駆するカズヤを映したもので、軽やかな身のこなしで生い茂る木々の間を駆け抜けた後、探索者としても桁外れの跳躍と手品のように姿を消すところまでが克明に記録されていた。
「妹から譲り受けた、先日の映像記録です。斥候役として、仲間に正確な情報を伝えるため、小型のビデオカメラは随分と使い勝手が良いそうですよ」
「……盗撮だ、とかくだらない難癖をつけるつもりは無いんだが、一つだけ確認させてくれ。あんた、何が目的だ?」
ここまで明確な証拠を握られている以上、白を切る意味は皆無に近い。対応を決めるためにも、まずは相手の出方をうかがおうと尋ねてみれば、アスカルトスは一呼吸置いて安物の珈琲を口にした後、その珈琲並みに薄い微笑みと共に答えてのけた。
「三度目となりますが、貴方とお話をしてみたいのですよ。新人探索者の枠を大きく逸脱した身体能力、スキルはおろか魔術の痕跡も残さず姿を消してみせた術理、そして魔術師でもないのに魔術の存在はご存知というアンバランスさ。興味がそそられないわけがないでしょう?」
面と向かって言われてみれば納得がいった。
魔術師という生き物はとかく好奇心が強い。魔術という世界の理から外れた技術体系に手を伸ばそうという者達だから当然なのかもしれないが、そんな人種が魔術師としても探索者としてもイレギュラーであるカズヤに目を付けない筈がないのだ。
そして同時に、これはカズヤにとっての好機にもなりえる話だった。
「そこまで言うなら、あんたの知りたがっている事の一端くらいなら明かしても良い。その代わり、俺の方からも一つ尋ねたい事がある」
「どのようなご質問でしょうか。私としてはあなたの能力についてじっくりと聞かせて頂きたいところですので、まずはそちらの用件から伺わせて頂きますよ」
「じゃあお言葉に甘えて。この刺繍に心当たりはあるか?」
水瓶を模した縫い取りの施された端切れを無造作に手渡す。
カズヤの観察眼は、刺繍を一目見たアスカルトスのまなじりが大きく見開かれ、受け取った手が緊張で一瞬だけ硬直したことを決して見逃さなかった。