絡みつく過去(1)
涼音が部屋から一歩も出てこなくなった。
明瞭簡潔にして不安を煽られる要素しかないその連絡をカズヤが受けたのは、助けを求める涼音を拒絶した二日後、ギルドの片隅で手持ち無沙汰に暇を潰していた時のことだった。
安さ重視の型落ちスマホに届いたショートメッセージの文字を読み流し、返信することなくポケットに突っ込むと、ごった返すロビーの様子をぼんやりと眺める。
頭を空っぽにしたくて採取でもしようと思っていたのだが、いざギルドまで来てみてもどうにも気が乗らず、挙句の果てには新宮寺からの涼音引き籠り報告である。もはや新宿迷宮に潜ろうという気力は、髪の毛一筋たりとも残ってはいなかった。
その瞳は忙しなく行き来する探索者達をつぶさに観察しているようでいて、実態はただの視覚情報として眼球に映し込み、黙々と脳の一部で処理し続けているに過ぎない。
そんな無気力なカズヤの姿を見つけ、気さくに声をかけてきたのは、長期探索用の重装備に身を固めた鉄平であった。
「よう、久し振りじゃねえか。どうしたよ、そんなにしょぼくれて」
「放っとけ。別にしょぼくれちゃいない。そっちこそ、随分と大荷物じゃんか」
脊髄反射的に思考を介すことなく受け答えをする。勘の良いベテラン探索者は普段との違いをそれとなく感じ取ったようだが、あえて触れることなくスルーすると、面倒くさそうに鼻から息を抜いてみせた。
「ギルドからの依頼でな。ほら、ちょい前に斑鳩達が五十階突破を計画しているって話をしただろ。どうやら奴さん達、ギルドには一言も申請せずに、昨日黙って出発したらしいんだわ」
時々勘違いする者がいるのだが、ギルドは決して探索計画の提出を義務付けているわけではない。だが、実力や実績を考慮に入れた計画立案の相談は常時受け付けているし、帰還予定日を過ぎても戻らなかった際の救助をあらかじめ頼んでおけるサービスも行っている。
実際、ギルドに助けられて最悪の事態を免れた探索者がそれなりの人数いるというのは、動かし難い事実であった。
だというのに人目を避けるようにして不意打ちで出発したということは、おそらく電撃的に第五階層を突破し、サプライズ効果で人々の耳目を集める狙いがあるのだろう。自己顕示欲の塊のような正臣らしいやり方といえる。
もちろんギルドとしても、このまま黙って放置するわけにはいかない。万が一にも正臣達の身に何かあれば、たとえ人格面で諸々の問題があったとしても、Sランク探索者をみすみす死地に送り込んだという批判は避けられない上に、所属する探索者を統制できていない弱腰の組織と侮られてしまうからだ。
そんな事態を避けるためにギルドが選択したのは、別の探索者に正臣達を追跡させ、窮地に陥ったら救助せよと依頼を出すことだった。
初めてのお使いではあるまいし、探索中の事故については自己責任の立場を取るギルドからすれば節を曲げた苦渋の決断なのだろうが、動員される方にとってもいい迷惑以外の何物でもない。
お使い先が現在の最高到達階であることも響き、最前線に立つベテラン探索者であり、面倒見が良いことで知られた鉄平にこの依頼がもたらされたのは、ほとんど予定調和ですらあった。
「というわけで、俺達はこれから片道二日半かけての強行軍だぜ。まったく嫌になるねぇ」
「そいつはとんだご愁傷様だな」
気の抜けた口調で合いの手を入れるカズヤに、鉄平は言うべきかどうか少し悩んだ後、意を決したように尋ねてきた。
「俺が聞くのも妙な気がするんだが……化野の嬢ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「……どうしてそう思ったんだよ?」
否定していない時点で認めたようなものだが、鉄平はそれについても指摘することなく、小さく唸ると気まずそうに咳払いをする。
「いや、なに、ここしばらく嬢ちゃんの姿を見かけないから、気にはなっていたんでな。そうかと思えば、お前さんも妙に不機嫌というか、心ここにあらずって感じじゃねえか。老婆心ながら、無謀な小僧共の尻拭いで不在にする前にやれることがあるなら、小さな事でも片付けておきたくてな」
さすがは最前線で命を張り続けているベテラン探索者だと、目を見張るべきところなのだろう。豪放磊落に見えて、おそろしく細かいところにまで気を配っている。
惜しむらくは、カズヤの人格面が成熟しているとは言い難いことだけだった。
「何でもないって。ちょっと意見が合わなくて口論にはなったが、それだけだよ。あんたが気にするような話じゃないさ」
「……そうかい。その言葉を信じさせてもらうぞ。帰ってきてまだ喧嘩しているようだったら、手加減抜きでぶん殴ってやるから覚悟しとけよ」
冗談半分本気半分の忠告を残し、鉄平は身を翻すと少し離れた場所で見守っていた仲間達のところへ去っていった。
彼等がギルドを出て行くのをぼんやりと見送ったカズヤは、幽鬼のような足取りで自分も帰ろうとして――
「失礼ですが、国津カズヤさんではありませんか?」
見覚えのない相手から突然に呼び止められ、ふと立ち止まったのだった。




