迷宮守護者の憂鬱(6)
カズヤが独り言同然で呟いた指摘に、我が意を得たりと頷いたのは新宮寺だ。
「よくぞ気付いたわね。実は比良坂荘は新宿迷宮への裏口も兼ねていて、守護者ならばMagica無しでもダンジョン内部の任意の階層へ転移することが可能となっているわ。普段、比良坂荘で日常生活を送っている守護者達は、いざ担当フロアに探索者がやって来た場合には、ここから転移して先回りし、敵を待ち受けるのだけど……」
「帰郷先からダンジョン内に亮介さんを送り込む手段は、さすがに用意していない、というわけですか」
「私の能力不足を露呈するようで甚だ遺憾ではあるのだけど、概ねその通りよ」
先回りしたカズヤの確認に、新宮寺は言葉とは裏腹に顔色一つ変えることなく、ほぼノータイムで肯定してみせた。
なお本人(?)は能力不足などと卑下しているが、転移魔術の習得難易度を考えれば、Magicaという目印兼儀式具という前提こそあれ、日常的に転移を無数に行使しているダンジョンという存在がどれだけ桁外れかよく分かる。人間社会においても、そして魔術師というこの世の理から外れた者達にとっても。
「一度は帰郷を許した手前、これから追いかけて連れ戻すというのはさすがに無体というものよ。よってリョウ君には、本件に関して連絡および協力要請はしないこととします」
「新宿迷宮の運営方針については、俺なんかがどうこう言う資格は無いとは思うんですが、それじゃあ第五階層はどうするんですか。素通りさせて、あっさり到達記録を更新させてやると?」
「そんなわけにはいかないわ」
新宮寺は少し冷め始めていたお茶で喉を潤すと、はっきりとカズヤの問いを否定した。
湯呑を卓上に戻し、ここまで沈黙を守り続けている少女へと向き直る。
「何らかの事情で本来の階層守護者が出陣できない場合、代役として別の階層守護者に赴いてもらうのが決まりよ。カズ君、能力鑑定であなたの実績欄に表示された内容は憶えているわよね?」
「“第九階層守護者のペット”ですね。俺としては、認めた記憶はこれっぽっちもありませんが」
「じゃあ、あなたを【テイム】した人物というのは誰だったと思う?」
言われるまでもなく、その結論には随分と前から辿り着いていた。
カズヤの視線を受け、涼音がびくりと体を震わせる。駄目押しをするように、声色を一切揺らがせることのない、それこそ機械のような口振りで、新宮寺は無慈悲に宣告した。
「第九階層守護者、化野涼音さん。これから数日の内に、斑鳩正臣を中心とした探索者チームが五十階に到達すると予測されるわ。その時には、あなたに彼等を撃退してもらいます」
しばらくの間、沈黙が降りた。たっぷり五分は静寂が続いた後、涼音が返した言葉は受諾でも拒絶でもなかった。
「どうしても、ですか? 佐々木さん達が帰ってきてくれれば――」
「確かに、Xデーまでに第六から第八の階層守護者が帰還さえすれば、順番的にもこの役目は彼等に割り振られるでしょうね。でも、彼等が間に合う可能性が限りなく低いことくらい、あなただってとっくに承知しているはずよ?」
「そ、れは…………」
今度の沈黙こそは、肯定の返事に他ならない。
過去を振り返ってみれば、第五階層守護者である根岸亮介が引き籠り状態だったため、迎撃態勢に穴が生じたことはなかった。
彼が守護者として模範的過ぎる結果を出し続けてきたおかげで――あるいはそのせいで、そして新宮寺も含めて比良坂荘の住人全員が、まさかこの筋金入りの引き籠りが外出するわけないと思い込んでしまっていたため、代役が必要となる状況を想定できていなかったのである。
そのため他の住人達は、個人的な趣味から新宮寺に頼まれたお使いまで、様々な用事で比良坂荘を留守にしてしまっていた。このタイミングでの斑鳩正臣の登場は、あらゆる意味において涼音にとって最悪の展開と評せるに違いない。何よりも、この問題は過去形ではなく現在進行形であるという点で。
いよいよ追い詰められた涼音は、きゅっと唇を噛み締めると、上目遣いにカズヤを見やり、おずおずと口を開いた。
「カズヤさん、助け――」
「断る」
全てを発声させきることすら許さず、カズヤは伝説の名剣もかくやと思わせる鋭さでもって、涼音の頼みを断ち切った。
これまで築き上げてきた信頼関係など歯牙にもかけず、迷いも容赦もなく一刀両断にしてみせた強い語調に、涼音は気圧され言葉を失ってしまう。
その沈黙をどう捉えたのか、カズヤは一筋の視線すら寄越すことなく、かつてないほどにきっぱりと言い切った。
「比良坂荘に住んでいる以上、いつかこういう日が来るのは理解していたはずだろ。今更になって日和るような真似、俺は絶対に許さないからな。守護者を名乗るつもりがあるなら、人間相手に殺し合いをする覚悟くらい、一番最初に固めておけ」
怒るでも叱るでもなく、ただ強い意志を込めて言葉を吐き出すと、カズヤは返事を待つことなく席を立つ。
呆然とする涼音の眼差しも、敵意すら混ざったチャウ達三匹の視線も、そしてカズヤの言動を観察するような新宮寺の一瞥も、それら全てを背後に置き去りにして、カズヤは全身から拒絶の気配を発したまま、静かに管理人室から立ち去ったのだった。