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隣に迷宮のある暮らし(1)

 化野涼音(あだしの すずね)がその物体と第一種接近遭遇を果たしたのは、去年から一人暮らしをしているアパートへと帰宅する道のりの途中だった。

 隣を歩く真っ黒な毛並みの大型犬が、いきなり唸り声を発したのである。


 学校終わりに直接とある場所に立ち寄ったため着替えておらず、片側に束ねて流している茶色がかった黒髪が制服の背中でさらりと揺れる。化粧っ気が薄いせいであまり目立たないが、穏やかでほっと安心するような雰囲気を纏ったその少女は、突然の愛犬の豹変にくりくりした両の瞳をぱちくりと瞬かせた。


「どうしたの、チャウ君」


 撫で宥めながらチャウが威嚇する方へと目を向けるも、そこにあったのは何の変哲もない街路樹と茂みだけだ。あと、茂みから突き出している二本の足。


「って、足!?」


 およそ街中で見つけてはいけないものを見つけてしまい、思わず声が裏返る。

 驚いて体を揺らした拍子に、両肩に乗っていた白猫と小型の猛禽が落下しかけるも、慌てて体勢を立て直して事なきを得る。

 二匹に謝罪しながら元凶である路上の足をこわごわ観察してみるが、見間違いや幻覚の類ではないようで、どれだけ目をこすっても煙のように消えてなくなることはなかった。


 涼音の位置から確認できるのはほつれかけのジーンズを履いた左右の足だけで、腰から上は茂みに隠れているのだが、思い出したように爪先がぴくぴく動いているところからして、どうやら胴体と切り離されているわけではないらしい。


 大都市のど真ん中でバラバラ死体に遭遇というホラー展開は回避したことをひとまず安堵しながらも、結局は道端に寝転んだ人がいるという事実に変わりはない。どうしようかと一瞬だけ悩んだ涼音であったが、知らんふりをする方が後々気になって精神衛生上よろしくないという結論に達し、意を決するとそろそろと近付いてみる。


「あのう……生きてますか?」


 おそるおそる覗き込みながら声をかける。呼びかけに反応したのか何者かがぶるっと震え、葉っぱの奥から悲痛な声が届いた。


「……腹……減った……」


 駄目押しとばかりに、盛大な腹音がぐぎゅるうと木霊する。

 急病人だったらどうしようかと心配していたのだが、どうやらただの空腹だったらしい。

 ひとまず胸を撫で下ろしたところで、涼音は鞄の中に未開封の惣菜パンが入っていることを思い出した。昼食用にと買っておいたのだが、諸々の事情で食事のタイミングを逃してしまい、結局手を付けていなかったのだ。


「えーと、お腹空いているなら食べますか、これ……ひゃっ!」


 威嚇してくる保護犬を餌付けする気分でそっと差し出してみれば、茂みを突き破ってがっしりとした手が飛び出してきた。思わず悲鳴を発してのけぞってしまうも、伸ばされた手は素早くかつ正確にパンをひったくり、瞬きすら許さぬ俊敏さで茂みの中へと戻っていく。


 涼音をかばうように素早くチャウが茂みとの間に割って入るが、それ以上何かが飛び出してくることはなく、代わりにぶちぶちと包装を破り捨てる音と、がつがつと食料を咀嚼する音が聞こえてきた。

 やがて呆気に取られているうちにそれらの音は唐突に止み、次に茂みを割って姿を現したのは手足の主だった。


 黒目黒髪の日本人と思しき青年。顔の造作は彫りが深く、目鼻立ちがはっきりとしている。素材は悪くないのだが、無精ひげと旅の埃のせいでワイルドの範疇を飛び越し、野生側にメーターが振り切れているのが玉に瑕か。


 年季の入ったバックパックを片手に提げた青年は、威嚇の唸り声を漏らしているチャウなど眼中に無いかのように涼音の前に進み出ると、次の瞬間、ノーモーションで五体投地した。


「ふえっ!?」

「助かった! あんたのお陰で命拾いしたよ。久しぶりに帰国したんだけど、金が尽きてるってのを忘れててさ。危うく行き倒れるところだった!」

「い、いえ、大した事じゃあ……」

「いやいや、俺の感謝を伝えるにはこの程度じゃ全然足りない。今は持ち合わせが無いが、このお礼はいずれ必ずさせてもらうんで」


 ぐいぐい迫る青年に気圧されてしまい、涼音は目を白黒させる。だが、涼音がキャパオーバーになる寸前で青年は唐突に立ち上がると、あたふたする少女の顔を真剣な瞳で見つめてきた。


「いつかするお礼のためにも今は道を尋ねたいんだが、新宿迷宮にはどう行けばいいか教えてくれるか?」

「新宿迷宮ならこの道を真っ直ぐ行って、突き当りに地下鉄への階段がありますけど……もしかして、ダンジョンへ入るつもりですか?」


 涼音自身がそこから戻ってきたばかりなので、道順の説明に澱みはない。加えて、ようやく言葉を差し挟むタイミングができたため、疑問がふと口を吐いて出てしまった。

 すると青年は大きく頷いて、


「ああ。手っ取り早く生活費を稼ぐなら、新宿迷宮に潜るのが一番簡単だろ? こんな格好じゃまともなところは雇ってくれないだろうし、自慢じゃないが今夜の宿すら当てが無いもんで」


 確かに、汚い以外の要素を探す方が難しい今の格好では、面接どころか店に足を踏み入れた時点でつまみ出される未来が濃厚だ。その点、新宿迷宮は規定により誰にでも門戸を開いている。迷宮を探索して価値のある物を回収してくることができれば、買い取りで当座の金は作れるかもしれない。


「えーと、違っていたらすみませんが、ダンジョンに入るのは初めてですか?」

「お、よく分かったな。噂には聞いていたけど、実際に中を見たことはないんだ」

「だったら、まずはギルドで探索者登録が必要ですよ。登録証が無いとダンジョンには入れませんし、登録するだけで使わせてくれる設備もありますし。ギルドは迷宮入り口の隣に併設されているから、案内板に沿って行けば迷わないと思います」

「そうだったのか。いや、何から何まで世話になってすまない。早速行ってみるよ。じゃあ!」


 爽やか笑顔で片手を上げ、青年は踵を返して歩き出す。そのまま颯爽と立ち去るかと思いきや、二、三歩進んだところでぴたりと立ち止まると、くるりと百八十度回転した。


「あやうく忘れるところだった。落ち着いたら是非お礼がしたいから、あんたの名前を教えてくれないか。ちなみに俺は国津(くにつ)カズヤだ」


 満面の笑みを浮かべているつもりなのだろうが、風貌のせいで蛮族が獲物を前に舌なめずりをしているようにしか見えない。

 涼音はこれ以上関わるまいと心に決め、密かなコンプレックスである己の胸よりも平坦な口調で答えた。


「少女Aでお願いします」

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