迷宮守護者の憂鬱(4)
「斑鳩正臣に決まってるじゃない! あいつ、まだしつこく付きまとってくるのよ。うんざりしちゃう!」
怒髪天を衝くところまではあと一歩及ばないが、まなじりを吊り上げ、積もりに積もった不満をここぞとばかりにぶちまける。
賢くも半歩後ろに下がり、主人の勘気に触れぬよう巧みに立ち回っている涼音のペット達三匹と、『どうにか宥めてくれよ。飼い主だろ?』『無理に決まってるだろうが、馬鹿め』を意味するアイコンタクトを瞬時に交わしたカズヤは、貧乏くじを押し付けられ渋々ながら確認してみた。
「斑鳩正臣というと、人の話を聞かないあの口だけ小僧の事、だよな?」
「他にあんな自慢話大好き人間がいるなら、是非教えてもらいたいくらいだわ。いえ、アレがもう一人存在するなんて知ったら殺意のあまり発狂しかねないから、私が知らない間に始末しておいてもらわないと!」
「うひっ!?」
目をぐるぐるさせて支離滅裂かつ物騒な事を口走り始めた涼音に、思わず気圧され後退ってしまうカズヤ。
そこに口を挟んできたのは、興味津々であることを隠そうともしない新宮寺であった。
「私が聞いている話が真実なら、その子はカズ君との探索勝負に敗北したから、スズちゃんへの勧誘を禁止されたのではなかったかしら?」
普通の感性を備えていれば、爆発寸前といった形相で当たり散らしている少女に自分から声をかけにいくなど、蛮勇を通り越してマゾが疑われて然るべきところなのだが、生憎とこの新宮寺圭なる人物だけは、いまだに何を考えているのか読めない時がある。
今回も、彼女が知っている勝負の結果との不整合が気になったのか、見えているどころかネオンでライトアップされている存在明白な地雷を踏み抜きにいった。
「そうなんです! 誰に入れ知恵されたか知らないけど、『勧誘は禁止されたが自発的に参加したくなるならば約束違反にはならない』とか訳が分からない理屈をこねて、やれもう三十階を突破しただの、他人のスキルと連携して威力を倍増させる秘密技術を開示しても良いだの、頼んでもいないのにあちこち先回りして聞かせ続けてくるんですよ!!」
一息に言い切ってぜえはあと荒い呼吸をする。魔獣すら尻尾を巻いて逃げ出しかねないその剣幕は、そろそろ近所迷惑で苦情が来るのではと心配せねばならない領域に達しつつあった。
「そいつはどうにも、面倒な奴に目を付けられたな。しかし、あれだけ無駄にプライドが高ければ、立ち直ったとしても真っ先に俺に再戦を挑んでくるとばかり思ってたんだが……当てが外れたというか、少しばかり予想外だ」
あの手の輩は、往々にして目的と手段を取り違える。
紆余曲折こそあったものの、元々は涼音を勧誘するために勝負を挑み、代理決闘のような形とはいえ返り討ちに遭ったのが発端だった。そこで矛先が再度涼音に向かわぬよう、わざとプライドを傷つけるように罵り、公衆の面前で恥をかかされたと感じるよう仕向けておいたのだ。
そうしておけば、まずはカズヤへ雪辱を果たしに来るだろうと読んでいたのだが、どうやらその仕込みは見事に外されてしまったらしい。
正臣本人が冷静になり、カズヤへ突っかかるだけ無駄であることに気付いた可能性もゼロではないが、そこまで物事を考えられるならばそもそもあんな騒ぎは起こしていないし、涼音へのアプローチが的外れであることにも気付くはずだ。
となれば、何者かに中途半端な種明かしをされたと考えるのが、最も妥当な線だろう。
「そういえば、あいつに関しては鉄平から噂を一つ聞かされたな。えーと確か、名誉挽回の一発逆転を狙って、第五階層突破を企んでいるらしい」
涼音からの圧力が弱まったおかげで少し余裕を取り戻し、カズヤはついさっき仕入れたばかりのネタを披露する。
これに対する涼音と新宮寺の反応は、実に両極端なものだった。周囲の目を憚ることなく、ガッツポーズで喜びの感情を爆発させたのは涼音である。
「本当に!? やった! あんな奴、根岸さんにけちょんけちょんにされちゃえばいいのよ!」
涼音が大喜びする理由が咄嗟に思い当たらず、カズヤは脳裏を疑問符で埋め尽くしてしまう。
焼肉店での鉄平の態度を思い返してみても、第五階層を突破するというのは一筋縄には行かなそうだという点だけは想像がつくのだが、そこでどうして人見知りで引き籠りな隣人の名前が出てくるのか、さっぱり見当がつかなかったのだ。
そしてもう一人、涼音の言動の理由を知っていると推測される新宮寺は、しかし、ひどく言いづらそうに口を開いた。
「その件に関して、スズちゃんには重要なお知らせがあります……」
「どうしたんですか? 珍しく歯切れが悪いですけど」
「実は……リョウ君は留守にしているのよ」
「え?」
「妹さんの結婚式が決まったらしくて、大慌てで帰郷したわ。ここ最近は挑戦者もめっきり現れなくなったから、長くても一週間くらいだというので問題無いと思って許可しちゃったのだけれど……ほんの数分ほど前に、大慌てで出て行ったところよ」
努めて冷静さを保ちながら、なるべく簡潔に事実だけを述べる新宮寺。確認するかのように涼音から視線を向けられ、カズヤも神妙な面持ちで頷いた。
「ああ、間違いない。ついさっき大荷物を抱えた根岸さんとすれ違ったからな」
「嘘、でしょ……?」
愕然とした表情で涼音はがくりと首を折る。どうして根岸亮介の不在にここまでショックを受けているのか、その理由がさっぱりなカズヤをのけ者にして、新宮寺が決定的な一言を放つ。
「スズちゃん、察しはついていると思うけど、リョウ君の代役を務められるのはあなたしかいないわ。守護者として、新宿迷宮を侵略者の脅威から守って頂戴」
要請の形式を取った命令に、涼音は言葉を返すことができなかった。