迷宮守護者の憂鬱(1)
その日、チームの仲間達と共にギルドへ帰還した鉄平を待ち受けていたのは、腕組みをして仁王立ちとなったカズヤであった。
探索に臨む際の装備ではなく、街歩き用のカジュアルな上下一式を身に着けている。
「遅いぞ、鉄平!」
「藪から棒にどうしたよ? ギルドにそんな恰好で来るとは珍しいじゃねえか」
今日は本格的な探索はせず、メンバー間の連携を調整するあっさり目の訓練だけだったため、時刻はまだ夕方にもなっていない。
何か問題でも起きたのかと、買い取りや武器防具の洗浄といった後片付けは仲間に任せ、並んでいるベンチに腰を下ろして話を促せば、カズヤは鼻息も荒く要求した。
「この前の約束を果たしてもらおうか。さあ、俺を焼肉に連れて行けっ!!」
「ああー、その件か」
別に忘れていたわけではないが、てっきり勝負のすぐ後か遅くとも翌日には言い出すと思っていたのに、予想に反して全くそんな素振りを見せないため、鉄平から誘うのも何か違う気がしてしまい、結局あれから三日の時間が過ぎている。
どうして今頃になって急に約束の履行を求めてきたのか、少し興味が湧いたので尋ねてみれば、カズヤは胸を張って自慢げに答えた。
「せっかくのタダ飯なんだぞ。体調を整えて、ベストな状態で挑むべきだろ」
「勝負の時よりも本気じゃねえか、こいつ。まあ構わんがな。探索の後始末が終わったら、うちの連中を連れて打ち上げに行こうと思ってたところだし、お前さんも一緒に来な。今日は中華の気分だったんだが、焼肉に変更してやるからよ」
「よっし!!」
鉄平が気楽に了承すると、カズヤはガッツポーズで喜色を表す。
呆れるほど素直な反応を目の前で見せつけられ、鉄平は思わず苦笑してしまう。気合の入り様からして分かっていたことではあるが、相当に焼肉食べ放題を楽しみにしていたようだ。
そんな微笑ましいやり取りから二時間後、空調のお陰でこれっぽっちの煙臭さもない清潔な個室において、鉄平は網の上から一向に枚数が減る気配のない肉の数々を、虚ろな瞳で流し見ることしかできなくなっていた。
誰も手を出さないので減らない、というわけではない。
むしろ正反対で、とある一名が焼けた途端に育った肉を回収し、空いたスペースにすぐさま次の一枚を置いてしまうため、焼き網の休まる時が無いのだ。
その一名、つまりカズヤはといえば、入店直後から一切変わらぬ安定したペースを淡々と刻み、噛むではなく飲み込んでいるのではと思わせる速度で肉を嚥下している。
「お前さん……どれだけ食う気だ……?」
気を抜けば逆流しそうな膨満感に抵抗しながら、鉄平は絞り出すように声を発した。それだけで胸焼けの気配がせり上がってくるが、どうにかこうにか耐えしのぐ。
どこからどうみても息も絶え絶えといった有様だが、これは決して体調不良の類ではなく、単なる食べ過ぎが原因なのは、積み上げられた空き皿の数からも明白であった。
平らげた肉の量を思い返してみれば、他の可能性など検討するだけ馬鹿らしいと馬鹿でも分かる。
ちらりと左右に目をやれば、鉄平の仲間達もリーダー同様にグロッキー状態でテーブルに臥せっていた。
彼等も一様に、食べ過ぎ飲み過ぎで動けなくなっているらしい。
この惨事を招いた張本人は、鉄平の向かいの席で今現在もブラックホールのごとく高級肉に舌鼓を打っているというのに。
探索者は体が資本の体力商売であり、必然的に健啖家が多い。鉄平の仲間達も例に漏れず、わざわざ体調を整えてまでこの日に備えてきたというカズヤの気合の入りっぷりに感化され、誰からともなく大食い勝負が始まってしまったのである。
そんなわけで常ならぬハイペースでタンパク質と炭水化物を摂取し続けた結果、こうして死屍累々となったのは自業自得以外の何物でもない。
それにしても異常なのは、いまだに箸が止まる気配すら見えないカズヤの消化器官だろう。
正確にカウントしていたわけではないが、ざっと数えてみただけでも、たった一人で鉄平の仲間全員に匹敵する量を完食済みなのは間違いない。
別腹という次元を超越し、物理的にどこに収まっているのか、解剖して確かめてみたくなるほどだ。
「どれだけって、腹一杯になるまでに決まってるじゃんか」
「これだけ食って、まだ入るってのかよ……一体、いくつ胃袋を持っていやがる……」
「んー、ちゃんと数えたことはないけど、十五、六個ってところじゃなかったかな」
箸を咥えたまま指折り数えてみせるカズヤ。頭では冗談と分かっているのだが、少しも緩まない食事速度を目の当たりにしてしまうと、もしや本当に十を超える胃袋を持っているのでは、と疑ってしまいそうになる。
「あー、ところでカズヤさんや。ちょいと言いづらいんだが……」
「ほうはひはほは?」
大量のカルビを口いっぱいに頬張りつつ、カズヤが首をかしげてくる。
鉄平が視線を逸らしてしまったのは、見ているだけで吐きそうになってしまったからか、あるいは約束を反故にしなければならない事に、一抹の罪悪感を抱いてしまったからか。
「すまんが、ここいらで勘弁してくれねえか」
「勘弁?」
「情けない話なんだが、今月はいろいろ入り用だったもんで、カードの限度額がそろそろ厳しいんだわ。お前さんに奢るくらいならどうにか足りると踏んでたんだが、まさかここまで食うとは思っていなかったというか……うぷっ」
縋るような眼差しで頼み込む。
奢っている方が奢られている方に頭を下げるという奇妙奇天烈な光景であったが、最初に焼肉食い放題の条件を提示したのが鉄平である以上、どちらに理があるかは言うまでもない。
とはいえカズヤも暴食の鬼というわけではない。そこはかとなく残念そうな表情は浮かべながらも、友人の懇願を無慈悲に突っぱねるような非道な振る舞いまではしなかった。
「そういう事情なら仕方ないか。無い袖は振れないって言うもんな」
「うう、すまんな。恩に着るぜ」
「気にするなって。本当は今日の食い溜め分で一月もたせるつもりだったけど、それでも腹八分目まで埋まったから、まあ二週間くらいは耐えられるだろ」
「……くそう、ツッコミの余地しかないってのに、今突っ込んだら絶対に吐き戻す自信がありやがる……!」
むざむざ機を逸する悔しさに歯噛みしながら唸っていると、声のトーンをがらりと変えて、見計らったようにカズヤが身を乗り出してきた。




