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幕間

「興味深いじゃないか」


 その場には二つの影があった。

 しかし、両者は対等ではない。照明が落とされているので細かい顔の造作や恰好までは判然としないが、片方はソファに悠然と腰かけて壁掛けのスクリーンを眺めているのに対し、もう片方は膝をついて頭を垂れているとなれば、その関係はおおよそ推測が立つ。


「実に興味深い」


 そのうちの前者。傅かれている人影が極めて強い好奇心を瞳に宿らせ、ほんの数秒前と同じ言葉を繰り返した。

 投影されている映像から視線を外し、傍らに跪いている従者へと尋ねる。


「当然だがこの映像は無加工で、観測機器の故障も記録されていないのだろうね?」

「はい」


 簡潔な肯定で答えたのは、女性のものと思しきソプラノボイスだった。


「光学装備、記録媒体共に、起動時及び使用後のチェックにおいて不具合は検出されておりません。対象以外の記録映像にも特筆すべき点は見当たりませんので、機器に由来する画像の乱れが発生していた可能性は極めて低いと考えられます」

「結構。ひとまずはそれで十分だよ」


 納得のいく報告を聞いて満足そうに頷くと、人影は再びスクリーンへ目をやった。

 一定時間でとある場面を繰り返しているその映像は、丁度何週目かのループ先頭に戻ったところで、対象を発見したところから始まっている。


 最初は画面の端で小さな染みが蠢いているようにしか見えなかったのだが、焦点が絞られ徐々にズームアップしていけば、最終的に望遠レンズが捉えたのはとある探索者の姿だった。


 二本の剣鉈を左右の腰から提げているのは、つい先日、Sランク探索者との小競り合いで奇跡の逆転勝ちを収め、主に賭博客の財布に悲喜こもごものドラマを引き起こした採取専門の新人。名を確か、国津カズヤといったか。


 彼は周囲に人目の無いことを念入りに確かめている様子だったが、百メートル以上離れた物陰から見張られているとはさすがに気付けなかったらしく、警戒を解くとおもむろに一本の大樹の下に立ち、大きく膝を曲げるや溜め込んだ反動を利用して跳躍した。


 地面に叩き付けた鞠さながらに垂直方向へ急速に上昇したかと思うと、幹から突き出している太い枝を掴み、逆上がりの要領で枝の上へと自身の体を引っ張り上げる。

 それにしてもなんという身軽さか。目測ながら軽く身長の倍は跳び上がっていた。一呼吸の間に枝の上へとよじ登ってみせた身のこなしにも、もたつきの類は一切感じられない。


 だが、パフォーマンスはそこで終わりではなかった。

 樹上の住人となったカズヤは、足場のしなりを巧みに利用して枝から枝へ跳び移り始めたのだ。猿を彷彿とさせる軽快な跳躍を披露し、枝の上という不安定な足場でありながら、地上を駆け抜けるのと何ら変わらない速度で密林の奥へと分け入っていく。


 それもただの奥地ではない。

 新宿迷宮の一階層に精通した者ならば、彼が踏み込んでいった先が剣角鹿の縄張りであるとすぐに気付くだろう。

 不可侵とされている魔獣の領域に侵入するとは、一体いかなる目的があるというのか。


 その問いに答えが返るわけもなく、記録は終盤に差し掛かる。しかし、そこに残されていた光景こそ、従者が持ち帰った情報の中で最も度肝を抜かれる場面であり、主が強い興味を示した理由でもあった。


 なぜならば枝を蹴って勢いよく空中に飛び出したカズヤの姿が、まるで特撮の瞬間移動シーンか何かのように、突如として掻き消えたのである。


 あまりにも唐突かつ脈絡のない消失。録画機器の故障を疑ってしまうのもむべなるかな。一般常識が通用しないダンジョン内での出来事とはいえ、いくらなんでも突拍子がなさ過ぎる。

 ところが、一部始終を鑑賞していた主の声音は、いたって落ち着いていた。


「なるほど……一見無茶だが、その実態は理に適った選択だ。剣角鹿は頭部に備わった重量のある角のせいで、他の魔獣と比べて視界が下がりがちになり、比較的ではあるが上方が手薄となる。樹上を伝って移動すれば、補足される可能性を最大限に減らせるという判断なのだろう。モーリュ草が剣角鹿の縄張りにしか生えず、それゆえに幻と呼ばれている事実も、彼にとっては既知と見て間違いないね」


 己の思考を整理するためか、口に出して推測を語る。こうやって解説されれば、カズヤがわざわざ木登りをしていた理由にも納得がいく。

 もっとも、それよりも遥かに巨大な疑問が、最低でも二つは控えているのだが。


「探索者はダンジョンへ潜り続けることで、少しずつだが肉体性能が向上する。これは年単位の追跡調査で実証されているが、逆に言うならそれだけの時間をかけねば、肉体性能の明確な向上は見込めないという意味だ。ところが、彼は探索者登録からまだ一週間も経っていなかったとか。だというのにあの跳躍力は、そもそも人間という生物の限界値を上回っていると言う他ない」


 従者が差し出したグラス入りのワインをゆったりと回しながら、主は第一の疑問を言語化した。

 もとより返事を期待してのものではないため、従者が一言も発さず黙って顔を伏せていても、気にかけることなく先を続ける。


「そして何より、君の観測機器ですら彼の行方を見失った最大の原因。すなわち姿の消失だ。報告されているスキルの中に、あの現象を説明できるものは無い。スキルの中では、ね」

「と、いうことは……?」

「ああ、もしかすると彼は我々の同類かもしれないというわけさ。この画像だけではとても証拠にならないので、断定はできないがね」

「探りを入れましょうか?」


 忠実な従者の提案に、しかし主は愉しそうに微笑むと首を横に振った。


「そんな面白そうな事を私から取り上げようとするなんて、君は本当に悪い従者だな」

「!? いえ、そのような! 申し訳ありません、出過ぎた真似を申しました!」

「ふふふ、本気にしないでおくれ、僕の可愛いお人形さん。ちょっとした戯れだとも。私が君を嫌いになるわけがないだろう? ともあれ、彼の方はこちらで引き受ける。君は当初の予定通り、例の駒を上手に活用しておくれ。せっかく連れてきたのだから、使わなければ勿体ない」

「かしこまりました。しかし、その駒ですが精神面の落ち込みようが想定より大きく、復帰には少々時間がかかりそうです」


 こっそりと胸を撫で下ろした従者が、動揺を表に出さぬよう気を配りながら、淡々と事実を報告する。

 そんな心の内などお見通しとばかりに、主は口元を淡く綻ばせた。


「なに、いざとなれば傀儡にしてしまえばいいのだから、少々手荒でも構うまいよ。それにあの手の輩は、切っ掛けさえ与えてやれば、案外ころりと立ち直るものさ」

「承知致しました。すべては主の御心のままに」

「うん、よろしく頼むよ。世界に正しき調和をもたらすために」


 従者は無言で頭を下げ、肯定の返事に代える。頷いたことで露わとなった彼女のうなじには、水瓶を模した意匠が刻印されていた。

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