決闘狂想曲(6)
カズヤがようやくギルドへ戻ってきたのは、制限時間のぎりぎり一分前のことだった。
体中の至る箇所に出血の痕跡があるずたぼろな有様で、怪我らしい怪我もなく剣角鹿の討伐を成し遂げ帰還済みの正臣達と比べれば雲泥の差がある。
よろよろとした足取りで採取成果を収めた袋を査定受付に提出し、身を投げ出すようにしてベンチに座り込む。
慌てて駆け寄った涼音にこびりついた血痕や泥汚れを拭かれながら待つこと数分。査定結果の明細が発行されると、カズヤは中身を確かめもせず鉄平へ紙片を投げて寄越した。受け取った鉄平はちらりと目を通した後、すでに勝利を確信して寛ぎきった雰囲気を漂わせている正臣達へ声をかけ、全員を引き連れてロビーの片隅へと移動する。
「お待ちかねの結果発表の時間だぞ! 野郎共、耳の穴かっぽじってよぉく聞きやがれ!!」
「さっさと発表しろよっ!」「こちとら今日の稼ぎを全部注ぎ込んでるんだ。期待を裏切るんじゃねえぞっ!!」「頑張ってー、正臣きゅーんっ!!」
マイク抜きでもロビー中に轟くほどの大声で鉄平が煽り立てれば、ボルテージが最高潮となった観客達が大騒ぎで応じた。
巻き起こる興奮の渦をなだめるように「落ち着け」のジェスチャーを繰り返し、大波が小波となった頃合いを見計らって、鉄平は両手に一枚ずつ紙切れを摘まみ上げる。
正臣達とカズヤ、それぞれの買い取り明細書であることは探索者でもある観客達には一目瞭然であり、必然的に無数の視線が薄っぺらな紙片へと注がれる。
勿体を付けるように、ひどくゆっくりとした動作で顔の高さまで両手を持ち上げた鉄平は、大きく息を吸い込むと右手に持った紙を高々と頭上にかざしてみせた。
「勝者は――国津カズヤっ!!」
『うおおォォ!?』
怒声、嬌声、大歓声。
下馬評では圧倒的不利とされていた新人の名前がコールされ、一銭の価値も無くなった賭け札がばらばらと宙を舞う。
お祭り騒ぎを通り越して狂奔状態に突入しかけた一同の熱狂は、しかし悲鳴にも似た絶叫によって遮られた。
「う、嘘だっ!!」
引き攣り気味の声でわめき立てたのは、大方の予想通り斑鳩正臣であった。勝利を信じて疑っていなかった寸前までの余裕はもはやどこにも残っておらず、真っ赤になった顔面からは湯気が噴き出さんばかりとなっている。
「不正だ、インチキだ! 僕がそんな初心者なんかに負けるわけない!! 分かったぞ。あんたがそこの初心者と知り合いだから、結果を誤魔化したんだなっ!?」
「いや、そんな事言われてもなぁ。結果はこうしてはっきり出ているんだぜ。査定結果に不満があるなら、ギルドに文句を言ってくれや」
見苦しい敗者の悪足掻きに、醒めた表情で鉄平は苦言を呈する。
正臣は差し出された明細を引っ手繰ると、鬼の首でも取ったかのように声を裏返らせた。
「よく見てみろっ、僕達の狩ってきた剣角鹿の方が高額査定になっているじゃないか。これが不正じゃなくて何だと言うんだ!?」
「そりゃあそうだろ。明細に載っているのは頭割りする前の総額なんだからな」
「……は?」
線の細い中性的な顔を硬直させ、鳩が豆鉄砲を食ったような表情で動きを止める正臣。鉄平は仕方ないと言いたげに肩をすくめると、噛んで含めるように解説した。
「探索者はチームで仕事をするもんだから、仲間と協力しての狩りはルール違反にはならん。だが勝負はあくまで一対一、お前さん個人とカズヤのものだろ。だからチームで獲得した査定価格は人数割りして、一人頭に揃えるんだよ。最初にそう説明しただろうが」
「な、んな……」
どうやら記憶に残っていなかったようで、パクパクと口を開閉させる正臣。すがるように横目で仲間達を見てみれば、一様に首を横に振るか、居心地悪そうに視線を逸らされた。
当然だが、彼等は鉄平の説明を聞き洩らしてはいなかったらしい。
ギギギと錆びた音がしそうな挙動であらためて明細書を確認してみれば、総額では及ばないとはいえ、カズヤの回収してきた資源は正臣達の約七割に迫る額面となっていた。
これならば正臣達の方を四等分すれば、カズヤの方が高額となるのも道理。それどころかダブルスコアさえつけられたことになる。
「信じられない。初心者ごときがどうやって……!?」
声を震わせながら、どこかに誤りがないかと目を皿のようにして確認する。
しかし正臣が見つけたのは、彼が望んでいたものとは正反対の情報であった。
「回収資源の名称はモーリュ草? そんな名前、初めて聞いた――っ!!」
言葉半ばで弾かれるように振り仰いだ先は、時々刻々と更新される買い取り価格を示した、巨大な電光掲示板だ。
階層ごとに分けられている掲示板のうち、第一階層の買い取り素材では剣角鹿の角や毛皮といった資源が、最上位の価格帯を形成している。
だが、それらの中にあって燦然と輝く最も高価な素材こそ、正臣をして過去一度も見たことすらない幻と呼ばれる植物資源、すなわちモーリュ草であった。
「く、くそっ! どうやった!? 一体どんな卑怯な手段を使って、モーリュ草なんて代物を入手したんだ!?」
口から泡を飛ばしながら、正臣はベンチで体を休めているカズヤへ掴みかかる。
しかしカズヤは、怪我人らしからぬ余裕に満ちた身のこなしで、半狂乱となっている正臣の手をするりと掻い潜ると、興奮状態のSランク探索者と真正面から相対し、口の端をわずかに歪めてみせた。
「おいおい、大事な企業秘密をそう易々と明かすわけないだろ。探索者の持つノウハウは、能力鑑定の結果と同じように秘匿して構わないんだからな。言うなれば切り札ってやつだ。それをこんな人目につく場所でほいほい明かしてみせるほど、俺は脳味噌お花畑にはなっちゃいない。よそのダンジョンでの実績を笠に着て、何でもかんでも自分の思い通りになると勘違いするようなお子様ならいざ知らずな」
痛烈な皮肉が敗北を喫した正臣に突き刺さる。
すでに勝敗が明確となっている以上、ここからどんなに言葉を並べ立てても、それは負け犬の遠吠えにしかならない。
言われずともその事実を理解させられ、正臣は怒りのメーターを振り切って能面のごとき無表情となってしまうが、すぐに瞳を潤ませ表情筋をくしゃくしゃにしたかと思うと、止める暇もなく脱兎でギルドから飛び出していってしまった。
斑鳩正臣十八歳。公衆の面前でのガチ泣きである。
一瞬、自分達のリーダーが選んだ逃走という手段に唖然とするも、正臣を追いかけてチームメンバーの少女達も慌てて走り去ってしまう。
それを冷めた目で見送ったカズヤの肩をポンと叩き、鉄平が小声で尋ねてきた。
「最後の挑発は余計だったんじゃないのか? 逆恨みされるかもしれないぜ」
「別に恨みたけりゃ恨めばいいだろ。これまでだって完全無欠で清廉潔白に生きてきたつもりはないしな。息を吸って吐いてりゃ、しがらみの一つや二つ、勝手に増えたっておかしくはないさ」
「かあー、やだやだ、格好つけやがって。まあ、そうやって奴の矛先を自分にだけ向けさせりゃ、嬢ちゃんにちょっかいを出される可能性も減るしな?」
「……勝手な解釈をするなよ。俺はただ、面倒くさいガキに絡まれていい加減うんざりしたから、ストレス解消を兼ねて凹ませてやっただけだっての」
「ああ、そうだな。そういう事にしておいてやるとも」
にやにやと意味ありげな笑顔の鉄平相手では、下手に否定すると逆効果になるのは目に見えている。
溜息と共にカズヤが視線を逸らすと、どこか苦しそうな表情をした涼音が目に入った。本来であれば無関係だったカズヤを巻き込んでしまった上に、傷だらけになるまで体を張らせてしまったことに、遅ればせながら罪悪感を抱いたのだろう。
勝敗が決まるまでは興奮が上回っていたのでその罪悪感も表に出てこなかったが、カズヤが勝ったことで緊張が緩み、抑えられていた感情が浮かび上がってきたのだ。
どうするべきか一瞬だけ悩んだカズヤであったが、腹を決めたのか問題無しの意図を込めてサムズアップしてみせる。
送られたサインに気付き、涼音は大きく目を見開くと、強張っていた頬を緩め、深々と頭を下げたのだった。