淑女は実況する
「人気者がイケメンに餌付けしようとしている」
「イケメンは嫌がりながらもクッキーを受け取る」
「イケメンはもそもそとクッキーを齧り始める」
「イケメンが突然立ち上る」
「そこで何をなさってらっしゃるんですか!」
「イケメンお怒り」
「卿!」
「アタクシのことですの?」
「そうですよ!」
イケメンは銀髪である。柔らかめで渦巻いている。ぐるぐるである。もじゃもじゃである。耳の下くらいまで伸ばしている。だから広がっている。
「全く、へんな解説をしないで下さいよ!」
「しておりませんわ」
「嘘をつかないで下さい!」
イケメンは緑色の瞳である。新緑色である。露を宿した新芽のようだ。きらきらである。うるうるである。煌めいているのである。
「まあ!酷いのね!」
「何がですか!」
イケメンは垂れ目である。しかし今は少しだけ吊り上がっている。吊り上がっているといっても、多少持ち上がった程度なのである。むしろ眉のほうが鋭角である。そりゃあもうお怒りである。
「淑女騎士に言いがかりなど」
「いつもいつも人の行動を逐一解説なさって」
「ですから、しておりません」
「はあー」
「イケメンがため息をつく」
「ため息もでますよ!」
「どうぞ、いないものとなさって」
「はあー?」
イケメンは声を荒げている。指は長く白い。インドア派まるだしである。運動の出来ないイケメンである。
「騎士は野蛮だとでも思っているのであろう」
「ちょっと!憶測で物を言うんじゃありませんよ、ほんとうに」
「あら、違いましたか?」
「違いますよ!」
「まあ」
「まあ、じゃありませんよ!」
イケメンの脚は長い。とても長い。制服の白いスラックスに包まれている。インドア派の癖に素早く歩く。動きにつれて形の良い腿や脹脛、そして膝が現れる。
「イケメンが足早に近づいてくる」
「近づきますよ!そりゃ!」
イケメンは鼻筋が通っている。すっと縦長の高い鼻だ。鼻先は尖っている。鷲鼻ではない。
「イケメンは美しい鼻である」
「そりゃどうもありがとうございます!」
イケメンの声は美しい。姿に見合う艶のある高音だ。静かな森のせせらぎを思わせる声だ。決して高すぎない。
「イケメンの声は安らぐ」
「クヌートですよ!」
「イケメンの名前はクヌート・オブ・ミルフロレである」
「ああ、もう!」
イケメンが手を伸ばしてくる。長く白い指先が見える。案外節くれだっている。
「グレースさん!」
「イケメンが私の名前を呼んだ」
「いつまで続けるつもりなのですか?」
「イケメンはクッキーを片手に持っている」
イケメンははっとした。無意識だったのだろう。食べ物を捨てるわけにも行かずもじもじしている。
「どうぞ、お気になさらず」
私は背中を向ける。声の届く範囲を離脱する。
「グレース!!!」
出来なかった。
「お離し下さいませ?」
「嫌ですよ」
「イケメン、クッキーはまだ離さない」
イケメンは少し考えてから、クッキーを私の口に押し付けた。私は口を開けない。
「捨てるわけにもいかないし」
イケメンはなおもクッキーを押し付けてくる。私は仕方なくクッキーを手で受け取る。
「言い訳は見苦しくてよ」
私は片手袋を脱ごうとする。
「どなたに決闘を申し込むつもりですか!」
「ふん。代理でも構わなくてよ」
イケメンが手袋を脱がせないように、私の手を押さえる。それなりの力がある。手首も骨張っている。
「インドアのくせに意外である」
「ねえ、いい加減にしなさいよ?」
「それはこちらのセリフである」
「愛想よくしなさいと言ったのはあなたですよ」
イケメンは戦法を変えた。吊り上げた眉を下げ、代わりに私の顔を上げさせる。油のついたほうの手である。やめていただきたい。
「愛想よくなったら解説をやめるのではなかったのですか?」
イケメンの声が甘くなる。日向に置いた飴のようだ。ベトベトしてちょっと食べたくない。
「ですから、しておりませんでしょ?」
「失礼な方だな!」
「イケメンは懐柔できずに恫喝した」
「人が怖がるから指摘するというのも嘘だったんですね?」
「それは嘘ではない」
イケメンは一瞬息を呑む。緑の垂れ目で私をまじまじと見る。
「それは!はっ!」
「イケメンは極端なのである」
「なんのことですか!」
イケメンはクッキーの油がついたほうの手で、私の金髪を触ろうとする。何をする。イケメンの手を払う。
「そんなに私がお嫌いですかっ!」
「全方位に殺人光線を放つのをやめなさいと申し上げましたのよ」
「努力しておりますよ!」
「今度は全方位に流し目を振りまいておられますね」
「違いますよ!」
イケメンは、間髪をいれずに否定した。力強く。きっばりと。怒りすら含んで。
「このクッキーは何ですか?」
「何度も言われたので」
「何度でも断れば良いでしょう?」
「グレース!剣から手を離してください?」
「イケメンは人気者を庇おうとする」
ここは校舎裏である。イケメンは人気者と並んで座っていた。座っていたのは香草香る緑のベンチだ。
「庇ってません!落ち着いてください」
「落ち着くのは貴方でしてよ?」
ベンチは3つある。そこにいた人々はそそくさと立ち去った。関わり合いになりたくないからである。
「人気者は様子を伺っている」
「グレース」
「イケメンはやや疲れた声を出す」
「お願いです」
「イケメンは人気者と待ち合わせをしていた」
「断じて違いますよ!」
「本当かしら?」
「この剣に誓って!」
イケメンは腰に剣を帯びている。インドア派の癖に魔法学園騎士コース在籍である。人気者はクラスメイトである。私は既に騎士爵を得た天才剣士なので、学生でありながら指導員である。指導員権花嫁コースに在籍している。
「イケメンの剣は婚約の記念品である」
「貴女のもでしょう!」
「人気者に証言を求める」
人気者は急に話を振られて気まずい顔をした。
「貴女は何故ここでクヌート殿下を餌付けしようとなさってらしたの?」
「餌付けだなんて!クヌートくんは人間ですっ」
「イケメンが青褪めている」
「君、私は王子ですよ」
イケメンは冷たく言い放つ。凍える寒さで言葉を投げる。投げつける。これでも柔らかくなったほうだ。以前は言葉で人が殺せるほどだった。内容ではない。
その声には殺気が籠る。殺人音声なのである。嘘ではない。暗殺者を声で返り討ちにしたことすらある。この目で見たので確かだ。
「第35王子だから舐められているのか」
「ええっ?失礼な人ですねっ!」
「君、ややこしくなるから黙って」
「私は人気者の証言を聞きたいのである」
「グレース!なんで信じてくれないのですか!」
我が国は実力主義社会である。後継と見定めた優秀な若者は、金に任せて養子にするのだ。王家はすぐ殺されるのでたくさん養子にしておくのである。
イケメンは実子である。王が過保護にしている華奢な王妃の息子である。保険の養子を34人迎えた後で、ようやく出来た一粒種の息子なのである。
しかし実子だからといって、王冠を継ぐとは限らない。それと親の愛情とは別問題である。家族は仲がよろしいようだ。
「ところで」
「なんです?グレース?」
「この人気者は成績優秀であるが」
「いい加減にしてください!クヌートくんも困ってるでしょ」
「指導員が学生と見て見下し、王子が35番目と知って気安くするとは、随分と命知らずな方もあったものですわね?」
「あ、グレース、その辺で」
イケメンがたじろぐ。手首を掴んでいたほうの手が一瞬緩む。私はすかさず振り払う。跡にはなっていなかった。
「ふふ。我が国は実力主義ですのよ?子供になった順番も、年齢制限による所属の序列も、全て実力で覆すことができましてよ?」
「そのくらい知ってます」
「指導員になんて口をきくのですか」
「クヌート君は優しすぎるよ!」
「君、君もそろそろ気をつけなさいね」
イケメンの温度が下がる。0度を下回ったかもしれない。人気者は凍死寸前である。しかし気づかない。素敵とか思っているのだろう。
「だいたいこの人、なんなんですか?偉そうに!授業でも見たことないのに、剣なんか差して。何コースの人なんですか?ファッション剣士なの?そもそもここの学生なのかしら?それにクヌートくんは王子様でしょう?」
イケメンは絶句した。
「アタクシは当校の学生指導員である」
「知らないのも困りますけど、話を聞かないのは騎士として命取りです。先ほどから何度か言及してますよね」
「この様子では、いずれ野垂れ死ぬのである」
「酷いっ」
人気者はきっと睨みつけて涙を滲ませる。さてはイケメン有力者召喚か。何人来るのだろう。剣の腕が立つやつがいたら、すかさず手合わせを申し込むつもりである。
しかし誰も来ない。人気者ではなかったのか。
「クヌート殿下」
「なんだい?」
「この方はもしや、人気者ではなかったのですか?」
「違いますよ。グレースが教えてくれたあれですよ」
「あれとは」
「ええと、なんでしたか、そう、社交辞令」
適当に流すというやつである。人気者は人気者ではなかったのである。いわゆるタメ口くんなのだった。悪気はあまりないのである。
しかし、タメ口くんは可愛らしいからといって、人気者にはなれないのである。むしろ普通の人より憎まれるのである。
「少し気の毒である」
「まだ続けるのですか?」
イケメンは誤解が解けてご満悦である。まちなさい。その油がついた手で何をなさるおつもりか。こら。
「制服にクッキーの油がついてしまいましてよっ!!」
「なあんだ、それで手を払ったのですか」
イケメンは相貌を崩してハンカチを取り出した。今頃か。しかしクッキーをどうしたものか。イケメンのかじりかけである。偽人気者に返すわけにもいかず、私が食べるのも憚られる。
「それ貸して?」
イケメンはクッキーを取り返した。食べるのか。
「着火〜」
え。イケメンは火をつけた。炎の魔法でクッキーを燃やしてしまった。食べ物を粗末にしてはいけませんよ。
「ごめんね?もう他の人の手作りなんか食べないよ」
やはり手作りであったか。イケメンには乙女への免疫などない。最近まで殺人ビームで誰も寄せ付けなかったのである。イケメンにはスマートに躱すのは無理であったのだ。それは解るが不愉快である。
「料理人は別である」
「そうですね」
イケメンは手を拭いてハンカチをしまう。しまう前に刺繍をちょっと見る。下手くそな剣と炎だ。私の作品である。イケメンの誕生日に差し上げたのである。
イケメンの口元に微笑みが浮かぶ。また見つめてきた。
「きゃあっやめてっ」
偽人気者よ、まだいたのか。
しかしイケメンはやめない。もう油のついていない片手で金髪を掬い、もともとクッキーとは無縁だったほうの手がガッチリとした淑女騎士の腰を抱く。
「ひどいわーっ」
なんだ、本当に勘違いしていたのか。偽人気者は一人相撲に敗れて走り去る。一人相撲なので勝者はいない。涙を流していたようだ。
「人当たりの良さをもっと教えて下さいね?」
「イケメンが危険な笑みを浮かべている」
「お喋りはおしまいですよ?」
勝利を確信したイケメンである。インドアのくせに力強く剣だこのある掌で、私の頭を引き寄せる。私の真似をして魔法学園騎士コースに入ったのである。婚約したばかりの頃はもやし魔法使いだったのである。
「イケメンの魔法は天才的であり麗しい」
「淑女騎士の魔法剣技は誰にも届かぬ高みにあります」
「あら」
「グレース、私は貴女に焦がれて止まない」
「クヌートったら」
イケメン、もとい、わが愛しき婚約者クヌート王子は、蕩けるように笑いかけ、情熱的な口付けをした。
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