追放された聖女は、森の中で幸せを掴む
カーテン越しにうっすらとした日光が差し込み、森にすむ動物が活動し始める頃、シャーリー・アンダーソンも同じように目を覚ました。
貴族や王族のようなベッドと異なり、固くごわごわしたシーツだが、中々寝心地がいい。中に入っている藁だって、結構ふかふかなのだ。
「さてと……」
そっと身体を起こし、軽く伸びをし靴を履く。さらりと流れた灰銀の髪を簡単にまとめ、クローゼットから簡素なワンピースを手に取ると、着替えて外に設置してある井戸に向かう。
井戸に釣瓶を落としゆっくり引き上げていれば、後ろから何かの気配を感じる。勢いよく振り返れば――そこには白く大きな狼が鎮座していた。
「いらっしゃい」
白い狼はしっぽを振ったかと思えば、シャーリーに近づいて鼻を鳴らす。狼でありながら紳士的な彼はシャーリーから許可を得ない限り、近づいてこないのだ。
そして、かの狼はただの狼ではなく……。
『おはよう、シャーリー』
「はい、おはようございます
ヴァイス」
この森に住まう人狼なのだ。
口元を『むにゅり』とシャーリーの手に押し付け、シャーリーは代わりに彼の背中を撫でる。ヴァイスが人型であれば挨拶の仕方も変わるのだが、今のこの姿でのあいさつは、彼らがなんとなく決めていったものである。
『今日も元気そうでなにより』
「ええ、それよりも朝ご飯はどうですか?」
『是非!』
シャーリーが漆喰でできた庵の扉を開ければ、するりとヴァイスが入っていく。森の中にぽつんとある庵は、シャーリーの住まいでもあった。
『生活には慣れた?』
「ヴァイスが色々してくれたおかげです
それに……」
『それに?』
「聖女という仕事から解放されたのと
森からいただける魔力のおかげで、とても楽なんです」
『そっか……』
にこやかに笑うシャーリーの顔を見て、ヴァイスのしっぽが揺れる。
彼女の悲しそうな顔が消えつつあり、ほっとしたと同時にあんな目に合わせた人間に嫌気がさす。
そもそも彼女は、昔からこの森に棲んでいたわけではない。数か月前に、身なりがボロボロの状態で――さらに手足を縛られて――森の中に放置されていたのだ。
運よくヴァイスが通りかからなければ、餓死していたかもしれない。
「私がきちんと人らしい生活ができるのは、ヴァイスのおかげなんですよ」
お茶を淹れるため、薬缶を火にかけたシャーリーは、今までの事を思い出す。
シャーリーは一介の市民だった。
毎日同じように金銭を稼ぎ、どうにか暮らしていたのにある日突然、聖女だからという理由で城に拉致され、癒しの力を使えと言われる日々。
そんなものは知らない、わからない、と訴えたが国王も王子も聞く耳を持たず。教会にいる聖職者たちから手ほどきをうけて、ようやく癒しの力を使えるようになった。
――あの時の国王の歪んだ笑顔は、生涯忘れることができないだろう……。
シャーリーのいた王国では、別の国との小競り合いがあり、兵士が傷つくことなど日常茶飯事だったのだ。だから潜在的に癒しの力があったシャーリーに白羽の矢が立った。
毎日、毎時、毎分……いつでもどこでも怪我があり、シャーリーはそのたびに癒しの力を使う事を強要された。痛みと恐怖で呻く兵士相手に、神経はすり減っていく。
シャーリーを見て、前線で指揮する貴族の将軍は彼女の恐怖を理解し、労いの言葉をかけ、彼女一人が負担することにおかしいと感じた騎士たちは、聖職者や王に訴えたが、その言葉は届かなかった。
それどころか、国が勝った褒美として、王子と結婚させるなどと、見当違いも甚だしい事を言ってくる始末。そのころにはシャーリーは、正常な判断もできないくらいにボロボロになっていた。
――一刻も早く、死んでしまいたい。
嫌な考えが過り、頭を振る。
もうすぐ戦争は終わる。そうしたらこの力も必要なくなり、元の生活に戻れるのだと考えなおす。もはや将軍や騎士たちの言葉が届かないところまで、彼女は堕ちてしまっていたのだ。
癒しの力を使うシャーリーという名の奴隷に、ある日転機が訪れた。
「わたくしこそが正式な聖女ですわ」
そう言って現れたのは、クラリスという名の公爵令嬢だった。彼女はシャーリーと同じように癒しの力を使ってみせ、騎士たちを癒していく。
目の前で起きた奇跡に、シャーリーは確信する。
彼女が本来の聖女であり、私は代用品だったのだ、と。
「あ……あははは……」
力強い金の髪に青い目。綺麗な肌を持ったクラリスは、シャーリーを見て――少しだけ悲しい目をしていた気がする――将軍の元へ歩いていく。片や荒れ果てた手や、老婆のような白い髪と金色の目。何もかも対照的なクラリスを見て、シャーリーから乾いた笑いが漏れた。
攫われて強制されて使った力は、結局代用品でしかなかったのだ、と。
おぼつかない足取りでその場を去ろうとしたときに、彼女の肩を掴んだのは自分を連れてきた聖職者だった。
「シャーリー・アンダーソン
貴様に聞きたい事がある
今すぐ城に来てもらおうか」
「なっ! 痛い!」
「おい! シャーリーちゃんを離せ!
痛がってるだろうが!」
「お前たちは新しい聖女であらせられるクラリス様の言う事を聞け」
そう仰々しく言った彼は、騎士たちの話も聞かずにシャーリーの腕を引っ張っていく。
馬車に拘束され、身なりを整えられる暇もないまま、放り出された謁見室で、王はまるで明日の天気の話でもするように口を開く。
「シャーリー、と言ったか
貴殿は聖女の名を騙ったそうだな」
「……違います!」
「ふむ?
おかしいな……では何故クラリスが聖女としているのだ?
よもや聖女が二人存在するなど、おかしな話であろう」
ニマニマと胸糞悪い言動で告げる王は、どうあれシャーリーが詐欺師であると言いたいらしい。
そんな事は知らない、お前らが勝手に聖女にさせたんだろう! と訴えようにも「王が絶対である」という前提ではそんなものが覆るはずもない。横に立っている王子も、歪んだ笑顔を見せつけてきた。
「この者が僕をだまそうとしたなど……
クラリスが居なかったら、僕は詐欺師と結婚する事になっていたのですね……」
「――っ!!」
どの口がそれを――!!
望まない婚約。
望まない聖女。
望まない戦い。
そうして彼女は気づいた。
騎士も将軍も「逃げられるときにすぐに逃げろ」とシャーリーに言っていた意味が……。
この国の王族はもはや腐敗し、ひどい悪臭がしているのだ。
彼らの言葉に耳を貸さなかったのは、シャーリーの失態だ。何度も彼らは献身的に癒しの力を使う少女に、忠告してくれたのだろう。
逃げてもいいのだと。
だが、もう遅い。
すべてが崩れ去った後だ。
「シャーリー・アンダーソン
王子や騎士たちの心を弄んだ罪、この国の聖女を騙った罪は重い」
王がつらつらとでっちあげた罪を告げる。絞首台に登るのもすぐそこだ。
「が、聖女としての働きは見事だった
ゆえに、貴様は国外追放のみにとどめてやろう」
罰は軽くしたつもりなのだろう。
少なくとも目の前にいる人間にとって。
しかしまともな金銭もなく、身体を売るにもこの成りではどうする事もできない。
呆然とするシャーリーは、手足を縛られた。
「黒い森にでも捨てればよいでしょう
あそこには人食い狼もいると聞く」
「おお、そうであったな
ではそこへ……二度と戻ってこられないであろう」
あっさりと死刑にするよりも酷く、人としての尊厳すら削り去るような発言をする王子と王に、シャーリーの遅すぎる怒りは爆発した。
「呪われろ! 呪われてしまえ!!」
怨嗟の声に王は笑うだけ笑うと、連れて行けと一言だけ告げて……あとは興味がなくなったように、次攻める場所を臣下と相談し始めていた。
「呪われろ――!!」
舌を噛み切らないように布を詰められ、下着も同然な姿で、シャーリーは黒き森に捨てられたのだった。
「本当に、ヴァイスが居なかったら私は死んでましたね」
「何度目かなぁ、その話……」
「何度でもしますよ
私の命の恩人なんですから」
くすくすと笑いながらシャーリーの言葉に耳を傾けるヴァイスは、彼女が朝食の準備をしている間に人の形に姿を変えていた。
初雪のように白い髪と赤い目。神に祝福されたと言われるその姿は、神々しいまでに美しい。
「まぁ、その王様のおかげで、俺は君に逢えたから
その点だけは感謝しているけど」
スープにパンを浸しもぐもぐと咀嚼する。
彼女から話を聞いたときは、なんてひどい事をするのだろう、と怒りに震えたものだったが、目の前で微笑むシャーリーに出会えたのもまた事実だった。
顔を知らぬ王に報復するほどの時間もないのだ。
「まったくです
私は聖女じゃないって言っているのに……」
可愛らしい顔で、そう言えるようになったのは僥倖だろう。最近では森の亜人達に料理を振る舞うようになったと聞く。
「まぁ、君の場合……聖女じゃなく精霊に祝福された人間なんだけども……」
ぽつり、とヴァイスが言った言葉は、空中に溶けて消えていった。
稀にいるのだ。
何かしらの精霊に愛され、祝福された者というのが。
シャーリーの場合、水の精霊から祝福されたため、たまたま回復魔法が使えていたのだ。
「ヴァイス! 今日はキイチゴのジャムを作りたいんです!」
「了解、お姫様」
だが、そんな事はどうでもいいし、関係ない。
憔悴しきり、簡単に死のうとしていた少女が、今は笑ってくれるだけで、ヴァイスは幸せなのだ。
「それで、シャーリーはいつ俺の番になってくれるの?」
「あ……そ、それはお互いの距離をもう少し……」
「この前もそういったじゃないかー」
無表情な聖女のシャーリーはもういない。
ここにいるのは、ただの一人のシャーリーなのだ。
後日、シャーリーが居た国は長雨が続き、機に乗じた聖女と将軍を筆頭とした反乱軍に滅ぼされたという。伝え聞いたシャーリーは呪いが本当に当たったのかしら? と冗談を言っていたが、精霊の祝福を受けているため、真相は定かではない。
ヴァイスは何も言わなかったが、沈黙は金というやつだろう。
また、黒き森に聖女がスライディングする勢いで、シャーリーに土下座しにくるのだが……それはまた別の話である。
面白かったら高評価いただけますと幸いです。
好評ならもしかしたら連載に落とし込むかもです。




