今度こそ平穏な結婚生活を
領主館の厩舎場には、魔法道具のランプや武具を持った騎士が二十人ほど集まっていた。
マイヤーズ辺境伯爵領までついてきた、ラウルの親衛隊の方々である。
彼らは王都の騎士団を辞め、うちに就職してしまった。父は大喜びで彼らを迎えたことは言うまでもない。
「状況は!?」
ラウルはシャツに革のズボン、胸当てをしただけの姿で彼らに問う。
「まだ何とも。薬屋の屋根に竜が1頭いるだけで、被害はない模様です。竜種にも色々いますから、攻撃性のない竜なのかもしれません」
追いかけてきた私は、シャツにスカート、外套を羽織った状態でラウルの腕をつかむ。
「店にはお師様がいるの!竜くらい倒せると思うけれど、心配だから私も行く!」
「リディアはここにいろ。様子を見てくるから」
「あそこは私の店よ!?危ないと思ったらすぐに逃げるから……!お願い!!」
ラウルは見たことないくらい渋面だったが、言い争う時間がもったいないということで私を馬に乗せて一緒に連れて行ってくれた。
青みがかった闇の中。お師様がいるであろうログハウスは、西側の二階の窓に明かりが見える。
そしてその屋根には、翼をときおりぶるっと震わせる大きな塊が座っていた。
「ほ、本当に竜がいる……」
薬屋の近くまで行くと、双眼鏡で屋根に居座っている竜を確認できた。
暗くてよく見えないけれど、二メートル弱の赤竜だと思われる。
赤竜は攻撃性がなく、飛ぶのが大好きな種類。数年に一度くらいの頻度で、群れが近くの山にやってくることはあるけれど、こんな風に単独で、しかも人が住んでいるところに現れるなんて初めてだった。
「お師様が呼び寄せた?」
「ありえるな」
私の呟きに、双眼鏡を手にしたラウルが反応した。そして彼は仄暗い目をして竜を見る。
「斬ろうか」
「ラウル!?」
邪魔されたことを怒ってる!?
私は彼を宥めようとするけれど、その手は剣にかけられたまま本当に竜に向かっていきそうで怖い。
「赤竜は人間を食べないし、危険はなさそうね。店の中に入ってみようかな」
「リディアが?」
「だって、他に誰が行くのよ」
鍵は私が持っているし、知らない人が入って行ったら結界が作用するもの。竜を刺激しないように、私はラウルと二人だけで薬屋へ向かう。
「平和そのものね~」
「屋根に竜はいるが」
きちんと結界は作動していて、特に違和感はない。店の中はいつも通りで、荒れた様子もなかった。1階の灯りをつけると、お掃除うさぎちゃんたちは籠の中でおとなしく眠っていた。これはあくまで魔力補充中であり、睡眠ではない。
2階へ上がり、西側の部屋へと移動した。
するとお師様の部屋は扉が開いていて、中から男性の呻き声が聞こえてきた。
「お師様!?」
部屋に駆け込むと、謎の若い青年がお師様をロープでぐるぐる巻きに縛り上げている。
え、強盗!?それにしては身なりがきちんとしているような。
お師様を捕獲しているのは黒髪黒目のかわいい系青年で、赤茶色の上着に茶色のズボンという冒険者風の姿だ。20代前半に見える。
「あ、どうも、お邪魔しています」
「え」
普通に挨拶された!
ラウルは警戒して私を庇うように前に出たけれど、床に転がされたお師様が緊張感のない声を上げた。
「あぁ、リディア、ラウル。どうしたんですか?しばらく領主館にいると言っていたのに」
「どうしたって。お師様、なんでそんな姿で笑っていられるの」
縛られているのにニコニコしているお師様は、特におかしな様子はない。
いや、十分におかしいけれど!
「リディアがびっくりしてるんで、放してくれません?ユリウスくん」
「ダメです」
「えー、ダメですかぁ」
お師様が諦めて脱力すると、ロープの端を掴んだユリウス青年がため息交じりに教えてくれた。
「いきなり失礼しました。あぁ、赤竜で来たから驚かせましたよね。あれはうちのペットなので大丈夫です」
「ペット」
彼はユリウス・ローランズという冒険者であり、お師様の知り合いだそうだ。祖国で依頼を受けて、お師様を回収しに来たらしい。
「帰ってこいって手紙を出しても全然顔を出さないし、妹さんが怒ってましたよ!それにティグラルド様が爆発させた魔窟がもう15年も燃えてるんですけれど!まだまだ燃え続けてるんですけれど!責任取って鎮火させろって、陛下がお怒りです」
「燃えてる?15年も?」
一体何をやったんだ、お師様。しかも国王命令って何。
「仕方ないですね~、一度帰りますか」
お師様は諦めモードで苦笑する。
「帰るって、えーっと」
ここからいなくなるってこと?
突然の帰郷宣言に、私は戸惑ってしまった。不安が顔に出ていたのか、ラウルが私の肩をそっと抱いて支えてくれる。
「あぁ、大丈夫です。数か月で戻ってくるか2~3年かかるかわかりませんが、ここにはいずれ戻ってきますので」
「期間の幅が広い!」
「何を言っているのです、リディア。熟女と私ほどの年齢に達しますと、2~3年なんて若者の2ヶ月程度です。『ここ最近』という表現は、10年の歳月を表しますよ?熟女の言う最近始めたダイエットというのは、ここ10年やり続けているという意味なのです。そもそも人の感覚には個人差がありますから、私の中では40歳以上が熟女と定義しておりますが、他の熟女ファンには『熟女は57歳を過ぎてからだ』と主張する者もおります」
「それ関係ありません。ってゆーか、年齢設定が細かいっ!」
お師様はふふふっとかわいらしい笑みを浮かべた。
「またすぐ会えますよ、ご心配なく」
まぁ、長生きしそうだから2~3年くらいは大丈夫か。
「はい、ティグラルド様。観念してトゥランヘ帰りましょうねー。熟女王妃様がばっちり拷問してくれるかもしれませんよ。よかったですね!」
「ちがう、ユリウスくん。そうじゃありません。熟女は年齢相応の美しさじゃなければ意味がないのです。王妃様は年齢だけ重ねている詐欺熟女なので、私の好みではありません」
「知らんがな」
ユリウス青年は、ぐるぐる巻きのお師様を肩にサッと担ぐと窓から外へ出ようとする。
「お邪魔しました!」
「え、もう行くの!?えーっと食事とかお茶とか」
私がそう言うと、彼は振り返ってにこっと笑った。
「いえいえ、勝手に侵入しておいてそこまでは。いずれまた、この人連れてくるんでそのときにでも」
「はぁ……」
窓を開けると、冷たい風が部屋に吹き込む。
「それでは、いってきますね~」
「「いってらっしゃい」」
私とラウルは二人して静かに手を振る。お師様を担いだユリウス青年は、屋根に飛び移るとすぐに赤竜に跨り、闇夜へ消えていった。
お師様は観念して帰るって言ったんだから、ロープ外せばいいのに……。
窓辺に出たラウルは、庭で待機していた兵らに無事だと伝える。
そして先に帰るよう指示をすると、皆は一斉に領主館へと向かって馬を駆け始めた。
「いっちゃったわね」
「あぁ」
薬屋には二人きり。
お師様がいなくなった部屋は、ぬくもりこそそのままだけれど何となく淋しく思えた。
山積みになった本に作りかけの道具類。
私は無言でそれらを見つめる。
「状態保存の魔法でもかけておこうかな」
無駄に広い部屋。
私とラウルの部屋だけでなく、ついでだからとお師様の部屋も改築したばかりだったのに。
壁際には、お師様と初めて会ったときに着ていた灰色のローブがかけたままになっていた。
「意外とすぐに戻ってきそうね」
「そうかもな」
くすっと笑った私は、ラウルに手を引かれて二人の部屋へと移動する。ミントグリーンのブラインドがぴったりと窓を覆っていて、朝になると自動でそれが開いて柔らかな光が差し込むらしい。
らしい、というのはまだ私がこの部屋で眠ったことがないから。婚約中も一緒にこの家に住んでいたけれど、私は自室の小さなベッドで一人眠っていた。さすがに結婚までは別室で、と二人で話し合って線引きしたのでここはラウルが使っていたのだ。
ふかふかのベッドに腰かけると、ラウルは2本の剣をベッドサイドに置く。
ここにきて緊張感がぶり返してきた私は、黙って彼の隣に座っている。
「「…………」」
本当なら、今頃すでに初夜を迎えているはずだった。
まさか竜に邪魔されるとは思っていなかったな。お師様、どうかご無事で……
静まり返った部屋で、先に口を開いたのはラウルだった。
「俺はずっとリディアのそばにいるから」
「うん……」
温かい手が重ねられ、自然に笑みがこぼれる。目を閉じて寄り添うと、ここが私の居場所なんだと安心できた。
「リディア」
隣を見上げると、真剣な眼差しがまっすぐに向けられている。もしかすると、ラウルも少し緊張しているのかもしれない。
「リディアに俺の人生を捧げよう」
この言葉に、私は目を瞬かせる。そして少しの沈黙の後、容赦なくその提案をぶったぎった。
「そういうのいらないわ」
いつかのようにそう言えば、彼は目を細めて笑う。どうやら冗談だったらしい。当然のことながら、彼の表情に出会ったときの儚げな雰囲気はなかった。
つられて私も笑いだすと、ラウルは私の頬に手をかけて優しく口づける。次第に深い口づけになり、抱き合いながらふかふかのベッドに背を預ける。
「では、互いに慈しみ合う関係で」
素晴らしい妥協案だ。
満足した私は、ラウルの目を見て微笑む。
「これからよろしくお願いしますね、婿様?」
ほんっとうに、よろしくお願いします。どうにかこうにかここまでたどり着いたので……!
心の底からお願いすると、ラウルは私の頭を撫でながら言った。
「あぁ、ずっと大事にする。命が果てるまで共に」
「重い」
「気のせいだ」
「気のせい!?」
呆れる私を見て、ラウルはうれしそうに笑う。触れる手も唇も、かけられる声も全部が優しくて、強いくせに繊細な部分もある人で「あぁ、やっぱり好きだなぁ」としみじみ思ってしまった。
「あ」
「どうした」
そういえば私はまだ、好きだと言ったことが1度もないのでは。ふとそんなことが頭をよぎる。
「なんだ?」
優しくも早急に私の衣服を剥いでいくラウルが、ちょっと嫌そうな顔で尋ねた。
「まさかこの期に及んで嫌だと?それは考慮しがたい」
「そうじゃなくて……」
「なら、何?」
改めて聞かれると、何ともいいにくい。でも見逃してはくれなさそうだ。
「その、私はラウルのことが好き、よ?でもちゃんと言ったことがないなって気づいて」
小さな声で言ったそれに、彼はピタリと手を止める。そして、じっくりと味わうみたいにキスをしてから言った。
「そうか」
それだけ?
「前にも1度聞いたが、2度目でもうれしいものだな」
「は?え?前にって……いつ!?」
まったく覚えてませんけれど!?
動揺して思わず身を起こそうとする。けれどラウルはぐっと体重をかけ、私をベッドに留めた。
「泣いたときに、ポロッと漏らした。確か『今はラウルのことが好きなのに』と」
「っ!?」
えええ、1度言っていたなら改めて言わなくてもよかったんじゃ。死ぬほど恥ずかしかったのに……
じわじわと羞恥心がこみ上げ、もう何も言えなくなってしまった。
対して、上機嫌なラウルは私を愛でるのに忙しい。
彼の愛情も執着もこれから存分に実感することになるのだが、そんな未来をこのときの私はまだ知らない。
5月17日発売!
「皇帝陛下のお世話係」ノベル2巻&コミックス1巻
ノベル版は半分くらい書き下ろしで、新しいエピソードが満載です♪
紫釉様の成長や凛風の仕事ぶり、蒼蓮の深まる愛情と不憫がより楽しめる内容になっております!
どうかお楽しみください!
漫画版では、吉村悠希先生の描く麗しい世界観が最高です。
お兄ちゃんと蒼蓮の不憫かっこいい姿よ……!( ノД`)煌びやかな中華の世界、詰まってます。
なお、小説版もマンガ版もずっと名前にふりがなついてます。読めない・覚えられないが解消されて、ストレスフリーな中華をお楽しみいただけます。
ありがとうございます、スクウェアエニックスさん…!
※アニメイトさんなどでの特典配布は、なくなり次第終了です。





