計略からの逃亡
ミケイラ様から熱烈にお願いをされ、それをやんわり断る私。その繰り返しに飽きてきた頃、興奮して涙声になった彼女をなぜか宥めるという意味不明な状況に陥った。
なんで私が慰めないといけないのだろう。
ラウル、早く来て……!
もうとっくに、騎士団で私のメッセージを受け取ったはず。すでに近くまで来てくれているかもしれない。ため息を吐き、心の中でラウルを呼ぶ。
「ううっ……、どうしてわかってくれないの?」
いや、それこっちのセリフ。
お嬢さん、それは私のセリフですよ。両手で顔を覆って泣き出したミケイラ様。泣きたいのはこっちだ。
「落ち着いてくださいミケイラ様。あぁ、お茶でも飲んで」
私は彼女が淹れてくれたお茶を勧める。興奮気味にしゃべっていたから、喉が渇いただろうな。
ミケイラ様はくすんと鼻をすすり、そしてハーブティーを飲んだ。
まったく、これからどう諦めさせたらいいんだろう。
そう思いながらノルンを見たそのとき、ミケイラ様がゴホッと盛大に咽るのが聞こえた。
「ゴホッ……、カハッ……!」
「ミケイラ様!?」
振り向くと、彼女は右手で口元を押さえて苦しそうに目を閉じている。
お茶がポタポタと指の間から零れ、そしてその色には血のような赤い筋が混ざっていた。
「ミケイラ様!?どうしたの!?」
私は慌てて立ち上がり、彼女のそばに駆け寄った。背に手を添えて、その顔色を診る。
咳き込み続ける彼女は喉をひっかき始め、ぜーぜーとうまく呼吸ができないような状態で苦しんでいる。
「まさか毒!?」
どうして!?だってこのお茶はメイドが淹れたもので、カップに注いだのはミケイラ様だ。自分で毒を飲んだ?でも彼女の様子からするとそんな様子はない。知らずに飲んで苦しんでいるみたいに思えた。
残ったカップを確認すると、底の方に不自然な濁りが見える。
お茶からは甘い香りがして、ハーブティーだからというわけではなさそうだ。
「誰か!医師を呼んでください!!」
ノルンが叫び、デオトアさんや護衛の男たちがすぐさま駆けつける。
私はテーブルの上にあった水差しを取り、ミケイラ様にそれを直接飲ませて紅茶を吐かせようとした。
この匂いと症状からすると、アプリコットの種と何かの毒を混ぜてあるはず。毒としてはそれほどめずらしくなく、嫌な言い方だが貴族社会では流行りの手口だ。
お茶に入れられていたのは致死量ではないようだけれど、喉が焼けるように痛いはず。
死なないようにわざと薄めてあった……?
「ゲホッ……!ゲホッ!!」
「全部吐いて!苦しいけれどがんばってー!!」
私は容赦なく、ミケイラ様を俯かせて口の中に指を突っ込み、水と茶を吐かせる。床にボタボタと吐しゃ物がまき散らされ、ひどい光景だけれど気にしてはいられない。
しかし私が治療行為をしている背後で、ノルンが剣を抜いて男たちをけん制した。
「デオトア様、これはどういうつもりです!?」
ノルンの険しい声に、私は振り返る。
「困るのです、毒を飲んだのが、我が家のお嬢様だけというのは」
そこにいたのは、優しい世話役の顔つきではない醜悪な笑みを浮かべた人物で。今のデオトアは、まるで別人のように感じられた。
「リディア様には、お嬢様と同じ毒を飲んでいただきます。婚約者を奪われそうになったことに逆上し、お嬢様に毒を盛り、ご自身も服毒自殺されたという筋書きで。あぁ、大丈夫です。ミケイラお嬢様にはあなたに毒を盛られたと証言してもらわなければいけませんので、お救いいたしますよ」
「なっ……!?」
男たちが一斉に剣を構えた。
5体1ではノルンが圧倒的に不利だ。じりっと下がったノルンは、狭いガゼボに彼らの侵入を防ごうと立ちふさがる。
蹲っているミケイラ様は、ぐったりしていた。呼吸は荒いが、このまま置いておいても多分死ぬことはないし、デオトアが治療するだろう。
「お父様……」
ミケイラ様は、吐いた苦しさで涙を流しているのか。それともデオトアの言葉が聞こえていて、自分が利用されたことに涙しているのか。
「ミケイラ様、助かりますからしばらく休んでください」
イズドール卿はラウルへの逆恨みで、自分の娘も駒にしたんだ。ラウルの婚約者である私を陥れるために……!
そんな卑怯な人の策にのってあげる必要はない。
私が死ねば、ラウルが苦しむ。
しかもただの服毒死じゃない。ミケイラ様の毒殺未遂容疑という汚名を着せられての自死。やり方がどこまでも汚い。私は生きなくてはいけない、そう強く思った。
「リディア!」
ノルンが叫ぶ。
わかっている。
私さえここにいなければ、ノルンは負けない。躊躇う気持ちを押し込めて、私はノルンに背を向けて、ガゼボの反対側から柵を乗り越え飛び降りた。
「また後で!!」
1メートルくらいの高さだから、飛び降りたところでケガなんてしない。スッと着地して、私は庭園から抜け出すために全力で駆けだした。
「くっ……!逃がすか!」
デオトアが追ってくる。他の男たちはノルンによって足止めされていた。
捕まってなるものか!
辺境育ちの私は足腰が丈夫で、走るのもそれなりに早い。花壇の中を突っ切って、必死で邸の外に出る道を探して走り続けた。
「はぁ……、はぁ……」
広い公爵邸の敷地内を、スカートの裾を両手で持ち上げ必死で走る。
おでかけ用のワンピースとショートブーツでよかった……!ただし、魔法道具の一つでも持って来なかったことは悔やまれる。
塀は7メートルほどあるから、よじ登って向こう側に下りるのは不可能だ。レンガの敷き詰められた小道から、足元の不安定な芝生を駆け抜けて出口を探す。
「はぁ……はぁ……!」
やばい、息切れで頭がフラフラしてきた。肺が爆発しそうなくらい苦しい!
でも立ち止まって休憩なんてしたら、デオトアに捕まってしまう。
限界が近い。今にも倒れて動けなくなりそうだった。
しかし半泣きで走っていると、あたりが騒がしくなってきていることに気づいた。
遠くから聞こえるピーッという高い笛の音。
たくさんの人の足音、馬の蹄の音。
「ラウル……!」
直感でそう思った。
笛の音は、騎士団が移動するときに人除けに使うもの。どんな手を使って乗り込んでくるのかは不明だけれど、きっと有無を言わせず突入してくれるに違いない。
もつれそうになる足を根性だけで動かして、私は走り続けた。もうすぐ高い塀のあるところに到着する。荷車が通れるだけの道があるので、それに沿って走っていけば通用口か何かに出られるはず。
見張りはどうやって倒すか、そんなことを考えている余裕はない。
何も知らない庭師や小間使いの少年の脇を駆け抜けて、私は汗だくになって走った。
しかし壁際までやってきたところで、ついにデオトアに追いつかれてしまう。彼の背後には傭兵崩れのような男たちが10人ほどいて、とても私ひとりで何とかなる人数ではない。
ちょっと、私ひとりに何人出してるの!?もう少し侮ってくれないかしら!?
彼らは周囲を確認しながら、私の方へじりじりと迫る。
前方には追っ手の男たち、すぐ後ろには高い塀。この先はもう捕まるしかない。
「本当に貴族の娘かよ。手をかけさせやがって」
一人の男がそう言い捨てる。ここまで逃げるとは思っていなかったらしい。
「この娘を捕らえ、地下牢へ」
デオトアは汗をハンカチで拭うと、男たちにそう指示を出す。にやついた男たちがこちらにゆっくりと歩み寄ってきた。
「ひっ……!」
塀に背をつけ、息を呑む私。
けれどそこへ、空から突然に茶色の物体が落ちてきた。
――バサバサッ
「うわっ!?なんだ!?」
「うわぁぁぁ!」
男たちの頭を嘴で攻撃する一匹の鷹。茶色と黒のまだらな羽根は艶やかで、金色の目は鋭い。まるで私を助けてくれるかのように、男たちをけん制しては空を舞う。
「え……」
驚きで目を瞠っていると、頭上から大きな声が降ってきた。
「リディア!」
塀の上を見上げると、逆光で黒い人影だけが見える。そこに立っていた人物は、ためらうことなく私の目の前に飛び降りた。
「ラウル!?」
まさかこの高さから飛び降りてくるとは思わず、私は衝撃で固まってしまった。
どうやって塀を登ったの!?飛び降りて脚は大丈夫なの!?
青い隊服を着たラウルは、左右に剣を佩いている。
「リディア無事か!?ケガは!?」
「な、ないです」
彼は私を庇って前に立ち、二本の剣を抜いた。振り返ることはなく、男たちを見据えて殺気を全身から放っている。
守られている私まで背筋が凍るほどの殺気に、この人は本当に戦場で生きてきた人なんだと実感した。
私を捕らえようとしていた男たちとは格が違う。彼らもそれは瞬時にわかったようで、剣を構えるどころか後ずさりさえしていた。
が、ラウルが彼らを逃がすわけがない。
一瞬のうちに間合いを詰め、10人はいた男たちをあっさりと斬り倒してしまった。
「殺したの……?」
「生け捕りにしろとエドフォード様が」
「そ、そう。えーっと、あの鷹は?」
「あれは騎士団の偵察用だ。魔物の一種で、意思疎通がある程度できる。リディアを探させていた」
ラウルは鋭い気を放ったまま、剣の血を振り払って静かに鞘に収める。
私はその背中に向かって、さらに尋ねた。
「ねぇ、どうやって塀の上へ……?」
7メートルくらいあるはず。よじ登るのは無理だと思うんだけれど。
「カイアスの肩を踏み台にして飛んだ」
カイアス様、哀れ。
でもありがとう!!
ゆっくりと振り返ったラウルは、いつも通りの顔つきに戻っていた。ただし肩や腿には返り血が少しついている。
地面に倒れているデオトアは、自分が斬られたことにも気づかないうちに昏倒したみたい。ちょっとざまぁみろな状態だった。
「リディア……」
私に歩み寄り、そっと右手を伸ばすラウル。
けれど自分に返り血がついていることに気づき、ぴたりとその手を宙で止めた。
そんなこと気にしなくてもいいのに。
冷静に考えたら返り血は確かに嫌だけれど、それより今はラウルがここにいると、助かったのだと安心したかった。
「ラウル!」
私は彼の腕の中に飛び込む。
全力でしがみつき、彼の肩口に顔を埋めた。
「もうダメかと思った……!」
身体の内側から震えがくる。今さら、怖かったことに気づくなんて。
大きな手が、私の頭や肩を撫でる。ぎゅっと抱きしめられると安堵が広がった。
邸の方からは、騒音が聞こえてくる。ラウルの部下たちが公爵邸を押さえたのだと彼は言った。
「ノルンが……!」
見上げると、彼は私の背を撫でて頷いた。
「すでに部下が入っている。ノルンも回収できるだろう」
「よかった」
持久力があって、躱すのがうまいノルンはまずやられることはない。
騎士が乗り込んでいるなら、助けられているだろう。
「巻き込んですまない。イズドール卿は、エドフォード様や俺が不在の今日を狙ったんだろう。違法な毒物を所持していた罪で、ヤツは城で捕えた」
「そうだったの……」
これ以外にも色々とやらかしていそうだな、そんな気がする。
「リディアが無事でよかった」
唇が触れ合い、肩や腰を抱く手に力が篭る。
私はだんだんと力が入らなくなり、くたっと彼にもたれかかった。目を閉じると、すぐに眠れるくらい瞼が重い。
「大丈夫か?」
「がんばる」
ノルンの無事を確かめるまでは、呑気に寝たりできない。
深呼吸して気合を入れると、ラウルは問答無用で私を抱き上げた。
「え、まさか運んでくれる気!?」
走りすぎて足がガクガクしているけれど、騎士もいるところへこれで行くの!?
驚く私に構わず、ラウルは邸の方へと足を進めた。
「随分と無理をさせてしまったからな。せめてこれくらいは」
あぁ、でも歩きますとも言えない。だってすごくラクなんだもの……!
諦めて青い隊服の肩に手を回すと、ラウルはふっと優しく目元を和ませた。
「そういえば、黒騎士様の鎧は着ないの?」
何となくそんなことを尋ねると、彼は前を向いたまま答える。
「街中で鎧を着ることはめったにない。あれは対魔物用か、対魔術用だから」
「ふぅん。この青い隊服は?」
「これは騎士団の制服だ。今日は訓練に参加したから、それで」
そうなんだ。
「よく似合っているわ」
「血濡れだが?」
「血濡れでも」
私が苦笑すると、彼も少しだけ口角を上げた。
夕暮れときが迫り、ほんの少し肌寒い。ラウルの顔がすぐ近くにあり、西陽を浴びてキラキラと輝く銀髪を見ながら私は呟く。
「この感じじゃ、第二夫人になりたいって人が湧いてでてきても納得よね」
「は?」
ラウルが怪訝な顔で私を見つめる。
「あぁ、さっきね?ミケイラ様に『どうしてもラウルと結婚したいから、第二夫人にしてくれ』って懇願されて」
私の話を聞いた途端、ラウルの顔が露骨に歪んだ。
「第二夫人なんて絶対にいらん」
ですよね。しかも相手がミケイラ様って、ねぇ?不気味って言ってたもんね。
「そもそも複数の妻を持つ制度は、戦で男が激減したときに作られた女性の救済措置だろう。ようやく平和が訪れるというときに、なぜ生活に困ってもいない公爵家の娘を第二夫人にしなければいけないんだ。俺にはリディアがいる。もう手いっぱいだ」
あぁ、ラウルのため息が深い。
「手いっぱいですみませんでした」
何となくそう言えば、ラウルはふっと笑った。
「リディアだけで十分だという意味だ。リディアでないなら、一も二もなくそれこそ妻などいらない」
くっ……!
また私を甘やかして……!砂糖漬けにでもして、私が一人で生きていけないようにするつもり?
素直になれない私が目を逸らすのを、彼はうれしそうに眺めていた。私はどうやらこの目に弱い。恨みがましい目を向けると、さらに満足げに彼は微笑む。
そうこうしているうちにガゼボの近くにやってきて、そこには元気いっぱいのノルンがいた。
「ノルン!」
「リディア!」
ラウルに抱きかかえられた私を見て、ノルンは安堵の表情に変わる。
敵は全員捕縛されていて、ノルンもかすり傷程度で無事だった。
ノルンは縄を手に、地面に転がった男たちを騎士と一緒に縛り上げている。縄を引っ張りながら男の肩を踏みつけるノルン、逞しすぎて惚れそうだ。
公爵邸にいた私兵や一部の使用人は、このまま邸の一部に監禁されて取り調べを受けることに。
ミケイラ様はすでに治癒院に運ばれたそうで、後ほど回復してから事情を聴かれるらしい。そんなことを、肩におもいっきり靴跡をつけたカイアス様が教えてくれた。
「あとのことはお任せください。また後日、エド様から報告をいたします」
「わかりました。……肩、お大事に」
私はノルンと共に馬車に乗りこみ、騎乗したラウルの先導でグレイブ侯爵邸へと戻るのだった。
 





