呼ばれていないのに来るヤツはだいたい敵
ついにラウルとの婚約披露パーティーの日がやってきた。
純白のドレスを今さら着せられるなんて……と、大いに抵抗したけれどそういう文化なので仕方がない。
着ていなければ着ていないで、グレイブ侯爵家が私を蔑ろにしているという噂が立ってしまうのでここはありがたく3度目の純白ドレスに袖を通させてもらった。
護衛だとわかる、ちょっと煌びやかな騎士服を纏ったノルンは泣いていた。
「ようやく、リディアがまともな結婚を……」
「ノルン。今から泣いていてどうするのよ」
私が苦笑いすると、昨日からこちらに来ているナタリーが扇を握り締めて言った。
「ほんっとうに、そうよ!!あんなクズのおかげでリディアは苦しめられたんだから、めいっぱい幸せにならなきゃ!!あー、思い出したら苛々して私の方が禿げそう!」
せっかく薄桃色のかわいらしいドレスを着ているのに、ナタリーが荒れ狂っている。
「ナタリー、怒ってくれるのはうれしいけれど、今日はしっかりね?」
念のため忠告しておく。ナタリーは婚活中の身だ。ラウルの知り合いにいい人がいれば、今日はチャンスなのだから。
「わかっております。リディア様。頭の加減がおかしな方に騙されないように気をつけますわ~」
途端に切り替えたナタリーは、おほほほと優雅に笑ってみせた。
私にとっては友人であり、かわいい妹分みたいなものだけれど、婚活の道は険しそうだ。彼女のありのままを愛してくれる人が見つかることを切に願う。
パーティーはグレイブ侯爵邸の敷地内にある別棟で行われた。別棟といっても「これが本邸じゃないんだ」というくらい大きくて煌びやかで。気後れしてしまうくらい華やかな装飾や美術品に目を奪われる。
「リディア、きれいだ」
「ありがとう」
きれいだと言われて、これほど複雑な心境になったことは未だかつてない。
青い正装を着たラウルは、美形の威力をこれでもかと周囲に放っていて、私は立ち眩みを起こしそうになったほど。
あなたの方が数万倍きれいです。
正直な感想はこれだった。
王城で陛下にご挨拶したときもかっこよかったけれど、つい見惚れてしまうくらいかっこいい。
胸には最高位の騎士に贈られる勲章がどーんと飾られていて、やっぱりこの人は黒騎士様なんだと改めて認識した。
「行こう」
「ええ」
すっかり元通りに動くようになった左腕を差し出され、私は肘のあたりに手を添える。ラウルがケガをしなければ、私たちが婚約することはなかったんだと思うと複雑だ。
きゅっと力を込めて引いてみると、彼は「ん?」と尋ねつつ肘を引き戻した。
「あ、ごめんなさい。腕が治ったか確認しちゃった」
「こんなときに?」
ラウルはくすりと笑う。
「リディアを持ち上げることができたくらいだから、大丈夫だ」
そうだった。
小脇に抱えられて運ばれて、しかもお姫様だっこもしてもらったんだった。
笑い合っているとふいに音楽が鳴り出し、大きな扉がガチャリと開く。
いよいよ私たちがホールに出る時間がやってきた。恥ずかしながら、私たちは本日の主役。ばっちり笑顔をつくってがんばりますよ!
たくさんの人に祝福されて、私たちは新しい一歩を踏み出した。
王太子であるエドフォード様をはじめ、ラウルの後任である現・騎士団長やその部下たちに挨拶をし、そこから親戚やお付き合いのある貴族の方々にご挨拶をして回った。
事前にリストを丸暗記していたけれど、記憶力には限界がある。何より、ラウルも社交はほとんどしてこなかったからずっと「この人は誰だろうか」という顔をしていた。
黒騎士様は有名人だから、向こうはもれなくラウルのことを知っている。けれど、彼からすればほとんど初対面なのに相手がぐいぐい来るから違和感だらけだろう。
有名人って大変だなと思った。
挨拶回りが一通り終わると、お母様がそっと私たちの背後に近づいてきた。
そして扇で口元を隠しながら、こっそり情報を伝えてくる。
「さきほどから、教会の方が来られているんだけれど、そこになぜか聖女のミケイラ様が一緒にいらして……」
「まぁ、それは何というか」
婚約披露パーティーには呼ばれている人しか来られない。舞踏会なら、知り合いに招待状をもらって……という初めての人がいてもおかしくないけれど。
お母様は、ミケイラ様がラウルにひと目惚れした一件はご存知で、正式に招待していた教会関係者と一緒に来ているなら追い返すわけにもいかないし困っていたのだった。
「挨拶だけでもしないといけませんね」
「ごめんなさいね、リディアさん。ラウルがきちんと抹殺しておかないから」
お母様の発言がどこか黒かったのは気のせいだろうか。
後始末って、方法は穏便に……ですよね!?
庭の一角を見ると、ミケイラ様がそわそわした様子でこちらをうかがっていた。婚約したラウルとは、どうあっても結ばれることはない。どんな気持ちでここまでやってきたんだろう。漠然とそんなことを思った。
「行きましょう、ラウル」
「あぁ。すぐに終わらせるから」
ラウルが心底嫌そうな顔をしている。
まぁ、不気味な女の不気味な行動だもんね。かわいそうになってきた。私が守ってあげなければ。
私たちはできるだけ仲睦まじく見えるよう、しっかりと腕を組んで笑みを浮かべつつミケイラ様の元へ向かった。
煌びやかなランプやろうそくが温かい灯りをともす庭先で、以前会ったときと同じ聖女の衣装を着たミケイラ様は待っていた。
私たちが近づいていくと、事務方のトップである神官長が、恭しく祝辞を述べる。
「このたびは誠におめでとうございます。ラウル・グレイブ様。リディア・マイヤーズ様」
「「ありがとうございます」」
白髪交じりで50代後半とみられる彼は、とても穏やかそうな笑みで人当たりがいい感じの男性だった。
「ほら、ミケイラ」
神官長に促され、ラウルを見つめてぽーっと頬を染めていた彼女も仕方なく口を開く。
「お、おめでとうございます……」
今にも泣きそうな声でそう言われても。
私の後ろに控えているノルンが、鋭いオーラを出したのは気のせいじゃない。
「本日は何用でしょう」
「ラウル」
婚約のお祝いを述べに来てくれた、ということでいいじゃないか。
直訳すると「なんで来たの?来るなよ」になるよね、そんなこと聞いてしまうと。ラウルの声があまりに冷えたものだったから、私の方が慌ててしまった。
「わ、わたくしは……ラウル様に……」
俯きながら、震える声で何かを言おうとするミケイラ様。
しかし最後まで言い切ることはできず、手で顔を覆って走り出してしまった。
「うう……!!」
「ミケイラ!?」
「ミケイラ様!?」
神官長と私の声がハモる。
え、逃げたよ!あの子。こういうときってどうしたらいいの?放置していいものなのかな。
常識的に考えると、勝手に来ておいて話の途中でどこかへ行くなんて失礼極まりないけれど、このまま放置っていうのも……。
「ノルン、私と一緒に追ってくれる?」
ダメだと止めるラウルを制して、ノルンと一緒にミケイラ様を連れ戻しに向かおうとする。
このまま放置して、グレイブ家の敷地内で聖女様に何かあったら大変だし。
「ラウルは警護の方々に、もしミケイラ様が外に出ようとしていたら止めるように伝えて。夜に街へ出てしまうのは怖いわ」
彼は渋々了承してくれて、すぐに邸の中にいた執事長に指示を出す。私はそれを見て、先にミケイラ様の確保へ向かった。
「とんだわがまま娘ね」
思わずそんな呟きが漏れる。
ナタリーと同じくらいの年頃のはずだけれど、ミケイラ様を見ているとまるで中学生くらいを相手しているような感覚になる。
私とノルンは、申し訳ないと平謝りの神官長と共にミケイラ様の走り去った方へ向かい、敷地の奥へと移動していく。
ふかふかの芝生が思いのほか歩きにくかったけれど、彼女はバラやピオニーが咲いている庭園の入り口にいてくれたのですぐに見つかった。
「ミケイラ!」
神官長に声をかけられて、彼女はビクッと肩を揺らす。
その愛らしく大きな瞳には、涙が溢れていた。見た目は悲劇のヒロインである。
「あっ……」
どうしよう。私に怯えた目を向けてくる。
まるで私が嫌がらせをしているみたい……。何もしゃべっていないし、何もしていないのに。
困っていると、なぜか彼女は私の正面にやってきてまっすぐに見つめてきた。
「リ、リディア・マイヤーズ様」
「はい」
彼女が何を言おうとしているのかわからず、私は黙って見つめ返す。
お腹の前でぐっと両手を組んだミケイラ様は、涙を零しながら言った。
「ラウル様に、ひどい扱いをなさらないでくださいね……?」
「は?」
意味がわからなくて、私は目を瞬かせる。
ラウルにひどい扱いをしないでってどういうこと?婚約者に暴力ふるうとか暴言を吐くとか、そんな女だと思われているの?
挨拶しただけで、ほとんどしゃべったこともないのに!?
失礼極まりないお願いに、私は怒りを通り越して絶句した。
ミケイラ様はうるうるした目を向けて、懇願するように訴えかけてくる。
「あなたが腕を治療したって聞きました。王都では治せなかったのに、なぜかあなたは彼の腕を治療できたって……ラウル様はそれであなたに恩義を感じて、婚約なさったのでしょう?」
「あぁ、その話ですか」
ラウルの腕が治ったことは、今や王都中が知っている。そして、治療が縁で私と婚約したことも。話を聞いた人は、普通は「恩義を感じて婚約した」と思うだろう。
私も最初は思っていて、まさか女性として見てくれていたなんて微塵も思わなかったもの。
けれど、今ここでミケイラ様に「ラウルは私のことが好きなのよ」なんて言える!?私にそんな図太い神経はない。どこの己惚れ屋さんだってなるに決まっている……!
だから、もう誤解されたままでいい。
そう思っていると、ミケイラ様は興奮した様子で話を続けた。
「ラウル様は素晴らしい人なんです!ご自身のことよりも国のことを想う、とても素敵な方ですわ!あなたのことは色々と聞きましたが、ラウル様と結婚なんて……!彼に毒を飲ませたり、悪いことをさせたり……そんなことは絶対にさせないで」
とんでもないいいがかりだ。
私の悪い噂だけを聞いて、それを鵜呑みにするなんて。だいたい、自分の夫に毒を飲ませるって何!?それもう魔女を通り越して毒婦じゃないの。
何を言ってるんだろう、この子。しかもどの立場で。
頭痛がしそう。帰りたい。
「あの、私はあなたが思っているような者では」
否定しようとすると、ミケイラ様がその言葉を遮った。
「婚約なんて、いきなりおかしいと思ったんです!まさかこんなことになるなんて……。あなたがラウル様を縛っているのでしょう?腕を治したからって婚約を迫るなんて、ひどすぎます。マイヤーズ領だなんてあんな辺境に行かされるなんてかわいそう。私がお救いしてあげたい……!」
何この子。
思い込みで妄想が広がっている!私は目元を引き攣らせる。
誰がいつ、腕を治したことを盾に取って婚約を迫ったんだろう。むしろ私の方ががっつり包囲されたような。帰れと言っても帰らなかったのはラウルなのに。
「ミケイラ!いい加減にするんだ」
神官長が慌てて止めに入ったが、ミケイラ様はなぜ止められるのかまったくわかっていない様子だ。思い込みと恋煩いでできあがった歪んだ正義で、私という敵を悔い改めさせようとしている。
けれど、不快感に襲われる私の横で、地鳴りでも起こしそうなくらいに怒り狂う人物がいた。
――カチャ……。
(ノルン!剣に手をかけない!)
このままでは婚約披露パーティーで、血の雨が降る。私は目線だけでノルンを制すと、ミケイラ様にはっきりと告げた。
「ミケイラ様。きっと私に関するデマを耳にされたのでしょう。私は確かに毒草を育てていますが、それは病気やケガを治す薬を抽出するためです。人を害するために育てているわけではありません」
「え……?でも毒なんでしょう?それに、痛がる人を無理やり押さえつけて治療するって」
「毒と薬は、同じ植物からどちらにもなるものがあります。それに、ケガ人を押さえつけるのはそうしないと治療ができませんから」
仕事だから。それ以上もそれ以下もない。
とはいえ最近はそんなことをしていないので、戦のときに治療した兵がおもしろおかしく話したことが、尾ひれをつけて回ったのだろう。
「そ、それに病人に厳しく叱責することもあるって」
それも仕事。薬の量を勝手に増やして飲むとか、禁止されているものを食べたら患者は死ぬ。何度も同じことを繰り返す患者さんには、ときに泣かせるほど怒ったりする。
「叱ることも、患者さんの命がかかっていればやむをえません。毒に関して専門的なお話はさすがにここではできませんが、とにかく私がラウルにひどいことをするなんてありえませんからご安心を」
にっこり笑って言うと、ミケイラ様はまだ半信半疑という表情だった。信じてもらえなくても別にいいけれど、ラウルが聞いたら怒るだろうな。
「噂は噂です。そもそも私とラウルのことで、あなたが気になさるようなことは何一つありませんよ。私たちのことは私たちだけの問題ですので」
「そんな言い方……。私はただ、ラウル様が心配で」
「それはつまり、私が彼を意味もなく傷つける存在だと?」
「そんなこと言ってません!」
怒ったように否定するミケイラ様。
残念ながらミケイラ様に悪気はないのだろう。けれど、今の状況では、私がラウルにとって害であると言っているようなものだ。
無意識のうちに、私のことをひどい女だと思っていて、しかもそれを口にするのだからタチが悪い。
「ではどういうつもりなのです?教えてくださいますか?」
笑みを崩さず、私は彼女を問い詰める。
「ううっ……!どうしてそんな意地悪を言うの?」
「ミケイラ、もうやめなさい」
神官長がオロオロしている。この人は、ミケイラ様の言葉がいかにひどい言いがかりかわかっているようだった。必死でミケイラ様に謝るように説得しているが、彼女からすれば神官長が私の顔色を窺っているようにしか見えないだろうな。
ボロボロと涙をこぼすミケイラ様。美女の涙は美しいけれど、言いがかりをつけられた私からするとうっとうしい以外の感想はない。
自分が正しい。自分の意見が通るべき、という無邪気な子ども。
彼女からはそんな印象を受けた。
他者のテリトリーに土足で踏み込んでいるということにまったく気づいていない。
とにかくこれ以上は危険だ。ノルンが剣を抜きかねないからさっさと引き上げなければ。
ミケイラ様には何を言っても伝わらないだろうなと思って大きなため息を吐いたとき、ラウルがこちらへやってくるのが見えた。
「リディア……?」
彼は状況がよくわからないようだった。
私たちの様子を見て、目を瞬かせている。
泣きじゃくるミケイラ様。
ムダに背の高い私。
隣には殺気立ったノルン。
やばい。
完全に私がミケイラ様を虐めている図が出来上がっていた。
勘違いされたらどうしよう、そんなことが頭に浮かぶ。
「ラウル様ぁ!」
しかもここぞとばかりに、顔を上げたミケイラ様が縋るようにラウルの名を呼んだ。私は何も悪いことをしていないのに、ほんの少しだけドキッとした。
「これは何事だ」
彼は眉間にしわを寄せ、足早にこちらへ近づいてくる。
その怒れるオーラに一瞬身構えるも、彼の腕が私の肩をかき抱いたことで、すべて杞憂だったとわかった。
「君は、俺の婚約者に対して一体何を?」
ラウルの静かな怒りを感じとり、ミケイラ様は怯えた表情に変わる。
「わ、私はただ、ラウル様を守りたくて……!」
必死に弁解しようとする彼女は、はたから見れば被害者だ。けれどラウルは冷たい声で言い放った。
「あいにく君に守られるほど弱くはない。それは俺に対する愚弄か?俺が自分のことさえ守れない弱者だとでも?」
「まさかそんなっ!私はただ、リディア様があなたにひどいことをしないかと心配で」
必死で訴えかけていたミケイラ様が、途中で言葉を飲み込む。ラウルがあまりに殺気立ったので、恐怖のあまり言葉を続けられなくなってしまったようだ。
「帰れ。二度とリディアに近づくな。次はない」
夏なのに、寒気がするほど怒りを孕んだ声。
彼女を睨みつけたラウルは、私の肩を抱く腕に力を込めた。
「そんな……」
とめどなく流れる涙で衣装を濡らすミケイラ様。見かねた神官長が、そっと彼女の背に手を添える。
「ミケイラ、もう帰るんだ。お二人とも、本当に申し訳ございません。何とお詫びしていいものか……」
神官長が平謝りをして彼女を馬車のある裏口へと連れて行った。少しは反省してくれればいいけれど、多分無理だろうな。去り際も、一人でぶつぶつと「ラウル様は私の……」って呟いていたくらいで。ストーカー予備軍かもしれない。
「「…………」」
騒がしいミケイラ様がいなくなると、途端に平和な夜が訪れる。ラウルに肩を抱かれたまま、私はしばらくぼんやりとしていた。
「リディア、無事か?」
「大丈夫よ」
どちらかというと、私の方がミケイラ様に心の不調を与えたと思う。年下相手に、普通に言い返してしまったもの。ラウルの拒絶がトドメになっただろうし。
「さぁ、この季節でも夜は冷える。中へ入ろう」
「ええ」
私たちはホールへと戻り、再びたくさんの人に囲まれて笑顔を貼り付けるのだった。





