おそろしく平和な日々が訪れています
夏の薬師は忙しい。
食中毒が発生したときのために、洗浄剤や内服薬を卸しておかなくてはいけないから。
それにちょっとしたケガが化膿して、傷口から感染症を患う人もいる。解熱剤や抗菌薬などの材料も多めに採りにいかなくては。
そんなわけで私はラウルと一緒に、山や森へ入ることが増えた。
彼はいつかの約束を覚えていてくれて、孤児院の子どもたちのために、魔物のアラクネをたくさん倒して糸を取ってくれた。
繁殖期が春から夏で、子育てが終わろうとする今の時期は特にたくさんの糸がある。彼らの生態系を壊さないくらいに倒し、糸を持って帰るとさっそく業者に売れる状態に選別した。
彼は剣の手入れをしつつ、私の手伝いもしてくれて、おかげでアラクネの糸を均等な長さにカットすることができた。黒騎士の剣技を内職のような作業に使ってしまっていいのだろうか。
ちらりとラウルに視線を送ると、「ん?」と優しく微笑まれてその場に崩れ落ちそうになる。出会った頃とは雲泥の差。視線の甘さに耐えられず、つい目を逸らしてしまったのは仕方ない。
ここで私も微笑み返すくらいできればいいんだけれど、自分の恋愛スキルの低さを再確認するだけで、これではいけないと悩みは募る。
そして今。
しばしの休憩時間ということで、顔を出したノルンとナタリーの真ん中に挟まれてカウンターでお茶をしていた。
「「「はぁ……」」」
3人そろってため息を吐くと、カウンターで謎の菓子を作っていたお師様がクスリと笑う。
「何かお悩みですか?お嬢さん方」
私たちはそれぞれ置かれた状況は違えど、悩みを抱えていた。
ノルンは結婚してもう三年になる。そろそろ子を持たなければ、と親からかなり強く言われたらしい。家を継ぐ跡取り娘だから、これはもう避けて通れないんだけれど……。
「男が子を産めるようになる魔法はないのでしょうか」
「う~ん。ノルンさん。残念ながらそこはもう神々の領域ですから、一介の魔導士には不可能ですね」
騎士をやめたくないノルンは、お師様に向かって真剣にそんなことを聞いた。さすがにそれは無理だ。
苦悶の表情を浮かべるノルンを見て、今度はナタリーが悲壮感たっぷりに眉根を寄せた。
「結婚してもその後が大変なのよね。私なんて今はお相手探しの真っ最中で、それも手探り状態だけれど、誰かと結婚してもさらに子どもの問題や家族の問題が出てくると思ったら気が滅入るわ!全部まとめて魔法で片付いたらいいのに」
「「それね」」
私とノルンも同調する。
魔法があっても、女性の結婚出産問題の前では奇跡は起きない。
「私もラウル様みたいな素敵な人に出会いたい!」
「出会ったときは生け贄だったけれどね」
「あ、私はそういうの無理だわ。闇を抱えている人は無理なの。明るくて優しくて、私だけを永遠に愛してくれる人がいい」
ここで夢見がちだと突っ込んではいけない。
ナタリーはもう夢と現実を何往復かした結果、今は夢見る少女ターンなのだ。そのうちまた現実に戻ってくるので、今は存分に夢を見させてあげようと私たちは思っていた。
しかしあれこれ理想の恋人や結婚生活を語っていたナタリーだったが、先日の舞踏会で前から気になっていた男性が意外にチャラかったことが発覚したらしく、それを思い出した瞬間に一気にテンションが下がってしまった。
「なんかもう、終わる恋よりも、永遠に続く嘘の方がいいような気がしてきたわ」
「嘘をつく男は論外です」
「ノルンはそう言うと思った!」
私を挟んで、2人が理想の男性像を話し出す。
「騎士で誠実であればそれでいい。素性がわかっているから、私は従兄と結婚しましたけれど、ナタリーのいうようにドキドキやキュンとくることはないですね」
落ち着いた結婚生活は素敵だと思うけれど。私がそういうと、ノルンはにこりと笑った。
「私は高望みしているわけじゃないのよ!?王子様と結婚したいわけじゃないし、お金だって私の持参金があればそこそこいい暮らしはできるはずだし。それに身分差があったら悲劇だから、普通でいいのよ普通で!」
「確かにね。ナタリーの場合は相手が高位貴族だったりした場合、『しょせんは男爵のくせに』とか『成りあがりの新興貴族が』とか言われて苦しむことが目に見えています」
「それ、今と変わらないじゃない。慣れたわ、そんなの。もっと情熱的で革新的な悪口を聞きたいくらいよ」
遠い目をするナタリー。
社交界デビューしてわずか2年で色々と嫌な思いをしたらしい。
その点、私は領主の娘だから、領地で開かれる社交界では無双状態。誰も嫌味を面と向かって言って来ないし、ひそひそでも話そうものならうちのノルンが始末してしまいそう。
結論も解決策も出ない、ただの愚痴を言い合う私たちだったけれど、お師様は呆れもせずニコニコと笑って聞いていた。そして、思い出したかのように私に向かってこう告げる。
「リディアはこれから忙しくなりますね。店のことは心配いりませんから、どうかグレイブ侯爵家の皆様によろしく。ラウルをしっかりいただいてきてください」
「ですよね。私が相手で、本当に納得しているのかどうかは不安ですけれど」
5日後、私はマイヤーズ領を出て王都へ向かうことになっている。
ラウルの家族と顔合わせが済んでいないからだ。すでに書類上では婚約していて、しかも先方から多大な贈り物やお手紙もいただいているけれど、本当にラウルがうちの婿に入っていいのかどうかは不明である。
本人は「俺は三男だから、どこかに婿入りしようが、ただの騎士として妻を迎えようが関係ない」と言うが、家族仲は良好だと聞いたので、なるべく息子に良縁をと思うのが親心だろう。
「挨拶もあるし、婚約披露のパーティーも王都でするって決まっちゃったし、結婚式は半年後だし……離縁してまだ3か月なのに怒涛の展開すぎるわ」
「「それね」」
ノルンとナタリーが苦笑いする。
「こんなに早く3回目の結婚をしたら、それこそ各方面から批難されないかな」
別にいいけれど。批難されてもいいけれど、一応ちょっとは気になる。
しかしお師様はあははと朗らかな笑い声をあげて言った。
「もともとリディアの評判はそんなによくないですよ~。大丈夫!もうこれ以上は下がりません!」
「ですよね~。ラウルが私と結婚してくれなければ、それこそ評判の届かない他領からこっそり婿を拉致してくるしかなかったかも」
つくづくそう思った。
本当にありがたい……!
手を合わせて祈っていると、ナタリーがクスクスと笑う。
「それにしてもラウル様って、リディアに惚れこんでいるわよね~。あの変わりようにびっくり!最初に会ったときと雰囲気が全然違うんだもん」
そう指摘されると照れくさい。
「まぁ、仕方ないですね。あの黒騎士様ですから、リディアの婿として認めましょう」
ノルンの立ち位置が、私の親になっているのは気のせいか。
「ラウルのおばあさまに会ってみたいです。きっと凛々しく冷静な眼差しの熟女でしょう。ラウルに聞いたら、彼の家系は男女問わず剣、槍、弓のいずれかを嗜むといっていました。熟女と刃は抜群の組み合わせですから、殺気を向けられてみたいと思わずにはいられません」
まさかの祖母狙い!ってゆーか、いつそんな話をラウルとしたの!?
お師様までうっとりと妄想の世界に飛んでしまった。
「リディア。婚約披露パーティーには行くからね!ノルンも行くんでしょう?」
ナタリーは王都へ行けるのがうれしくて、笑みを深める。ノルンはいつも通りのクールビューティーで、淡々と答えた。
「私はリディアの護衛としてつく。王都は魔窟だと領主様がおっしゃっていた。どれほど強力な魔物が出るのか……!絶対にリディアを守らねば」
いや、それ違うな。魔窟って陰謀渦巻くとかそういうことの例えであって、決して魔物がいっぱい出るとかそういうことではないんだけれど。
私は苦笑しつつ二人に言った。
「王都でもよろしくね。時間をつくって一緒に街を見てまわったり、おいしいスイーツを食べに行ったりしましょう!お兄様に案内させるわ」





