口説かれているようにしか思えない
前世は志半ばで退場した私。
けれど、今世も順風満帆どころか苦難の連続である。
二度の離縁を経験し、この先は落ち着いて生きていきたいと思っていたら、ここにきてラウルに騎士の忠誠を誓われるという波乱がやってきた。
あの猛攻から一週間。
彼は着実に地固めを始めている。
まずはマイヤーズ辺境伯領の騎士団で、父の後継として第一部隊(エリート枠です)に入ってしまった。今はまだこの街に慣れていないので、二日勤務して二日休むというシフトになっている。
入団したと言っても、黒騎士様が一兵卒なわけはない。
初日から指導教官の任に就いて、すでに騎士団連中の人心を掌握してしまった。
父はなぜか自慢げで、すでにラウルのことを「うちの息子」と呼んでいるらしい。ノルンに聞いたときは、卒倒しそうになった。
ラウルは王都で活躍すべき人。私の婿になんて収まっていい人ではない。
父はわかっていて現実を見ない。そう、黒騎士様を取り上げられたくないのだ。きっと私と結婚しなくても、彼をここに引き留めるだろうな。
今日はラウルがお休みの日。
彼はいつも通り早朝から自主練をして、私のためにせっせと餅をこねてくれた。イケメンカフェ店員は、騎士というよりも住み込みの何でも屋さんになりつつある。
しかも今朝はパンまで焼いていた。
ジェバンナさんに教わったらしい。
「すごい……!」
表面がぴかぴかに輝く丸いパン。
文句なしにおいしそう!前世では休日にお高いパン屋で総菜パンを買うのが好きだったんだよね……!!
感動して目をうるうるさせてしまった。
「リディアに食べさせたくて作ったんだ」
「うっ!」
やめて!
そんなにうれしそうな顔で見つめないで!!心臓に悪いことこの上ない。
私は青いワンピースの裾をぎゅっとつかんで苦悶の表情を浮かべる。
このままではいけない。
懐かれて、なし崩しに主従関係に持ち込まれたら困る。
「リディア?」
声が甘いっ!最初に会ったときの鋭い雰囲気はどこへ行ったの!?
それにこんな甘い声で名前を呼ばれたら、恋愛感情を持たれていると勘違いしそう。
落ち着け。
イケメン補正と記憶補正が瞬時に作動して、自分に都合のいいフィルターがかかっているんだ!冷静になれ!
私は自分をどうにか奮い立たせ、平静を装ってテーブルに着く。
ベーコンエッグと焼き立てのパン。餅の入ったポトフ。
昨日ラウルと一緒に収穫した畑の野菜は、サラダになってテーブルに並んでいる。
「朝食づくりだけじゃなく、野菜の収穫までさせてごめんね……」
天下の黒騎士様に、何をやらせているんだか。
けれどラウルは何がごめんねなのかまったく理解できていないみたいで、きょとんとしている。
「リディアが謝ることは何もない。一緒にいられるなら何をしても楽しく思える」
「っ!?」
朝から目にも耳にも悪い!
当然のようにそんなことを言われると、顔だけでなく全身が燃え上がるくらい熱くなった。
「騎士としてしか生きてこなかった俺だから、リディアのために何かできるなら何でもする」
「……」
「リディア、どうした」
「はっ!ちょっとトリップしてた」
ダメだ。いったん食事に集中しよう。
食欲は何にも勝るはず。
私は目の前にあるパンをちぎって、口の中に入れた。
「おいしい~!しかもレーズン入ってる~!」
幸せ……。干しブドウをナタリーにもらったのよね。おすそ分けで。
レモンジャムとの相性もいいし、ポトフとの塩加減もまた合う。
ラウルが焼いたパンが最高過ぎた。レシピはもちろんジェバンナさんだけれど、焼き立てがこんなにもおいしいなんて。
彼がうれしそうにこちらを見ている中、私はもぐもぐとパンを頬張った。
「本当においしい……。そういえば男の人に料理を作ってもらったのって初めてだわ」
もちろん、領主館の料理人を除いて。
ラウルは自分もパンを食べ、味を確認するとニッと意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「そうか。それなら俺は、リディアにとって初めての男だな」
「ぶはっ!!」
「大丈夫か!?」
「ご、ごめんなさい。汚くて」
「すまない。冗談のタイミングが悪かった」
ハンカチで口元とテーブルを拭う。
彼がこの家に来て初日に、私が何気なく言った冗談をお返しされた。けれど今は状況が違う。
私ったらラウルのことを意識しすぎているものだから、はしたなくもスープを噴いてしまった。
こんな女を主君にしたいだなんて、ラウルは本当にどうかしている。
気を取りなおした私は、食事の続きをして精神状態を落ち着かせようとした。修行僧にでもなったつもりで、黙々と食べる。
ラウルは穏やかな目で私を見ていて、ときおりクスリと笑った。
あぁ、このまま流されてしまいそう。
「おいしかった。ごちそうさまでした」
「リディアが喜んでくれてよかった」
怖い。王都の騎士の社交辞令が怖い。
こんなことばかり言ってるんだろうか。ここに来たときは荒んでいたけれど、もしかすると王都では過剰に女性を褒めたり尽くしたりするのが主流なのかもしれない。
「ありえる……」
「何が?」
エドフォード様はもちろん、あのカイアス様だって祝宴ではきちんと女性をエスコートして褒め言葉も口にする。
じぃっとラウルを見つめ、私は尋ねた。
「王都では女性に対してこういうことをするのが普通なの?優しすぎるって思うの」
すると彼はふっと笑って言った。
「俺はできれば女には関わりたくない。リディアだけだ」
「そんなこと言って」
気まずいよ。
何が本当で何が社交辞令かわからない。怖い。
キッチンで食器を洗い始めると、ラウルも自分の食器を持って隣に立つ。
「俺は本当のことしか言わない。疑われても証明のしようがないから困る」
「え」
急に真剣な口調でそう言ったかと思ったら、彼の顔が寄せられて、右の頬でチュッとリップ音が鳴った。
「なっ!?」
――ガシャンッ!!
プレート皿が割れた。
ラウルは「あ」と呟き、慌てて魔法でそれを回収する。
「こういうときにキスをしてはいけないのだな。すまなかった」
「ラウル……!?」
こういうときもどういうときも、ない。
口説かれているようにしか思えない。
現実逃避したくなった私は、食器を片付けると意味もなく実家である領主館へと向かった。





