己の勘違いを突き付けられる男
「お師様!おかえりなさいっ!」
1階に駆け下りて薬屋の店内へと入ったら、扉の前に黒いローブを着た青銀髪のお師様がいた。
長い髪はうしろで一つに結んでいて、その表情はいつも通り穏やかで。へらへらしているとも言える。
「あぁ、リディア。ただいま戻りました。王都はいかがでしたか?」
モップを手にするお掃除うさぎちゃんを抱っこしたお師様は、私に向かって蕩けるような笑みで話しかける。
「はい!お兄様もエドフォード様も変わりなく」
「そうですか。あなたのことだから急いで行って急いで帰ってきたんでしょう?私が出発するまでに戻ってくるかなって思ったんですが、やはり一刻も早く愛する熟女と一緒に旅に出たかったので、書き置きだけ残してしまってすみませんでした。はっ!私の旅のメモリアルを今すぐお話したいのは山々なんですが、さっそく滞っていた魔法道具作りをやってしまわなくてはいけませんね?これ以上リディアに甘えていては、師として」
「お師様!いったん止まって!話が長いっ!」
おしゃべり魔導士のお師様は、喋り出したら止まらない。
私は途中で師の言葉を遮り、ラウルのことを話そうとした。
が、ちょうど私の後ろにやってきたラウルを見て、お師様はかわいらしく「ん?」と首を傾げる。
「おや、客人ですか?それとも誰かのお遣い様で?」
「いえ、この人は」
「あぁっ!さてはリディアの恋人ですね!?私のいない間にようやく男性を連れ込むことに成功しましたか!私としては弟子がこれ以上の男運のなさを発揮することはないと思っておりましたが、そうですか、まさかこれほど早く次の縁を得られるとは……!さすが私の弟子」
「あ、ちが」
「でも大丈夫!たった数回失敗したくらい!女性は40歳から真の輝きを放ち、その美しさが大輪の花となるのは70歳です!リディアを好きになるなんて、そちらの方はロリコンではありますがきっとよき家庭が築けるとは思います」
ダメだ。
愛しの子爵夫人(未亡人)と旅行に行けた熟女ハイで、こっちの話は聞いちゃいない。
ラウルはというと、口を中途半端に開けたまま唖然としていた。この世の者ではないものを見たかのような驚きようである。
お師様はまだなんか喋ってるけれど、お掃除うさぎちゃんにぺしぺしと頬を叩かれてようやく自分の世界からこっちに戻ってきてくれた。
「お師様、とりあえず水でもどうぞ」
私はカップに果実水を入れ、お師様に手渡した。黙らせるには、何かを飲ませるか食べさせるのが一番てっとり早い。
「ラウル、こちらが私のお師様であるティグラルド・モルダーです。薬師で魔導士、こう見えて53歳なのでご留意を」
「ごっ……!?」
どう見ても25歳くらいにしか見えないその姿は、私が出会ったときからまったく変わっていない。本人は腰が痛いとか老眼が~とか言っているけれど、風邪ひとつ引かないし私より体力はあるし……迷惑なくらい元気なのだ。
「リディア」
ラウルが低い声で私の名を呼ぶ。彼は私の隣に並び、お師様を見ながら言った。
「これは?」
「これって、私の師匠よ」
さっきからお師様って呼んでるのに。
「男に見えるが」
「え?あぁ、ちゃんと男に見えて何より。たまにいるのよ、お師様を美女だと思ってナンパする人が」
整った中性的な顔だから、化粧をすれば女性に見えそう。ちょっと手が骨ばっているけれど。
「男が魔女……?カイアスは何を言っていたんだ」
「カイアス様がどうかしたの?」
またあいつか!私はつい眉間にしわが寄る。
ラウルは口元に右手を当てて、何やら考え込んでいたけれど、はたと何かに気づいたようでものすごくゆっくりと私の方に顔を向けた。
からくり人形でももうちょっとスムーズに首が回ると思う。
「どうしたの?」
「リディア、まさか……」
その表情は恐れおののくというか、愕然としているというか。
無言で見つめ合っていると、お師様の声が店に響く。
「リディア。ところでそのお方は?」
うさぎちゃんを解放したお師様は、ラウルを見て言った。
「あぁ、そうでした。こちらはラウル・グレイブ様です。以前、エドフォード様が戦で砦にいらしたとき、おそばにいた黒騎士様って言ったらわかりますか?」
「あぁ!彼ですか」
お師様は驚いて目を瞠る。
「鎧の中身は、爽やかなロリコンなんですね」
「いったんその発想から離れてください。それでですね、お師様ったらいつの間に生け贄なんて募集したんですか?ラウルは二週間前に突然ここに来て、生け贄希望だって。もうそのつもりはないそうですが、お師様はなんで生け贄が必要だったんですか?」
私の中ではもうお師様が生け贄を募集していることになってしまっていた。やりそうだったから。
しかしお師様は心当たりがないようで、きょとんとした顔になる。
「は?生け贄?私が?」
「はい」
嘘をついているようには見えないし、どのみち嘘をつく必要もない。
お師様は倫理観がぶっ壊れているので、例え生け贄を募集していたとしても堂々とそれを私に伝えただろう。
「いくら何でも人間の生け贄なんて募集しませんよ。キマイラやガーゴイルなら欲しいですが。昔、言ったでしょう?あぁいう人体実験は効率が悪いと。それに募集するよりも、闇ギルドで犯罪奴隷を買った方が早くないですか?熟女女神に召される生け贄になら、むしろ私が喜んでなりたいですね~。
女神像は比較的10代20代の少女であることが主流ですが、コルセットで締め付けまくった背中の肉が微妙にはみ出ている熟女スタイルの方が溢れ出る気品と慈愛を表していると思っています。ですから、今すぐ熟女女神像を作るべきかと」
「お師様、話がずれています。趣味と性癖は置いておいて、いったんはラウルのことを」
「男には興味ありません」
おおっ、きっぱり言い切った。
どうやら本当に生け贄については知らないらしい。
ここで私はようやくラウルの方を見上げる。
「ねぇ、そういえばラウルはカイアス様に何て言われてきたの?お師様とカイアス様は連絡を取っていないと思うんだけれど……ラウル?」
紫色の瞳は、お師様に向いていた。
「ティグラルド、様と言ったか」
「はい、何でしょう。ラウル」
彼は震える声で言葉を紡ぐ。
「不躾なことを問うが、離婚歴はあるのか」
謎の質問に、私もお師様も首を傾げる。
「ありませんよ~、結局この年まで結婚せずにきてしまいました。私の好きな年代は、ほとんどが夫の庇護下でお暮らしですので。結婚しないと離婚はできませんが、一度くらいしてみてもいいかもしれませんね~。あ、離婚歴と言えばそこにいるリディアです。二度も婿を放逐したんですから」
「放逐って言い方はないでしょう。向こうが勝手に刺されたり浮気したりするから」
くすくすと笑うお師様は、少女のように純粋な雰囲気で美しい。
かわいければ大抵のことが許される、とはこのことだろう。実年齢はもうおじさんなのに。
「ラウルはしばらくここにいるのですか?ならばまた明日の食事のときにでもお話しましょう。私は荷ほどきをして、それから魔道具制作に入りますから今日は部屋に篭ります」
「わかりました。夕食はお部屋に運びますね?」
「ありがとう。では」
うきうきのお師様は、それだけ言ってさっさと階段を上っていってしまった。
おそうじうさぎちゃんたちがモップを持ってせかせかと床を走る中、私とラウルはぽつんと店に残される。
ん?
なんかラウルがものすごく落ち込んでいる。右手で顔を覆い、何かを猛烈に後悔しているように見えた。
「ラウル?」
黒の長袖をひっぱってみるけれど、反応がない。
見守るだけで何もすることがない私は、コーヒーでも淹れようかと奥の調理場へと向かった。





