騎士の猛攻と薬師の逃亡
ラウルに忠誠を誓われた私は、ナタリーを連れて部屋に引きこもった。孤児院の子どもたちのために、軟膏を木箱に詰める……というのは言い訳だ。
数分置きに頭を抱えて「ふあああああ」と意味不明な言葉を発する私を見て、ナタリーはうれしそう。なんで?親友がこんなに悩んでいるのに、なぜそんなにうれしそうなのか。
疑問も湧くが、恥ずかしさの方が勝っている。
「やだ、かわいいリディア」
「他人事だと思って」
わかってる。彼は私に恩義を感じているだけ。そこに男女間の艶めいたものはない。
けれど、思い出すとあの情熱的なまなざしと甘い声色に、どうしても勘違いしてしまいそうになるのだ。
恋なんて転生してから一度もしたことがなかった。でも、前世の感覚が「これはヤバイ」と警鐘を鳴らしている。
恋に落ちる前の落ち着かない感覚。
頭の中を想い人に占拠されそうになっている。これは予兆。心を奪われる予感がしてならない。
「何がダメなの?黒騎士様ならリディアの婿にぴったりじゃない」
ナタリーはラッピング用のリボンを手に、くすくす笑っている。
「あのね、騎士の忠誠を誓うのと婿はまったく別ものだから」
さっきからまったく落ち着かない私が言っても説得力がないかもしれないが、これをはっきり口にしてしまわないとずるずる引きずられて恋してしまいそうだ。
「ラウルはいずれ王都に帰るのよ?忠誠を誓ったりしたらもう騎士団に戻れないじゃない。私がマイヤーズ領の騎士団に推薦することはできるけれど、そうなればただでさえ勘違いしているうちのお父様が動き出すに決まってる。だってラウルは英雄・黒騎士様よ?お父様は跡取りとして欲しがるに決まってるわ」
「そうよね。強いだけでクズ男を娘にあてがった人だものね」
それに、ラウルが断らないことは目に見えている。生け贄として命すら投げ出そうとしていたくらいだ。
もしも私が二度も離縁していて困っていると父に聞かされた日には、自分を犠牲にしかねない。
忠誠心から婿に入るなんて、普通は許されても、立派な経歴のあるラウルにとってはそんなの本当に生け贄だ。
腕が治った今、彼は何だってできるしどこへだって行けるし、私の婿になるよりも遥かにいい選択肢がたくさんあるはず。
あ、これは自分で言って地味に傷つくな。
「いいじゃない。細かいことを気にするのね、リディアって」
「ナタリー」
コロコロと楽しげに笑う彼女は、本心からラウルとのことを賛成しているようだ。
「嫌よ、そんなの。私が家の力を使ってラウルを囲い込んだみたいじゃないの。そんなつもりで治したんじゃない。もしラウルに『最初から婿にしようと思っていたのか』って疑われたら、ショックで服毒死するかもしれないわ」
「そんな大げさな。それに、家の力を使って何が悪いの?」
ナタリーは愛らしい顔をこてんと傾げる。
「容姿も声も、性格も、財産も人脈も、家の力も私の一部よ?どれを使おうが文句を言われる筋合いはないわ!」
あぁ、笑顔が黒い。そして手元のリボンが、ぐしゃってなっている。
出会いを求めて、でもうまくいかなくて、天使のようだったナタリーが立派な女性に変貌を遂げていた。
「ふふふ……いい男はすぐに取られるの。私たちは相手を選ぶ側であり、そして選ばれる側でもあるのよ。ぐずぐずしていたら、いい人は皆どっかの名家のお嬢様に取られちゃう!」
これは誰かに意中の人を取られたな。
がんばれ、ナタリー。
しかし、婚活に励んでいるナタリーを見ていると、私はこれまで父親の連れてくる相手を流されるままに受け入れてしまったんだなとつくづく思う。
貴族令嬢としては一般的だけれど、顔合わせで「これは……?おかしくないか」という違和感は覚えていたはずなのに、それでも考えることを放棄して受け入れたのは自分だ。
おそろしく見る目のないお父様はもちろん酷いけれど、それでも無理強いするような人ではない。
波風が立たないように、大好きな家族から愛されたいがために、私は意見することを放棄してしまった。今さらキレても、それは私にも責任があるよね。ここは反省しなくては……。
ラウルのおかげで、薬師として独り立ちするきっかけはもらえた。
だから今度は、距離を置くという意味ではなくて、きちんと精神的に親から自立することを目指さなくては。
「ナタリー、私はずっと親に甘えていたのね」
「あら、何を突然?リディアは十分がんばってると思うけれど。私なんてものすごく甘えているわ」
「ふふっ、それならお互い様ね」
「ええ。これからもよろしくね」
私たちは笑い合い、きれいに包んでリボンをかけた軟膏を箱の中にきっちり納めた。
「作業も終わったことだし、私はそろそろお暇するわ」
「もう?お茶でもしていったらどう?」
今ラウルと二人きりになるのは避けたい。
しかしナタリーはそんな私の心はお見通しだった。
「ちゃんとラウル様と話し合った方がいいわ。私はもう帰るから。急ぎの仕事もないんでしょう?」
気が進まないにもほどがある。
けれど、今夜お師様が帰ってくるからそのことも含めて話をしなければ。
私は諦めて、黙って頷いた。
――コンコン。
「リディア、ちょっといいか」
「「きた」」
二人分の声がかぶる。
ナタリーは私に目配せして「がんばって」と言って扉を開けた。そこにはもちろん、ラウルが立っていた。
「邪魔したか?」
「いいえ、私は今帰るところでしたの。リディアのこと、しっかりばっちりよろしくお願いしますね!」
「あぁ、そのつもりだ。ずっとそばで支えよう」
待って。どういうつもり!?
よろしくって、挨拶のよろしくだからね?今後のことをよろしくしているわけじゃないからね?
ナタリーは満足げな顔で手を振って去ってしまい、代わりにラウルが入ってきた。
部屋の空気が一気に微妙なものに変わる。誰のせいって私がおかしな緊張感を漂わせているからなんだけれど……!
「リディア?」
「何でもない。どうしたの?わざわざ部屋に来るなんて」
そういえば私の部屋に来るのは初めてだ。
あぁ、もういろんなことが重なって胃がひっくり返りそう。深呼吸をしても落ち着かない。
「そこの椅子に座る?お茶淹れてこようか」
「いや、俺は……ただ話がしたくて」
茶が欲しいと言ってください!私は彼の言葉を聞かずに、ラウルとすれ違い扉へ向かおうとする。
「リディア!」
よそよそしい態度に焦れたラウルが、私の手首を掴んで引き寄せた。
「っ!?ちょっ……!?離して!」
後ろから抱き締められ、ぎょっと目を見開く。
こ、これは私が兄との武術の訓練でやられた羽交い絞めとは違う!だいたい患者が暴れたときは私が羽交い絞めにしているくらいで……って、今絶対に思い出さなくていい記憶がよぎった。
これまで二度も結婚したくせに男性に触れられたことのない私は、逞しい腕に包まれて直立不動で固まってしまった。
「リディア。話がしたい」
「わ、わかったから」
話がしたいなら今すぐ私を解放してー!
だいたいこの状況は何!?逃げると思われてこんなことになってる?
主従関係ってこんなことするの!?男同士でもするの!?
ぎゅうっと腕の力が強まり、気づいたらラウルの頭が私の顔のすぐ横にある。
さらさらの銀髪が私の頬を撫で、緊張感はピークに達していた。
「初めてなんだ。これほど誰かと共にいたいと思ったのは。誰かのために、すべてを投げうってもいいと思ったのは初めてだ」
生け贄になりに来たのは、積極的に死にに来たんじゃないって言ってたもんね。生きたい理由がないって言ってたっけ。
「リディアが俺のことをそんな風に見ていないのはわかっている」
「そんな風にって、あなたが立派な騎士だってことは最初からわかってるわよ。忠誠を誓うレベルに感覚が麻痺してるとは知らなかったけれど」
「……騎士としてか。そうだな。リディアは俺を騎士だと思っているんだろう」
それ以外に何があるっていうの。
患者として?実験体として?ケガが癒えた今、そんな目では見ていない。まぁ最初から実験体にするつもりはなかったけれど。
「お願い、放して」
今世でも早死にしそうです。胸が痛いです。
「嫌だ」
「子どもなの!?」
このままでは気絶する。
もうすでに白目になりそうで、口からおかしな擬音が漏れる寸前だった。
「「…………」」
背中が温かい。
悲しいかな、男性に抱き締められるとこんなにも温かいんだって初めて知った。
耳元で囁かれる低い声は蠱惑的で。男の人にそんな表現はおかしいかもしれないけれど、妙な色香がそんな風に感じられる。
「俺は、リディアに要らないか?」
宝の持ち腐れっていう意味では、要らない。要るはずがない。でもラウルにはっきりと「要らない」と告げるのは憚られた。
ケガをして弱った心がどこまで回復しているのか。弟子のディノくんのこともあるし、ヘタに「要らない」って言ったら自暴自棄にならない!?
「ラウル、私は」
忠誠心は困ります。
その一言を告げようとしたとき。
――パリンッ……。
「「……!」」
頭の中で、ガラスが割れるみたいな音がした。
これは店の扉の結界が崩れた音だ。
侵入者がいたときは、もっと派手に警告音が鳴る。
これはあくまで、知っている害のない人物が入ってきたときに頭の中に聞こえる音。
「お師様が帰ってきた!!」
私の言葉に、ラウルがそっと腕を下ろす。
ここぞとばかりに逃げだした私は、扉に手をかけてそっと振り返った。
ラウルは不敵な笑みを浮かべている。
「……何?」
聞かなきゃいいのに、聞いてしまった。
「この先、リディアを口説き落とせば俺の勝ちだろう?」
そんなに挑発的な顔をされても困る。
「何を言われようが、騎士は薬師に必要ないから」
それだけ言うと、廊下に出て階段を駆け下りる。
ラウルは私に続いて部屋を出て、歩いて一階へやってきた。





