人生のムダ遣いはやめなさい
ラウルの過去に触れて以来、彼は少しずつ笑顔を見せるようになった。
突っかかってくるノルンの模擬戦相手も、快く引き受けてくれている。
ナタリーはというと、ラウルを鑑賞したいけれどあまりここに来られなくなっていた。
彼女は18歳、そろそろ本格的にお婿さん探しをしないといけなくなっているので、連日パーティーでお相手を探している。
私はというと、エドフォード様が紹介してくれるのを気長に待つと決めたので(というよりしばらく結婚したくない)、父がおかしな動きさえしなければ何年でも再婚の機会を待つつもりだ。
けれど、その前に片付けないといけない問題がある。
ラウルのリハビリと家族の元への帰宅、そしてお師様の生け贄募集疑惑である。
明日、お師様が戻ってくるはずだから、きちんと話をしなくては。
取り急ぎ、ラウルに王都に帰るのか聞いて、それならリハビリをどうするのかを決めなくてはいけないのだが……
思わぬ展開になっていた。
「リディア、おはよう」
「お、おはようラウル。毎朝早いのね」
いつもどおり一階に降りていくと、ラウルが鍋を煮ていた。
決して私が寝坊しているわけではない。
私はただ、「朝」に起きているだけ。
ラウルはまだ空が白んでいる頃から起き出して剣の手入れを行い、筋力トレーニングをして湯を浴びて、今こうしてキッチンに立っている。
いつもの黒いロンTに黒の革ズボン、そしてナタリーが「似合うから!」と押し付けたギャルソンエプロンを装着している。
事実、似合いすぎて直視するのはしばらく時間がかかった。
どこのイケメンカフェ店員だ。本当にこんな人がいたら、背が大きすぎて浮くけれど。
「リディアが好きそうなスープを作ってみた。パンはまだ焼けないが、餅というものならできた」
「すごいっ!ラウル天才ね!?」
見たことなし、やったことなしの料理も、少し教えたら3品くらい作れるようになった。
器用すぎて、私の立つ瀬がないような。でもおいしいから、着実に餌付けされている気がする!
餅というのは、マイヤーズ領でよく栽培されている通称・白芋のこと。洗って茹でて潰しながら練ると、懐かしの日本の味である餅みたいになるのだ。
本来はピザや保存食のお団子(スープ用)にするのだが、極限まで練り続けると餅みたいになるから、私はよくそうしていた。
ラウルは餅を気に入ったらしく、私が作り方を教えると上手に作れるようになったのだ。ここでの餅づくりは、技術力よりも腕力。彼は立派な餅職人であり、カフェ店員になっている。
ん?なんでこんなことに?
いかんいかん、今日こそは今後について尋ねなくては。
そう思っていると、彼はふいに私の髪に触れた。
驚いてびくっと肩を揺らすと、彼はさっと手を止める。
「な、何……?」
「いや、すまない。髪を結んでいないのがめずらしくて」
「え?朝はだいたいこうだけれど」
今さらなことを言うラウルに、私はきょとんとなる。
「そういえば、無防備すぎるって怒らないのね」
初日にそんなことを言われて、上着を被せられたことを思い出す。
「それは今でも思っているが、でも」
「でも?」
「気を許してくれていると思えば、かわいいと思えてきた」
「かわっ……!?」
表情を変えず、眉の一つも動かさずに淡々とそんなことを言われると、聞き間違えじゃないかと疑った。
ラウルはカトラリーを引き出しから取り、テーブルに並べ始める。
マイペースか!
動揺した私は髪を無意味に引っ張りながら、何も言わずに部屋へ戻る。
階段を駆け上がると、下からラウルの声がした。
「リディア?一緒に食べないのか?」
お母さん化してる!?
私は部屋の扉から顔だけ出して叫んだ。
「着替えたらすぐに行きます!」
ーーバタンッ。
扉を乱暴に閉めて、そこに背中を預けて頭を抱えた。
何なの?
ラウルってあんなに世話焼きだったの?一体何があった!?
って、腕が治った!すごい出来事はあった!
もともと、あぁいう人だったってこと?
表情はあんまり変わらないし、今でも笑ってるのか笑ってないのかよくわからないときの方が多いし、明るくなったとまでは思わないけれど……
「私、過労かな」
妙にドキドキして息が上がる。
熱っぽいし、意味なく突然「うぁっ!」って叫びたくなる瞬間がある。
「疲れてるのよ、きっと」
無理やり原因を決定づけたが、問題は翌日発生した。
正午前。薬品庫を片付けていると、剣の訓練を終えて湯を浴びた後のラウルがめずらしくこちらに顔を出した。
開けっ放しにしていた扉を、コンコンと叩いて彼は私を見つめる。
「どうしたの?こっちに来るのはめずらしいわね」
「リディアに話したいことがあって」
わざわざ探して伝える話とは?
きょとんとして彼を見ると、なぜかふいっと目を逸らされた。
なぜだ。睨んだわけでもないのに。
「何かあったの?挙動不審だけれど」
「挙動不審!?」
私は手に持っていた箱を棚に仕舞うと、彼と一緒に診療室へと向かう。
この時間帯は薬屋の卸業者も患者のご夫人たちも来ない。
ノルンはまだシャワーを浴びているだろう。
後で一緒にお昼を食べるって約束したから、着替えたら食堂に来るはずだ。
診療室にはラウルと私の二人きり。
お茶でも入れようかと思い、続き間になっている小さなキッチンへ移動する。
「ねぇ、ハーブティーと紅茶と果実水ならどれがいい?」
茶器を手にしてそう尋ねると、背後に人の体温を感じてビクッとした。
「ラウル?」
振り返ると彼が立っている。
身長が高いから、細身なのに圧迫感と威圧感がすごい!
「どうしたの」
顔が怖いです。
真顔なんだけれど、妙な緊張感が漂っているというか……。
小首を傾げて見上げると、彼の低い声が降ってきた。
「もう俺は騎士団の任は降りた」
「へ?え、ええ、知ってる」
はい、知ってます。
彼が来る前に、ナタリーからも聞いていたし。
「けれどもう、生け贄になるつもりはない」
おおっ、はっきりと宣言してくれた。
私は巣立っていく子を見る親のような気分で、微笑みながらうんうんと頷く。
するとラウルは、なぜかホッとしたように笑った。
こんなに穏やかで明るい笑みは初めて見た。私は呆気に取られて、つい見惚れてしまう。
でも私を正気に戻したのは、ラウルの言葉だった。
「だからこれからは、リディアのために生きたい」
「………………はぃ?」
だから、の後がおかしいですよ?
「リディアに生かされたから、リディアのために生きたいんだ」
「はぁ!?」
とてつもない破壊力の笑顔でそう言われた。でも困る。そんなつもりじゃなかった!
私はきっぱりとお断りする。
「ごめん、そういうのいらないわ」
「…………」
あ、ラウルの顔が死んだ。一瞬にして目に闇が巣食う。
そして次の瞬間、その瞳には闘志のような炎が燃え上がった。
「なぜだ!?」
いや、わかるでしょう!?なぜって、重いから!!
急に何を言ってるのこの人!
「リディアは俺を救ってくれた。生涯、君を守りたい」
「いやいやいや、私は薬師だから!善意で救ったわけじゃないから!最初に言ったよね、実験体になって、って」
生け贄になるくらいならって無理やり治療したのに、異様に恩を感じられたら気が引ける!
「だとしても、リディアのそばにいたい」
そんな懇願されても困る。
「お願い、ちょっと待って!薬師が命を救ったことでいちいち騎士に忠誠を誓われたら、国家転覆できるくらいの軍隊ができるわ!」
「それもいいかもな」
いいわけあるか。
何をちょっと本気にしているんだ。
ノルンも生真面目だけれど、まさかラウルまでこんな……!
この世界の騎士って、すぐに誰かに忠誠を誓って命を捧げようとするんだよね。
私は前世日本人の魂が宿っちゃってるし、価値観はこっちに染まりきれないというか。
これまで薬や回復魔法で助けられなかった命を見てきたこともあり、その人の命はその人のものであって欲しい。主従関係は、物語の中だけで充分である。
「悪いことは言わないわ、人生のムダ遣いはやめなさい」
「ムダ遣いなんかじゃない!」
ひぃぃぃ!近い!!
押し迫ってくる彼の胸板を両手で押す。
しかしラウルは私をじりじりとキッチンの壁際に追い詰め、ムダに色気のある仕草で私の手を取った。
不覚にもドキッとして、振り払うのが遅れてしっかり捕まってしまう。
これは嫌な予感!そしてそれは的中し、ラウルは真剣な目で私を見つめて宣言した。
「ラウル・グレイブの名に誓う。俺は生涯、君の剣となり盾となろう」
「誓うな!」
ひぃぃぃぃぃぃ!!人の話を全然聞いてくれないですけれどー!!
出会ったときと全然違うんですけれどー!!
勝手に誓いを立てた彼は、私の右手を顔の位置まで上げる。
「な、何を……」
怯えた私は必死で手を引っ張るが、まったく逃げられない。
「リディア」
艶めいた声で人の名前を呼び、あろうことか手の甲にそっと唇を落とす。
「ひぃっ!」
顔面蒼白の私は、今にも気を失いそうだ。でもメンタルが強すぎて気絶できない。
ラウルはというと、それはそれは神々しい笑みを浮かべている。
死ぬ。
情熱的に見つめてくる目が、私を貫いている。
心臓がさっきから破裂しそうなほどに高鳴っていて、もう一言も出てこないし目も離せない。
誰か助けてっ……!!
全身全霊でこれ以上の接近を拒絶していると、診療室の扉がカチャッと開いた。
「ねぇ、リディア~。今日のおみやげなんだけれど……ってふわぁ!?」
入ってきたのは、手に果物の入った籠を下げたナタリーで。
私たちの様子を見て、顎が外れそうなほど口を開き絶句する。
「お、お邪魔しました」
勘違いされたっ!
扉を閉めて退散しようとする彼女を、大声で呼び止める。
「待って!待ってナタリー!違うから!」
私は、気が逸れたラウルの隙をついて逃げ出した。
もう振り返れない。どうせ顔は真っ赤になっていて、冷静な話なんてできそうにない。
いらん。
騎士なんていらない!!
だいたい薬師の生活ってそんなに危険じゃないから!黒騎士レベルの戦力はいらないから!
私の暮らしに付き合っていたら、ラウルが暇すぎて脳にカビが生えるだろう。
何より心拍数が爆上がりで、私の寿命が縮みそうだ。
「リディア」
ナタリーに抱きついて頭を擦り付けていると、背後から爽やかな声が聞こえてきた。
「君が何と言おうと、俺はここにいる」
もう振り返るのも怖い。目が合ったら心臓が破裂するんじゃない!?
怖いもの見たさというものなのか、ゆっくりと首を回して彼を睨むと、すぐにそれが笑みだとわかるように口角を上げていた。
「なんで笑ってるの」
「いけなかったか?」
恨みがましい目を向けつつ、不覚にも思ってしまった。
ラウルの笑った顔はちょっとだけ好きだと。
いつかそんな日々が普通になるときが来るんだろうか。
声を上げて笑ったり、耐え切れないという風に喉を鳴らして笑ったり。今は想像もできない。
「ねぇ、ラウル様が笑ってるけれど、何か病気なの?幻覚きのこでも食べた?」
ナタリーは本気でそう思っているみたいだった。





