黒騎士を観察してみた
――ヒュンッ……キィンッ……。
朝、といっていいのかわからないくらいの早朝。
私は何かが空気を切り裂く音で目が覚めた。
まだ薄暗い。
のろのろとベッドから下り、寝間着のままで一階に下りる。
ポットを火にかけ、窓の外を見た。
そこには白んだ空気の中で一人剣を振るう男がいた。
「ラウル……」
右手に剣を握り、一心不乱に空気を切り裂く。
突きは鋭く、横薙ぎは力強く。風圧で周囲の草木が揺れた。
――きれい。
軽やかに舞うような動きは、とても同じ人間とは思えない。
薄い魔力の膜を纏っているのは、身体に負荷をかけているのだろう。
窓に近づき、しばらくの間それをぼんやりと眺めていた。
彼はもともと双剣使いだと聞く。
実際に戦ってるところを見たことはないけれど、右手一本でも十分に通用すると思う。
じっと観察すると、左腕は90度くらいまで曲げることはできるみたい。ただ、肘から下は動かないのだとわかった。あれではぶらんと重しがついているように感じるだろうな。
かといって、手を持ち上げることはできるのだから、おそらく感覚はある。神経が完全に壊れたわけではないみたい。日本の医療ならともかく、ここには魔法がある。神経が生きているなら治る可能性は高い。
ではなぜ王都の医師が治せなかったか。
私の予想では、「治さなかった」のだろう。だって彼は国の英雄。そんな彼の腕を治療したのに治せなかったとなれば……万が一にも悪化させてしまったら。
王都の医師が保身に走った、その可能性はある。
王太子をひっ捕まえて治療するような薬師は、多分私だけ。黒騎士様も同様だろうな。
それに、回復魔法で大きなケガでも治ってしまうから、古傷を治すような経験はめったにない。魔法が便利すぎて、古傷を治すような外科手術を経験している医師は少ない。
窓枠に頬杖をつき、私はラウルの鍛錬をなおも観察し続けた。
「身長191センチ、体重78キロってところかしら。細身だけれど筋肉質で、背筋・腹筋は多め。重心がやや右に傾いているのはケガの影響かな」
子どもの頃から母やお師様について患者さんをたくさん診てきたから、目測は得意だ。魔法で分析することもできるけれど、あれはめったなことでは使えない。魔力を消費しすぎるから。
ラウルは一通りの訓練を終えると、ふいにこちらを向いた。汗を滴らせながら、かすかに目を細める。
ようやく私に気づいたらしく、ひらひらと手を振れば、なぜかぎょっとした顔をされた。
すぐさま近くに置いてあった上着を取り、それを持って恐ろしい渋面で走り寄ってくる。
彼は私の目の前に来ると、勢いよくその上着をかぶせてきた。
「わっ!」
「そんな恰好で何をしている!?無防備にもほどがある!」
叱られてしまった。自分の家で寝間着でうろついて叱られるとは思わなかった。
「ごめんなさい、礼儀がなってなかったわね」
ラウルの上着をすぽりと被ると、前の留め具でしっかり合わせて寝間着が見えないようにする。
「お腹空いたでしょう?朝食を作るから、湯でも浸かってゆっくりして」
「……そうさせてもらう」
ここの店舗兼住居は、私が伯爵家の財力で整備したシステムバスもどきがある。
魔法で温められたお湯がいつでも出せて、しかも循環・浄化機能つき。猫足のかわいいバスタブは、王城にもないくらいの最先端設備なのだ。
昨日の夜、使い方を説明したらラウルが衝撃を受けていた。
普段はシャワーだけで済ますらしいけれど、腕のためにもゆっくり湯に浸かった方がいいと言うとすんなり従ってくれた。
私はラウルに朝風呂を勧めると、二階へ上がって自室で服を着替える。
いつまでも上着を借りているわけにはいかない。
それに、ちょっと落ち着かなかった。
家族ではない男の人の匂いのついた上着は、妙に胸がざわざわした。イケメンの上着、ナタリーが知ったら喜びそう。
さっさと蒼いワンピースに着替えると、ショートブーツを履いて調理場へ向かう。
さぁ、今日は大忙しだ。
朝食を摂ったらラウルの身体計測をきちんとして、命の前借りと究極ポーション、それから解熱剤の調合もしなくては。
今日はノルンが来ると言っていたから、ラウルを紹介して、男性が着られる衣服と寝間着の買い物を頼もう。
通いのお手伝いさんに、昼食と夕食が二人分になることもお願いしなくては。
あれこれ思考を巡らせながら、私は保冷庫を開けた。
朝食を摂ってすぐ、ノルンが店に顔を出した。
今日は騎士服ではなく、淡い紫色のワンピースを着ている。
彼女はラウルを見ると、お化けでもみたかのように驚いていた。
「ほ、本物……!?」
うん、リアクションが私と同じだ。
そう思うのも無理はない。黒騎士様がこんなところにいるなんて思わないからなぁ。
真面目なノルンは、私がラウルを治療すると言ったらすぐに必要な着替えやら何やらを買ってきてくれると言う。ついでにナタリーの家が経営しているお店により、彼女にもラウルのことを話してくれるそうだ。
きっと大喜びでイケメンを見に来るに違いない。
一応、これから命の前借りを使って彼はけっこうな苦しみを味わう予定なので、くれぐれも突撃するようなことはないようにとナタリーにはくぎ刺しておいてもらおう。
しかしノルンは去り際に、ちらっとラウルを見てぼそっと告げた。
「うちのリディアに手を出さないでくださいね……?」
「何言ってるのよ。そんなことあるわけないでしょう」
この美貌の騎士様だ。これまで女性に群がられた経験はさぞ豊富なことだろう。私に手を出すほど飢えていないはず。
ノルンは私のことが大好きだから、男運のないことを心配している。二度の離縁のあと、すぐに見慣れない男性が出現したら警戒するのは当然で。
けれど、私だってここにきて生け贄希望の男とどうにかなるなんてことはない。
そういえばエドフォード様に婿候補への条件を聞かれたけれど、「生きる気力のある人」っていう条件も追加しておこうか。そんなことがふと頭によぎる。
ノルンとほぼ入れ違いでやってきて、通いのお手伝いさん・ジェバンナさんには今日から二人分の昼食と夕食を作ってもらいたいとお願いした。もちろん、特別手当は出す。うちはホワイトな雇い主ですよ!
私は診察室へと入り、ラウルと向かい合った。
「診察って、俺はどうすればいい?」
ベッドに座ったラウルは、ゆったりとした長袖シャツと黒いズボンを履いている。これから身体計測をして、薬の量を決め、問診を始めるのだ。
私は椅子をベッドの正面に置き、そこへ腰かける。もうすでにイケメン耐性が発動したようで、真正面から顔を合わせても緊張しなくなってしまった。慣れというか、薬師モードに入っていた。
「今から身体がどんな状態か調べるわ」
彼には左腕の袖をまくってもらった。
傷がどんな状態なのか確認しなくては。
「傷そのものは大きくないのね」
「あぁ、得物は短剣だったからな」
左肘の少し上には、三センチ程度の傷跡が残っていた。周囲の皮膚は引き攣れることもなく、剣が刺さった部分は痕があるけれどそれ以外にはきれいに治っているように見える。
「触りますね~」
私は遠慮なく傷のまわりに触れた。
彼の目が少しだけピクッと動く。
「痛いなら痛いって言ってね。騎士の人って、痛いとかしんどいとか言っちゃいけないって我慢が染みついているようだけれど、診察するときにそれじゃあ症状がわからないから」
たまにいるんだよね、傷口に何かの破片が入っていて、それを取り出しても一言も発しない人。痛いって言ったら負けみたいな感じで、歯が欠けるほど食いしばってしまう人が。
本人のプライドの問題なんだろうけれど、診察するこっちからすれば素直に痛いって言って欲しい。
「ここは?」
私はそっと患部を押していき、傷の深さを確かめる。
「君の指がある少し上は、痛みがある」
「引き攣る感じ?刺さる感じ?鈍い感じ?」
「刺さる感じだと思う」
奥にはコリコリとした芯のようなものがある。
傷を負ってすぐに回復魔法をかけるなり、手当てするなりできなかったんだろうな。
続いて私は彼の左手を握り、上下に動かしたり感覚の有無を確かめたりした。予想通り、全神経を指先に集中すればかすかに動かすことができ、私が触れていることもわかるらしい。
「肘の方が重傷ね。ここの筋肉が損傷しているから、手首が曲がらない」
彼の診察を終えると、私は今後の治療とリハビリについて考え始めた。
ラウルは袖をまくったままで、ベッドの上におとなしく座っている。
「あなたがつけていた鎧って何キロくらいあるの?」
これからもアレをつけて戦うつもりだろうか。ミスリル製だとしてもある程度の重さはあるはず。
「鎧が16キロ、兜は5キロだ」
「そんなに!?」
父の鎧はもっと重いことを知っているから、鎧にしては軽い方なんだとは思う。
けれど、それをつけて双剣を自由自在に扱えるようになるのは、かなりの筋力トレーニングが必要になるだろうな。
一日寝込むだけで筋力は衰えるから、彼がリハビリの途中で絶望しないようにうまく誘導しなきゃ……。
「半年は療養とリハビリしてもらわないとね。あ、でも魔法で負荷をかけて回復魔法と併用すればいいか」
むむっと考え込む私を見て、ラウルは不思議そうに言った。
「なぜ君はそこまで考える?治すまでが君の仕事だろう?」
どうやら、腕が動けばそれで私の仕事はおしまいと思われているらしい。
「まぁ、治すのが仕事っていうのは合ってるけれど。でも、治すのももちろん大事だけれど、治した後の生活の方が大事だと思う。治すことだけを目的にしてしまうと、その人が「どうありたいか」っていう部分がきちんと反映されないというか」
「どうありたいか?」
「私はあなたの腕を治したいけれど、その腕がどう使われるのかも気になるから。腕を治すことであなたにどんな喜びをもたらすのか。そういうことの方が大事だと思っているわ。極端な話をすれば、治らない方が幸せであれば治らなくてもいいとさえ思うくらいで。生きるためにどうするか、どう腕を使うのか……。あ、せっかくつないだ命を自分で捨てるのは、生きるっていう人としての最低限の目的がブレてしまっているからダメです」
「俺のように?」
カルテに治療内容を書き込みながら、ちらりとラウルを見て私は笑った。生け贄になんてさせない。
「そうよ?私が治すからには、経過観察として二十年は生きてもらうから」
「二十年」
「いいでしょう?生け贄になって死ぬ気なら、私のために生きて」
「…………考えておく」
即決はしてくれないか。
みんなのために戦ってきたこの人には、これから先に幸せになって欲しい。
王都からの帰り道、黒騎士様のおかげで平和に暮らせるようになったって喜んでいた人がいたんだから、本人が死に急ぐなんてとんでもない。
おせっかいと自己満足のなせる技でも、彼をこのままにはできない。
私はさっそく戸棚から瓶を取り出す。湿布薬の元になる緑色の粘液が入った大き目の瓶だ。
「命の前借りだなんて、もっとマシな名前はなかったのかしら」
ネーミングセンスが壊滅的である。
ラウルはそれを見て、表情一つ変えずに言った。
「それは例の師匠が作った薬なのか?」
「師匠が作ったのは神の加護で、あぁ、それは王太子殿下の病を治した薬なんだけれど。命の前借りは、それを基にして私が改良した薬よ。病だけでなくて、ケガを治せればと思って」
防水効果のある布に、分量を量った粘液を丁寧に塗り広げていく。それと包帯を持って、私は再びラウルのそばに座った。
「これを肘に貼ると、あなたの持っている魔力が患部に集中するの。肘が熱くなるけれど気にしないで」
「わかった」
「この傷の深さから予測すると、高熱が三日間続くから。頭痛と吐き気もすると思うので、薬を処方します。それで、体力回復薬も1日5回飲んでもらうから」
淡々と説明すると、ラウルは黙って頷いた。
「今のところ確認している副作用は、頭痛と吐き気くらいだけれど、何か質問は?」
「ない」
本当に生け贄になる気なんだな……。自分がどんなことをされるのか、薬の成分は何なのか、一切尋ねるつもりはないらしい。
「それじゃあ、治療に入ります」
嫌がって暴れられるよりはマシ。そう思うことにして、私はさっさと準備を整え出す。
「その薬は」
「ん?」
体力回復薬の液体を混ぜていると、彼がおもむろに口を開いた。
「君の知識や技術は、すべて師匠から?」
ようやくちょっとは興味が湧いたのかな。
「お師様と母、それに領内の薬師の人たちね」
「薬師は弟子をとるものなのか?」
「う~ん、人によるかも。お師様と出会ったのは偶然で、親から子に受け継がれることが多いと」
医者は貴族の次男三男が多くて、薬師は娘に教えることが多い。
「騎士はどうなの?」
確かグレイブ家は由緒正しい武門のはず。かっこいい一子相伝の技みたいなのがあるんだろうか。
私は興味本位で聞いてみた。
「……鎧は師から受け継ぐものだ」
彼によると、あの漆黒の鎧と兜は師匠から一番弟子が受け継ぐものだという。
ラウルは剣豪と称えられた剣術の師匠から、あの武具を受け継いだんだとか。
「あなたもいずれは弟子を取るの?」
「……」
何気なく発したこの言葉に、ラウルを取り巻く空気が変わる。いけないことを聞いたのかも、瞬時に察した私は話題を変えた。
「うちのお師様はかなり変わってるから、帰ってきて会ったらびっくりするわよ~。あ、治療前にごはん食べとく?しばらくは胃が受け付けないと思うんだけれど」
「……さっき朝食を食べたばかりだ」
本当だ。
しかも私ったら同じことを言って、「今食べとかないと!」ってラウルに限界以上に食べさせたんだった。
私は無言で準備を勧め、ラウルはぼんやりとそれを眺めていた。





