生け贄にちょうどいい男
リディアが城へやってきた日の夜。
王太子であるエドフォードの執務室では、カイアスが休憩のために温かなハーブティーを淹れて待機していた。
そして目の前には、片っ端から集めた20代独身騎士のリストを見て撃沈している主人がいる。
「もしかして安請け合いした……?」
今頃気づいたか、カイアスはそう心の中で思う。
「そうか、リディアと身分的に吊り合って、しかも剣の腕が立つ男となればすでに婿入り先が決まっているか既婚なのか」
さらには派閥問題もある。
いくら該当者がいたとしても、第一王子派の貴族の中から選ぶわけにはいかない。
妾腹のために王位継承権を放棄した兄王子は、本人にその気がないとはいえ未だに彼を傀儡にして国を操りたいと考えている貴族はいる。
「うわ~、婿を取るってここまでむずかしいのか」
「あなた様が紹介するとなれば、ですけれど」
しんと静まり返った執務室。
ちらりとカイアスを上目遣いに見たエドフォードは、ねだるように言ってみる。
「ねぇ、カイアスが」
「お断りいたします」
カイアスがリディアの婿になればいいのに、という言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
年齢だって26歳だから4歳差だ。
公爵家の三男なので後ろ盾は強固なものがある。
剣の腕も王太子を守れるくらいにあるカイアスなら、リディアの婿にはちょうどいい。
そう考えての提案だったが、双方に全くその気はないこともエドフォードはわかっていた。
「見つかるかなぁ、婿候補」
「見つけるんでしょう?生け贄」
「その言い方……」
カイアスの辛辣な物言いに、エドフォードは眉を顰める。
「あのねぇ、リディアはちょっと薬師としてまじめに働きすぎなだけで、気立てのいい、容姿もいいお嬢さんなわけ。たった二度結婚に失敗しているけれど、それだけだからさ?」
「たった二度、ってされど二度です。いいえ、むしろその二度が問題なわけで。実情を知っていれば問題ないかもしれませんが、書類上は圧倒的に不利です。これは私の性格が悪くて申しているわけではなく、事実ですからね?世間からすれば、3人目の婿は生け贄です」
「あ、性格が悪いことは認めるんだ」
エドフォードはため息を吐き、手に持っていたリストを放り投げる。
彼は「リディアの婿探しは、議会で新しい政策を通すよりもむずかしいかもしれない」と思い始めていた。
しかしその矢先、執務室に来客が現れる。
――コンコン。
軽いノック音がしたことで、カイアスがすぐに扉の方へと近づいていく。
兵から来客の名を告げられると、すぐに通すように伝える。その口元は、これまでとは変わって弧を描いている。
まるでおもしろいおもちゃを見つけた子供のように、喜びを噛みしめる雰囲気すらあった。
「エド様、ちょうどいい男がやってきました」
「え?ちょうどいい男って」
二人が目を見合わせていると、そこへ白シャツに黒の正装を纏った男が入室する。
190センチほどの長身にすらりと長い手足。まっすぐな銀髪に、紫色の瞳を持つそのシャープな顔立ちは凛々しさと儚げな雰囲気が共存していた。
腰には左右に二本ずつ帯剣していて、王太子の執務室でそれが許される人間は数少ない。エドフォードを害さないと信頼があるからこそ、だったが……その瞳は苛立ちに満ちていた。
「なぜ退団が許可されない?休暇申請した覚えはない」
「ラウル、怒ってるね~」
ラウル・グレイブ、28歳。
侯爵家の三男であり、王太子直轄の第一騎士団の団長として兵を率いていた男だ。
黒騎士と呼ばれた彼は今、グレイブ家で休養という立場にある。
怒りを露わにする彼を前に、エドフォードは明るく笑って着席を促す。
「まぁまぁまぁ!座ってくれるかい?」
「……」
不機嫌そうに座ったラウルは、カイアスが淹れた紅茶を一気に飲み干す。
「俺の退団はもう公に発表されたことだろう。なぜ未だに休暇扱いなんだ」
「そう思うよね。わかる、わかるよ。でもさ~、退団したらきっとわんさか縁談が来ると思うんだよ。そうなると、グレイブ侯爵が大変な思いをするからさ?」
エドフォードは苦笑しつつ、自席から立ち上がるとラウルの正面に座った。
「それにまた戻りたくなるかもしれないから、そうなったときには休暇扱いの方が便利だと思うけれど」
クスッと笑うエドフォードは、挑戦的な目を向ける。が、ラウルはあからさまに顔を顰めた。
「もう戻る理由がない。戦えない者が上にいては、部下に示しがつかないだろう」
「ええっ、大丈夫さ。君は腕一本でも私より強いよ」
「とにかく、早急に退団の手続きを。用件はそれだけだ」
「ん~、困ったなぁ。ラウルに退団されると、イズドール卿の思い通りになる。あんな古狸の逆恨みに付き合ってあげる必要はないって、私は思っているからね」
退団のきっかけを作った男の名を出され、ラウルは露骨に苛立ちを醸し出す。
「考えてもみてよ。今回の一件で、君にどんな非があるっていうんだ」
「……弟子を失くした」
「奪われた、の間違いだよ。君は被害者としかいえない。もっと言えば、イズドール卿に付け入る隙を与えてしまったのは私の責任だね。ラウルが己を責める必要はまったくないし、退団する必要もない」
「相手は財務大臣だ。敵に回すより、俺一人が引いた方が早い。国政で剣は役に立たないだろう」
「そんなこともないさ。背後から斬りつけるときに役立つよ?私は君たちのように騎士道精神は持ち合わせていないから、ラウルが不当な扱いを受けて退団なんてことになったら……錯乱してイズドール卿を襲ってしまうかもしれないな~。って冗談だよ?半分くらいは」
ニコニコと笑うエドフォード。凍てつくような視線で睨むラウル。
「国を背負う者が、軽々しくいうことではない」
「へぇ、軽々しくなければいいの?」
「……」
長い沈黙が続いた後、一向に口を開きそうにない二人の間にカイアスが割って入った。
「ラウル、そんなに退団したいんだったらどうでしょう。将来有望な生け贄を探している魔女がいるんですが?」
「…………は?」
いきなり投げかけられた言葉に、ラウルは殺気を解かれた。
「生け贄?魔女?そんな前時代的なものがまだいるのか。冗談はよせ」
「本気です。あなたは適任だと思われます」
ラウルに睨まれても、カイアスは怯まない。美しい作り笑いを浮かべ、まるでちょっと仕事を依頼するかのように告げた。
「マイヤーズ辺境伯領。覚えていらっしゃいますよね」
「あぁ、5~6年前に戦った地だ。……まさかそこに?」
「はい。そこに行っていただけるなら、退団を許可できますよ?今すぐにでも」
カイアスがちらりとエドフォードに視線を投げると、ちょっと驚いた顔をしつつも王子は静かに頷いた。
「いいかもしれないね。ラウルなら国境の砦を任せられるし」
「仕事か?」
ラウルは眉間にシワを寄せて尋ねる。
端的に単語だけで話すのは騎士団ではよくあることで、ラウルの癖だ。
「ええ、二度の離縁で傷心の薬師の女性を慰めるお仕事です。生け贄として婿入りするだけの簡単なお仕事ですよ」
「そんな仕事はない」
「ありますよ、失礼ですね」
「どっちが」
批難の視線を向けてくるラウルに、カイアスは世間話のように告げる。
「今のあなたにぴったりだと思いますが?退団した後はひとりどこかへ旅立って、誰にも看取られずに死ぬつもりだったんでしょう?」
「……」
嘲笑うかのような態度で話すカイアスに、ラウルはぎりっと奥歯を噛む。
「図星ですか?情けないですねぇ、ちょっと弟子に裏切られたくらいで。エドフォード様なんて何人の女性に裏切られてきたとお思いで?」
「ちょっと、今その話やめて。遊び人ってことにしてプライドを保ってるから。私が捨てたという記憶にしたいんだ」
慌てるエドフォードを尻目に、カイアスは続けた。
「負け犬のあなたにはお似合いですよ、生け贄が。どうせ命を捨てるなら、人の役に立ってから死んではいかがですか?あ、それにあの薬師ならその腕も治せるかもしれませんよ?ねぇ、エド様」
カイアスに指摘され、エドフォードはラウルの左腕を見つめた。
見た目にはケガをしているようには見えないが、彼の左腕が肘から下がほとんど動かないことは知っている。
感覚はかろうじてあるものの、以前のように動かせるという意味で「治せる」という医者は王宮勤めの勲章持ちの中にもいなかった。
「そうか。その手があった!」
「気づくのが遅いですよ、エド様」
呆れたように言うカイアスを見て、エドフォードは口元を手で押さえて笑った。
「うわ~、これはもう運命なんじゃないかな?いいときに来たよね、ラウル」
「……おい、俺は納得していない」
勝手に話が進んでいく中、ラウルは抵抗を見せる。
今さら腕が治るなんてことは期待していない。が、カイアスの言う通り人の役に立ってから死ぬ方がいいという気持ちは芽生えていた。
そして付き合いが長いカイアスは、ラウルの心境を見逃さない。
「ラウル。これはもうエド様からの命令です。今週中にでもマイヤーズ辺境伯領へと向かいなさい。詳細は追って連絡します」
「勝手にそんな」
ラウルが反論する前に、エドフォードも畳みかける。
「いいじゃないか。あの家なら家格も吊り合うし、腕が治る。グレイブ侯爵には話を通しておくから!それに何より、ラウルがマイヤーズ辺境伯領に行ってくれるなら退団も許可できる」
「しかし」
「あそこなら、君の願いが叶うと思うよ?」
静寂に包まれる部屋。
いたずらな笑みを浮かべるエドフォードを見て、ラウルは真意を図りかねていた。
(俺の願い……?この無駄な生を終わらせられるというのか?魔女の生け贄とは一体なんだというのだ)
悩むラウルを前に、エドフォードは最高の笑みを浮かべて何かの書類にさっさとサインを始めてしまった。
(二度も離縁したということは、その薬師は40代か50代……?婿というのは隠語に近いもので、実は実験体が欲しいということなんだろか。それなら、俺の腕が治るかもしれないとこの二人が言ったのも納得できる)
次々と見当違いの想像を巡らせるラウル。
しかしエドフォードもカイアスもそれにまったく気づいていない。
「俺はどこへ行けばいいんだ?」
「マイヤーズ辺境伯領の薬師の家。領主館よりはそっちにいると言っていたから、直接向かったらいいよ……。よし!手紙は書けた!こっちはグレイブ侯爵に、こっちは議会用。こっちはマイヤーズ辺境伯に送ろう」
悩むラウルを放置し、エドフォードは次々に手紙を書き上げた。
カイアスに至っては「また連絡します」とだけ告げて、さっさと封筒の束を持って部屋を出て行ってしまう。
(この二人が俺を生け贄と言われる場所へ送り出すとは思えないが、そうまでしても俺の腕を治したいんだろうな。共に戦ってきた仲間だからこそ、俺よりも諦めきれないのか)
ラウルは無言のまま立ち上がり、せっせと新しい紙にペンを走らせているエドフォードを見下ろす。
「あっちはまだ寒いから気をつけてな。国防に関しては、小競り合い程度なら伯爵とラウルで過剰戦力だろう。心配はない」
ラウルを見上げ、陽気な声で笑いかけるエドフォード。
「生け贄になるのに、大丈夫も何も……あぁ、実験体は健康な方がいいということか」
「は?」
「退団できるなら命令に従う。マイヤーズ辺境伯領へ向かおう」
それだけ言うと、ラウルは執務室を出て行った。
ぽつんと残されたエドフォードは、その背中を怪訝な顔で見送る。
「何か勘違いしてる……?まぁ、明日にでもリディアの経歴書と手紙を届けさせればいいか」
この日も夜更けまで執務に励んでいたエドフォードは、まさか翌朝すぐにラウルが王都を発ってしまうなど考えてもいなかった。





