日下華
「先輩!」
そばかすの散った赤みの残る頬に笑みを浮かべて一人の少女が駆け寄ってくる。目の前で立ち止まった拍子に揺れる短い黒髪。
「一緒にご飯食べましょう!」
悪意も敵意も感じさせない、のんきな女。
私が、世界で一番大嫌いな、女。
「ええ、そうしましょう。――――六花。」
こうして前世でそれこそ死ぬほど呪った女に笑いかける私が、世界で一番滑稽だと思う。
※
前世ではある裕福な藩の藩主の娘だった。
お父様もお母様も高齢な時に産まれた私は、適度に甘やかされつつ育った。末の子供でありながら初めての娘だったことも関係しているのだと思う。
今思うと恵まれていた。飢えることも、身を売ることもなくお母様や乳母に囲まれて。間違いなく幸福な命だった。
それがあんな不幸に終わったのは私の我が儘と、彼を誑かしたこの娘のせいなのだ。
恵まれた生活は幼心には退屈で、私はしょっちゅう屋敷を抜け出そうとした。もちろん幼子がそう簡単に厳重な警備を潜り抜けることはできなかったが、窮屈な暮らしを憐れんだ女中が何回か町へ連れ出してくれた。
そうして彼を見つけたのだ。
年頃になっても懲りずに城下町へお忍びで遊びに行った私は、運命の出会いを果たした。大名行列で江戸入りをする彼である。
凜とした佇まいの彼は同年代に見えるのにやけに大人びていて、その様に胸が高まり、頬に熱が灯った。
屋敷に戻ってもぼうっとした様子の私に皆が不思議がっていたが、一緒に出かけていた女中が話をしたところ上へ下への大騒ぎになった。
兄達があちらこちらに縁を結び、私があまり結婚相手に拘らなくて良かったのもある。吹けば飛ぶような小藩ならこんなじゃじゃ馬娘でも断られないだろうという打算もある。とにもかくにも縁談を組むことが決まった。この機会を逃せば次はないという危機感が両親や家臣の背中を押した。
そうして向こうの家から承諾の返事が来て暫く……彼の訃報が届いた。なんと女中と心中したという。
家の者たちの怒声を聞きながら、私は目の前が赤く赤く染まっていくのを感じていた。
なぜ、そんな身分の低い女と死んでしまったのか。なぜ、私と結ばれてくれなかったのか。
理由なんて決まっている。その女だ。そいつが彼を狂わせた。
そして、私は死んだ。発狂して死んだ。来世では彼をあの女の魔の手から守ると誓いながら、あの女を呪いながら。
その女が今、目の前にいる。
※
間抜けにも口元に米粒をつけて品がなく弁当を頬張る女に「口元、ついてるよ。」と親切に教えてやる。こんなどんくさい娘のどこが良いのだろう。
彼女があの憎き女中だと気づいたきっかけは彼の表情だった。高校の入学式、クラスの座席表に彼と同じ名前があると思い期待した私を天は中途半端に裏切った。間違いなく前世の愛しの君と同一人物である彼は、彼と同じく前世と変わらない私の名前を見ても何一つ覚えているそぶりも私を思い出すそぶりもしなかった。
当初は悲しかったが、すぐに気持ちを切り替えた。記憶がないのなら好都合、女中のことも忘れているなら惚れさせるのも簡単だと。彼と同じ部活に入り、接点を増やしていけば――。
しかし、二年生での入学式。彼の挙動が不審になった。部活勧誘ではある少女をやけに熱心に勧誘していた。その少女を熱心に眺め続けた。
まさか、と思った。覚えているわけはないと。
しかし予感は確信に変わった。彼が親友に言っているのを聞いてしまったのだ。
「彼女は僕の前世からの恋人さ。」
許せるわけがない。前世と同じ轍を踏むわけにはいかない。
そして天は私を見放していた訳ではなかった。
「部長、少しお話良いですか?」
おずおずと話しかけてきた女に舌打ちをしそうになる。それでも私の悪い噂が、特にこいつからあの人のもとへ流れるのは我慢ならなかったから笑みを絶やさなかったけれど。
「なぁに?」
「あの、ここでは、ちょっと」
言いづらくて、とこぼした彼女の先には彼の姿。一体何だというのか。恋愛相談なら絞め殺してやる。
しかしそんな私の思いとは裏腹に、人のいない女子更衣室で彼女が打ち明けたのは喜ばしい話だった。
「幸治君が?」
「はい、親切にしてくださるのは嬉しいんですけど、最近なんだか怖くって……。必要以上に話しかけられるし、頭を撫でられたりするし、時々帰り道で待ち伏せのようなことをされて……。」
少しずつ心臓が早鐘を打つ。だって彼の言うとおり前世から想いあっているのなら、
「高崎さん。」
「はい。」
「高崎さんは……幸治君のこと、前から知っていたりするの?」
「え?」
その反応が答えだった。
※
それから私はこの女、高崎六花と行動を共にするようになった。彼女の相談に乗るという名目で、間違えても彼を好きにならないように。私の恋路を邪魔させないために。
「先輩、今日もありがとうございました!」
私の可愛くて憎らしい後輩、今世こそ私と彼の間を引き裂かないでね。