追録:「あなたのために咲いてあげる」
蛇足かもしれません。
太陽の光が燦々と降り注ぐ。
二度と戻ることはないと思っていた故郷の森で、あたしは新たな生を受けた。
人としての生は終わっても、花木となって生まれ直す。
それが花人という種族だから。
あたしは花人の、数居る民草の一人だった。
まだ蕾の妹や幼い子どもらを守るため、囮となって敵に体を差し出した。
神様は残酷よね。
まさか国を滅ぼした兵隊の一人が、あたしの『伴侶』となる運命の人だったなんて。
……バレると本当に洒落にならないから、これは極秘情報なんだけど、花人は本来不老長寿なのよ。
花の命は短いというけれど、咲く期間が限られているだけで、樹齢の長い藤や桜の木は普通に存在するでしょう?
それと同じよ。
花人は成人になって花が咲いた瞬間から、たった一人の伴侶と出会い、結ばれるまでは歳を取らずに若い姿を保つ。
数は少ないけど、女王様みたいに四百年近く生きた例もあるわ。
そこまで考えて、あたしは可哀想な女王様に思いを馳せる。
長い時を国のために捧げ、やっと出会った運命の人と、その間に出来た愛しい子どもを手にかけて、自らもまた御神木の贄になったお方。
あたしはこうして森に還り、違う形でも生きている。
でも女王様とそのご家族は、魂ごと御神木に取りこまれて消えた。……救いはないのかしら。
なんて思っていたら、あたしの伴侶が帰って来たわ。
────お帰りなさい。遅かったわね。
「お前が言っていたこと、全部本当だったんだな」
────あら。今頃わかったの?
あたしを見下ろす男は酷い有様だった。
服はぼろぼろ、顔も体も傷だらけで見るに堪えない。
毎日傷を増やしながら、ひとりぼっちになっても、あたしのために綺麗な水を汲んで来てくれる。
男の手から注がれる水はまるで甘露のように甘く、あたしの根と葉に染み渡る。
早く立派な木になって、また花を咲かせたいな。
「どこの国も、『花の国』に手を出すのは諦めたみたいだよ。なぜか帝国からの追っ手もこない」
────よかった。あたしらが犠牲になった甲斐があったわね。
あたしの声は聞こえていない。でも、彼はこうしていつも話しかけてくれるの。
お互いに一方的な会話だけど、おかげで退屈しないですむわ。
「どうして俺はお前を信じなかったのかな。あの時儀式を受けていればよかった。どうして俺は、お前の種を受け入れなかった……」
────どうして今さら、そんなことを言うの……。
花人はいつだって運命の人を待っている。馥郁たる香りの花々の中から、自分だけを選んでキスをしてくれる人を。
────花にキスをするというのは、あなたが思っているよりもずっと特別なことなのよ?
唇から読み取った遺伝情報を元に、相手の種族に合わせて肉体を作り替える。
相手が短命種なら、長い寿命さえ捨てて同じ時を生きられるように。選んでくれた人との間に確実に子どもが出来るように。
花の香りも伴侶だけを癒すものに変わり、そして変化は体だけでなく心にも及ぶ。
殺したいほど憎い仇を愛さずにはいられなかった。
平静を装っていたけれど、どうしようもない憎しみと愛の間で、気が狂いそうだった。
「ミツ。すまなかった……。今もお前を愛している」
────その言葉は、あたしが生きている内に聴きたかったわね。
あなたはいつもつれなくて、痛いことも、屈辱的なこともいっぱいされた。
優しい言葉の一つもなく体だけを求められ、物のように扱われて、身も心も引き裂かれた。
────儀式はおろか名乗ることさえ拒まれた、あたしの惨めな気持ちをあなたにもわからせたかったの。
「ミツ」
あたしが死んでから、あなたはいつも泣いてばかりいるね。
今のあたしにはあなたを慰める手も花もないのに。
「ミツ」
引き返さなければよかったのに。
あたしのことなんか忘れればいいのに。
あんなに強情だったのに、どうして取り返しがつかなくなってから素直になるのよ……。
「ミツ……お前に会いたい。またあの蜜柑の花の香りを嗅ぎたい」
…………馬鹿ね。見当違いなことばかりだわ。
あたしは可愛い蜜柑の花なんかじゃない。
血塗られたように赤い果実をつける花人なの。
酷い仕打ちばかりするあなたを、どうしても赦すことが出来なくて。
あたしはあの時、『……あたしの、なまえはヒミツよ……』と言ったのよ…………。
葉の裏に溜まっていた雫が一滴、ぽたりと落ちた。
国民としても種族としても、あたしはもう充分役割を果たしたよね。
────しょうがないから、新しい生ではただの花として、あなたのために咲いてあげる。