滅びた国に芽吹くもの
最前線で戦った兵隊に、褒美として女が下賜された。
オレンジがかった赤毛は乱れ、はだけた白い肩には青痣が残る。女は美しいが、どこか空虚な瞳で男を見上げている。
「……これが男を誑かす魔性の種族か。なるほど、妙な色気があるな」
女王は自害、貴種は全て討ち死に。
逃げ遅れた民草たちは各国の貴族に散々蹂躙され、こうして下っ端にまで回される。
哀れではあるが、それが敗残国の、弱小種族の運命だ。
今回の戦で多くの部下を亡くした男が、複雑な心境で選んだのは、年の頃は十八ほどの、まだ少女の域は出ないが婀娜っぽい美女だった。
花人の最大の特徴である、頭部に咲いた溢れんばかりの花は、おそらく蜜柑の花か。
鮮やかな髪に絡むように咲いた白い花と瑞々しい葉は、宝石なんかよりも女の美貌を引き立てる。
さらに花から発する柑橘の香りは、爽やかなのにどんな香水よりも蠱惑的で、男の情欲を誘った。
その香りに内心では惹かれながら、男は抗うように眉間をしかめる。
「甘ったるい臭いだ。フェロモンでも出してやがるのか?」
「その金と黒が混じる独特な髪色に触角、あなたは蜂の蟲人でしょう。甘い花蜜はお嫌いかしら?」
赤く腫れた唇で艶然と笑う。
無垢とはほど遠い挑発的な笑顔なのに、男は目を離せなかった。
「あたしはあなたをなんとお呼びすればいいのかしら。ご主人様? お名前を教えてくださいな」
「好きに呼べ。お前に名乗る名はない」
「お前じゃなくて、あたしにはちゃんと名前があるのだけど……」
「名乗るな。名前なんか知らんでいい、お前で充分だ」
情が移るからな、と思ったが口には出さない。
鎖で拘束され、抵抗する気力もない女を引きずるように、男は特注の飛行船に乗りこんだ。
「あたしらを連れて行っても無駄なのに。この地を出たら、花人はあっという間に枯れちゃうもの」
開戦前、女王も似たようなこと言っていたが、苦しい言い訳だと誰も取り合わなかった。
「綺麗な空気と水がないと生きられないとでも? それはただの贅沢だ。もっと劣悪な環境で生きてる奴もいるんだぞ」
箱入り娘はこれから躾が必要だと、嘲り笑う。
女と同じ立場の花人が次々と連行されていく。
特に見目麗しい花人はすでに貴族用の飛行船で囲われている。
未だ逃走を続ける花人たちも、いずれは全て捕らえられ奴隷に落とされるだろう。花人たちに未来はない。
飛行船の中では花人たちは群れたがったが、強制的に引き離され、それぞれ主となった男たちの部屋に軟禁された。
****************
狭い寝台が一つだけの粗末な船室で、女の細い体をかき抱き、白い花に顔を埋める。
そうすると、戦で受けた傷の痛みを少しの間だけ忘れることができた。
回復薬で治せばいいのに、と女は言うが、大量に積みこまれた魔法薬は皇帝一族への献上品だ。一介の兵士ごときが使えるものではない。
「薬が使えないなら、せめて包帯は清潔にしないと」
意外なことに、女はわがまま一つ言わなかった。
どんなに鬼畜な行為を強いられても、残飯同然の食事にも文句を言わず、むしろ男の体を気遣い包帯を替える始末で。……調子が狂う。
「俺はお前の国を焼き、同胞を殺した。なんでそんな男に尽くそうとする。俺が憎くないのか?」
「……そうね、捕まってからたくさんの男たちに嬲られたけど、あたしの花にキスをしたのはあなただけだったから」
花人にとって、花にキスをされるのは婚姻の成立を意味する。
だからあなたに従うのだと言われて、男は悪い気がしなかった。しかし、続く女の言葉にすぐに気分が下降する。
「最も、あなたとあたしが真に夫婦になることはないけれど」
「……なぜそう思う?」
認めたくないが、気高く美しく、従順だが心を開かない女に、男はとっくに夢中になっていたのだ。
「儀式が必要なの。とても大切な儀式よ。花人が生涯でたった一つ生み出せる、特別な種をあなたの心臓に埋めこむの……」
細く繊細な指が男の裸の胸をなぞる。その仕草のあまりの妖艶さに、背筋がぞくりとした。
「あたしら花人の死体は、花木となって穢れを浄化し、大地の滋養となる。種を植えることで、伴侶となった男も同じ花木となって森に眠れる。同じ墓で、死後もずっと一緒にいられるように。……でも、あなたは異物を、自らの体、それも心臓に受け入れられる? 無理よね」
「不気味な種族だな……上手く言いくるめて、俺を暗殺するつもりだろう。その手には乗らんぞ。俺は帝国の栄えある部隊長、得体の知れない儀式など不要だ」
心にもない言葉を吐き捨てて乱暴に女を押し倒す。
熱を持った体と反比例するように、白い花びらはひんやりと冷たくて、甘い香りはささくれ立った心を癒やしてくれる。
「お前、やっぱり変なフェロモンでも出してるんじゃないか?」
「花は人の心を慰めるだけ。花人に魅了の魔法は使えないわ」
強情な男ね、と呆れながらも女は男を拒まなかった。
女と本当の夫婦になり、死後も寄り添う……なんと蜜のように甘い誘惑だろうか。
立場も何もかも捨てて女にのめり込めたら幸せなのに。
だが帝国軍人たるもの、それはできない相談だった。
飛行船の移動速度は鈍い。
せめて少しでも長くこの時が続けばいいと男は願ったが……そんな都合のいい願いが叶うはずはなかった。
女はよく荒野を見下ろしていた。
「信じられる? 大昔の戦争で滅びるまでは、この荒野はあたしらの故郷のように美しいところだったそうよ」
窓越しに見える、瘴気の満ちる乾いた地面、ゴツゴツした岩が転がる荒涼の大地には、そんな面影は微塵もないが。
「長い年月でも消えることのない瘴気……花人がいなくなったら、この地はどうなってしまうのかしら」
女の憂いに答えはない。
変わり映えしない景色に終わりが見える頃。
花人たちは一様に暗い顔をしていた。
無理矢理手折った花が萎れるように、日に日に生気が失せていく。
この頃には船の男たちは皆、花人を奴隷でなく妻に、儀式を受けて正式な伴侶になりたいと望むようになっていた。
花人の待遇は改善され、粗末だった服も身綺麗なものになり、沐浴さえ許された。
中には魔法薬をくすねて与える者すらいたが、回復することはなく……荒野を出たその瞬間、ほとんどの花人は一斉に『枯れて』死んでしまった。
「なぜだ!?」
男の腕の中で、女が息絶えようとしている。
満開だった花は枯れ堕ち、絹糸のような髪からは艶が消えた。
乾いた肌はひび割れ、黄水晶のような瞳は白く濁る。
動揺し、なぜ、なぜ、と壊れたように繰り返しながら、男は女の手を離さない。
力無く萎れた手は、無機物のように冷たかった……。
「………………言ったでしょう。『枯れる』って」
誰もが嘘だと切り捨てた言葉は、真実だったのだ。
男は認められず、魔法薬を飲ませようとしたが、女はもう飲み下すことも出来なかった。
「無駄よ。ここまで枯れたら効果はない。せめて皆で固まっていられたら、お互いに浄化しあえて、もう少しだけ、保ったかも、しれないけど」
……あなたの生まれた国を、ひとめみてみたかった、な……。
苦しげに呻く女の体を抱き締める。
魔法薬の瓶が男の手からこぼれ落ち、カシャンと音を立てて砕けた。
「大切に、してよ……。魔法薬は、薬草を育てていた貴種たちの、最後の形見、もう作り出せな、い……あなたが、怒られてしまうわ」
「そんなものはどうだっていいんだ! 俺は、お前の名前も知らない。聞こうともしなかった。愛してるとも言ってない。頼む、当てつけのように死なないでくれ!!」
最後の力を振り絞り、女は男の手を握り返すと、そっと耳元で囁いた。
「……今、なにを」
「当てつけなんかじゃ、ないわ。国をめちゃくちゃにして、家族を殺したあなたが、憎かった……でも、どうしようもなく、愛してもいる。……お願い、もうこんな悲劇を繰り返さないで……」
女の体が、苦痛から痙攣を繰り返すが、一思いに楽にしてやることは……愛する女を手にかけることは、出来なかった。
やがて椿の花がぽとりと落ちるように、男の胸で、女は呆気なく逝ってしまった……。
もりに、かえりたい。
声にならない最期の言葉を遺して。
残された男の嘆きは酷かった。
酸鼻を極める戦場を生き抜いてきた男が、赤子のごとく泣き叫び、半身をもぎ取られたような喪失感に苦しんだ。
そして男はある結論を下す。
愛する女の最期の望みを叶えよう。
女を、花人たちの亡骸を『花の国』へ帰そうと。
それは帝国への忠誠を捨てることと同義だったが、男の意志は固く、ほとんどの兵士が賛同した。
操縦室を乗っ取り、飛行船は最大速度で引き返す。
しかし、無謀な運転のせいか……飛行船は目的地を前に機関部が故障し、墜落事故を引き起こした。
────男が生き延びたのは、奇跡だった。
ずっと抱えていた女の亡骸が緩衝材になり、衝撃を和らげてくれたから。
積荷の魔法薬は焼け落ちずに残ったから。
わずかに残った仲間たちとともに、男は徒歩で『花の国』を目指した。
ようやく辿り着いた森の外側、戦で焼き払われた更地に穴を掘り、花人たちの遺体を丁寧に並べる。
少し離れた荒野には、男の仲間の遺体も同じように並べてある。
もっと近くに、ともに埋葬しようかとの声もあったが……国を滅ぼした自分たちには、森に眠る資格はないと思ったのだ。
女の亡骸に土をかける。
故郷の土に抱かれて眠る女の顔は、どんなに乾き、損壊が激しくても綺麗で、どこか安らかに見えた……。
****************
「お前が言っていたこと、全部本当だったんだな」
女の墓から伸びてきた、小さな芽に優しく水を注ぐ。
幸い、森のとば口には綺麗な水を湛える泉がいくつもあった。
森を縄張りにする魔獣に仲間を襲われ、とうとう一人になった男は毎日水を持ってきては女に語りかける。
森の木は多くが何らかの花木で、対になっているものがよく目についた。
この豊かな森は花人とその伴侶の墓場。
花人は人の愚かさが生んだ荒野を浄化する、決して侵してはならない存在だったのだ……。
「どこの国も、『花の国』に手を出すのは諦めたみたいだよ。なぜか帝国からの追っ手もこない」
戦で多少兵士が傷付こうが、諸国で分け合っても充分な見返りが手に入るはずだった。しかし苦労して捕らえた花人は全員が死亡、魔法薬の材料となる薬草はなくなった。
幻獣はどこかへ消え、残った魔獣は凶暴化が酷くて手が付けられず、どこの国も兵士が使いものにならない。
侵略を強行した皇帝や一部の貴族は、得るもののない戦争で国を疲弊させたとしてすでに処刑されているのだが、男は知る由もなかった。
「どうして俺はお前を信じなかったのかな。あの時儀式を受けていればよかった。どうして俺は、お前の種を受け入れなかった……」
女の、花人の墓からは全て同じように芽が伸び、すくすく育っているが、兵士仲間の墓からは雑草一本生えやしない。
罪が許されることはないのだと、突きつけるように。
……あたし…、なまえは…ミツよ……。
女が死の淵で囁いた名前を繰り返し何度も呼びながら、男は後悔と絶望に打ちひしがれた……。
※補足※
オレンジの花言葉『純粋』『愛らしさ』『結婚式の祝宴』
オレンジの実『美しさ』『優しさ』
オレンジの木『寛大』『気前のよさ』
『女』は蜜柑ではなくブラッドオレンジの花人でした。