掌握する心
朝食を取ってから案内所へ戻ってみると相変わらずホールの中は大盛況で様々な面持ちの登録者たちでごった返していた。朝っぱらから酒を飲んでいる者たちもいて彼らがなんのためにここへ居座っているのかはさっぱりとわからないが依頼を受けなくていいのだろうか。
そんなふうに様子を窺いながらホールに足を踏み入れるとそのうちの何人かが俺たちに振り向き、そしてひそひそとなにかを話しあってという一連の反応が少しずつホールの中へと広がっていく。
「あの、ユリウスさん……なんか、僕たち目をつけられてるような……」
小動物的勘が働いたのかリナリアはすぐに居心地の悪そうな顔でそれとなく俺の後ろに隠れてしまう。俺は軽く鼻で笑い飛ばした。
「そりゃこの俺が聖剣士だと気づいて騒ぎにならないわけないだろ? お前だって転生者なんだからもっと堂々としてればいいのさ」
「無理ですよぅ……」
「とりあえず依頼を探しに行こうぜ。最初は簡単なものにしよう」
「はあ……」
そう言って彼女を引きつれ俺はまるで周囲の目など気にならないという体を装って素知らぬ顔でホールをまっすぐカウンターへと歩いていった。
ざわついた話し声の中に時折零れる聖剣士という単語が俺をすこぶる昂らせ、とてもいい気分で受付嬢の方へ目を向けたときだった。
「おわっ」
不意に足がなにかに引っかかって俺はべちゃりと床に倒れた。
「え、あ、ちょ……大丈夫ですかっ……?」
「ああ、はは……大丈夫、ちょっとつまづいただけだから」
受け身の取り方もわからず両手を投げだしたまま思いっきり転んでしまって、慌てて駆け寄ったリナリアへ手のひらを向けながら身体を起こすと俺は背後へ振り返った。
「よう、聖剣士。足元がお留守だぜ」
ビールの入った大ジョッキを日焼けした筋肉モリモリの腕で手にしていたヒゲ面の男がにやにやとした笑みを浮かべながら俺を見下ろしていた。
いったいなにをされたのかわからず、いや、きっと足を引っかけられたのだろうがどうしてそんなことをしたのか理由がわからない俺はどう受け答えすればいいのかわからず、わからなかった。
周りにいた連中も積極的に関わってこようとはしないものの面白がるような雰囲気で俺の方を見ており男は「なんとか言えよおい」と言いながらビールをごくごくと飲んでぷはーっとヒゲについた泡を拭っていた。
「えーっと……あー……なんか用?」
「あ?」
「……なにか、用事?」
「おいおい……見ろよこいつびびってるぜ! やっぱあの剣拾ったっての本当だろ!」
どっと一斉に笑いが起こり青ざめてうつむくリナリアの傍らで俺は悲しい気持ちになっていた。
オニオンは信じてくれたような雰囲気だったのに、この感じは間違いなくばかにされている。中にはいちゃもんをつける男を不愉快そうに一瞥しては仏頂面で仲間たちと話す人もいたが、全体的に俺が聖剣士であると疑われている空気の前では慰めにはならなかった。
あえてはぐらかすことで聖剣士なのではないかという事実を匂わせる絶妙なテクを披露したというのに、やはり素直に認めておくべきだったのだろうか……。
なにはともあれ、ここにいる連中が俺に対して疑いの眼差しを向けているのは決定的だ。
さっそく訪れた正念場だぜ。ここで一発かましてわからせてやるっきゃねえよな母ちゃん。
俺は悠然と男を見下ろすと思わず女神もため息をついてしまうほどの決め顔で言い放った。
「聖剣士だよ」
「……あぁ?」
だが、思いのほか声が震えて発音的には「っぃ剣士だよ……」みたいな情けない言葉にしかならなかった。
だって仕方ないだろ。いきなりこんな熊をも殺しそうな男に絡まれてこちとらびっくりしすぎて床に心臓を落としているのではないかと思ったくらいだ。
「ああー? なに剣士だってぇ? 聞こえねえよそんなひょろひょろの身体じゃあよお」
「……聖剣士だ、です」
意志に反して無意識に敬語を使ってしまい慌てて訂正しようか、それとも聞こえなかった方の可能性に賭けようか一瞬で考えていると男は気にした様子もなくビールをごくりと飲んで鼻を鳴らす。
「おめーよう、あの剣をどこで手に入れたか知らねえけど新米なら新米らしく頭下げるのが先輩に対する礼儀ってやつじゃねえのかおい」
「え?」
「よろしくお願いしますって挨拶してこい。ここにいる奴ら全員に」
えー……めっちゃ怖いじゃんこの人……。
なにも悪いことしてないのになぜだか糾弾されている気がして呼吸が苦しくなりお腹の底がすぅっと冷えていくのを感じた。
聖剣士って名乗るのやめようかなとまで思った俺はなにを隠そう心優しい爽やかイケメンに他ならない。こんな悪党一歩手前のごろつきとは疎遠の生活を送っていたし関わらないよう日陰を通って過ごしてきた。デビュー初日から謂れのない悪意に晒されてこの俺のグラスハートは悲愴の音と共に亀裂を走らせていく。
俺の父ちゃんは王国騎士団長で、母さんは世界一の魔導士なんだ。そこんとこわかって言ってるのか?
そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、せめて心が壊れてしまわないように両手でそっと押さえながら男を見返した。
うそだけで駆け上がる英雄への道は障害だらけ。そんなことは最初からわかっていたし、その上で気をつけるべきポイントは思いついてものの数秒で類まれなる頭脳が弾きだしていた。
そう、俺の天敵は知性なき生物だ。言葉の通じない魔物やこの男のように主観で物事を語る連中。うそが効かない相手すべてが俺に対する特攻武器となる。
こんな見た目をしたイケメンが聖剣士であるはずがない。
そんなふうに多少の思慮も挟まずはじめから見下してくる相手に対してはめっぽう弱かった。戦いを起こした時点で俺は負けているのだ。
「あ、あのぅ……すみません……勘弁してください……」
脳裏を覆う霞みに思考能力を奪われているうちにリナリアが小さな声で謝って頭を下げた。空になったジョッキをどんとテーブルに置いた男は卑しさの感じる笑みを浮かべ直してリナリアに顔を向けた。
「おう、お前名前は」
「あの、リナリア……です……」
「へえ、お前も新米か? とりあえず肩でも揉んでくれや」
「え、あ、あのっ……僕……」
「あとで俺たちと一緒に依頼するか。仲間に入れてやるよ。それで構わないよな。なぁおい?」
断られるとは微塵も考えてなさそうな口調で男が俺を睨みつけ、リナリアが青ざめた表情で助けを求めるように俺を見た。けれどここで歯向かったらとても痛い目に遭わされそうな予感がして咄嗟に止めることができず、ついでに目も逸らしてしまったせいで彼女は捨てられた子どものように瞳から希望を手放していった。
「ユリウスさん……?」
「だってよ、よろしくなお嬢ちゃん。おい、いつまで突っ立ってんだよ。さっさと挨拶してこいっつってんだろ」
リナリアを引き寄せながら男が舌打ち混じりに俺へおしぼりを投げつけた。
命懸けで仲間にした転生者はあっさりと男に奪われてしまい彼女は困惑した様子ですがるように俺を見ていた。
しょうがないだろ。こいつにはったりが通じないんだから。
言葉には出さず心の中で呟く。男は背を向けて大きな声でビールを追加注文した。
いきなり嫌な思いさせて悪かったな、リナリア。申し訳ないけどいまの俺にはこういう方法しかできないんだよ。
俺はおしぼりを後ろへ放り投げると背を向けた男の肩へぽんと手を乗せた。
「この状況でもしも、リナリアとそっちの全財産を賭けての勝負を申しこんだら」
怪訝そうに振り返った男の瞳を覗きこみながら俺はにやりと笑みを浮かべた。
「……お前はどうする?」
「なんだと……?」
男が微かに闘争心を抱く気配を見せた。それは相手を威圧する眼光として俺を貫き、男は小さく鼻を鳴らして顔を寄せた。
「なんだって? もう一度言ってもらおうか」
「勝負をしようぜ。勝てばその子を好きにしていい。代わりに俺が勝てばお前の全財産をもらう」
「けっ。なにを言いだすかと思えば……お前、俺に勝つつもりかよ?」
「腕相撲でいいか」
「おい……」
俺は男の向かいに腰を下ろすとテーブルに肘を突いた。リナリアを含め、その場にいた全員が呆気に取られた様子で俺を見ていた。それは男も同様で推し量るように俺の顔を凝視している。
「お前、なに考えてんだ……?」
「今晩泊まる場所のことかな」
「はあ……?」
「腕相撲が嫌ならお前が好きなものでもいいよ。ただしすぐに終わるものにしてくれ」
男は思わずといった様子で周りに目を向けた。あからさまに貧弱な俺が力比べで決着をつけようとしていることに対する疑問だ。いまはその理由を探している。
だがまったく不自然な話というわけでもなかった。多少なりとも魔力を扱える者であればその循環を利用して筋力を上げることができる。それは肉体労働に従事する大工や運搬業に就いている者たちですら日常的に行なっているようなありふれた技術だ。案内所で討伐業に就いている者であればほぼ全員が使うことができるだろう。
熟練した魔導士なら対峙しただけで相手の実力を看破できると母さんは話していた。素人でもそのおおよそを推測することはできる。だから、この男はいまその技量を見極めようとしている。
俺はにこりと小さく笑った。
「安心しろよ、俺は身体強化を使えないから」
「……信用できるかよ」
「はったりで下ろそうとしているだけかもしれないぜ?」
事実、その通りだった。俺から魔力の気配を感じてもいないだろう。やれば概ね勝てると踏んでいる。
「……あとで冗談だって言っても聞かないぞ?」
「欲しけりゃあの聖剣もやるよ。負けたらなんでもしてやるからさっさとしろ」
それでも男はテーブルに肘を乗せようとはしてこなかった。
あきらかな格下の相手だと見抜いていながらそれができない。格下でありながら無謀な勝負を挑んでくる心理を読み取れないからだ。というよりも、既に男の心中には不透明ながら確実に勝てる手段があるのかもしれないという得体の知れない虚像ができあがっていた。
もちろん、その一方ではあえて不利な条件を重ねているのはそれを覆す必勝の手段を隠し持っていると思わせるためだろうという読みはある。
だが。
俺はこいつがその可能性に身を任せることができないと確信していた。はったりで済ませるには不条理な流れがあったからだ。
『だとしたら、なぜこいつは下手に出ていたんだ』
微かでもその可能性が頭に思い浮かんでしまえばもう逆らえない。何事もなく得られるはずだった勝利は自らが生みだした疑念の渦によって押し流され、肥大する恐れとなって心の中を埋め尽くす。
この勝負を切りだすためにわざと小さく見せていたのではないかという、そんな予感だ。そもそもの大前提として疑わしい点はあるものの聖剣を持っている男でもある。
いつしか男は興奮した様子で真っ赤になった顔で荒々しく呼吸を繰り返していた。テーブルの一点を見つめてじっと固まったまま時折こっちへ窺うような視線を送りつける。
「どうした? 早く構えてくれ」
「っ……」
「冷静に考えてみろよ。身体強化も使えない、力もあるように見えない。そんな俺がわざわざ対価に見あわない賭けをしているんだぜ? たとえ全財産を失うことになったとしても乗ってみた方が面白いと思わないか? 案外、あっさりと勝てるかもしれない」
「なら、どうして俺にそんなこと……」
「そりゃあ、こうして吹っかけなければ下りてもらえないからに決まってるだろう?」
違う。もしも本当に下ろすつもりであるならわざわざ賭けを申しこんでくる意味がない。適当にあしらっておけばこんなことにはならなかったのだから。まるでメリットのない行為だ。
だからこそ俺の言葉が男の心を縛りつけていた。いまこいつにはすべてが誘導に聞こえている。
平凡な少年が取るに足らない口車で成り上がりを目指すなんちゃってファンタジーだとでも思ったか?
「ほら、さっさと手を出せよ」
「いや、その……いまは、酔いも回ってるし……」
「この俺にけんかを売って穏便に済ませられるとでも思ってるのか?」
「すまん……俺が悪かった……」
男の意識はしっかりとしていたものの、そう言うと続けて聞き取りづらい言葉でなにかを呟いて力なくうつむいていた。
俺は席を立つと呆気に取られていたリナリアの腕を取ってざわめきの中を抜けだした。
「あ、あの……ユリウスさん……」
「悪かったな、怖い思いさせて。稼ぎ損ねちまった」
「いえ……あの、最初からそのつもりで……?」
「まあな」
確信は持てない。けれどただならぬなにかを持ったイケメンであるとこの場にいる全員に思い知らせることができたはずだ。
依頼を探しにカウンターへ向かいながら、俺はにやりと小さな笑みを浮かべた。