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ごめんなユリウス、父ちゃんもその剣抜いたことないんだ。というのもまだ母さんと出会う前に訪れた魔王に滅ぼされた町の岬に刺さってるのを見つけたのが発端でお守り代わりにしてただけでな……

 開店したばかりの喫茶店に客は俺たち以外におらず、目の前でモーニングを食するリナリアをぼんやり眺めながら俺はなにも口にすることができずにいた。


 聖剣エーデルワイス。それはかつての大英雄、アイリス様が振るったという伝説の名剣だ。純白の翼を翻し夜の闇をかき消すその一振りは魔物の大軍を薙ぎ払い暗黒の世界を光で照らしたというおとぎ話めいた力を秘めた剣だったらしい。小さい頃に読んだ絵本にはそう書いてあった。さすがに誇張されている表現だろうが当のアイリス様は正真正銘の転生者でありただならぬ力を持っていたのは想像に難くない。


 きっと凛々しくも慈悲深い心を持った聖母のような女性だったのだろう。絵本によると言葉を失うほどの美人だったそうで幼い頃の俺はアイリス様に恋をしていた。どんな魔物にも悠然と立ち向かう勇姿を幾度も想像したものだ。


 まさか親父がそのアイリス様の剣を持っていたとは。あの剣のことは他言無用よユリちゃんと母さんが口を酸っぱくして言っていた理由にも納得がいった。納得はいったが俺が受けた衝撃たるや筆舌に尽くしがたかった。


 なにせ聖剣エーデルワイスが持つ力はあくまで児童向け絵本に登場するフィクションにしか過ぎないと思っていたからだ。アイリス様が振るうエーデルワイスはぴかぴかとした輝きを放って魔物を眩しがらせていたが、いまとなってはそれも事実なのではないかとさえ思えてしまう。


 エーデルワイスはいろいろと不可思議な力を持った剣だと描かれていたが、それは子どもをわくわくさせるためのサイエンス・フィクションの範疇と俺は認識していた。ついさっきまでは。


『エーデルワイスを抜くことができたのは神様から授かったアイリス様だけでした』


 そう、あれはなぜか抜くことができない剣だったのだ。そんな非日常的な現象が起こっていいのだろうか。史実を忠実に再現した絵本だったなんて簡単には信じられない話だぜ。


 けれど父さんはなぜそんなものを持っていたのだろう。王国騎士団長時代の話は何度か聞いたことがあるが「パパは降りかかる返り血をものともせずばったばったと魔物の大軍を殲滅していたの。そのとき力を持っていた魔王から血染めの悪魔と恐れられていてね」という簡潔な話に留まるばかりでその実態までは推し量ることができていなかった。


 もしも本当にあれが聖剣であるなら、父は神様から救世主としての定めを与えられた転生者だったということになる。


 転生者の息子。なのに俺には聖剣を抜くどころか剣を満足に扱う腕すらない。この指先は糸の紡ぎ方しか知らなかった。


「あのぅ、ユリウスさん……」


 たっぷりとハチミツがかかったバタートーストをもそもそと食べていたリナリアが顔を上げて困ったように眉をへにょっと曲げて俺を見る。


「どうした?」


「冷めちゃいますよ」


「……あぁ」


 そう言われてようやく俺もフレンチトーストに手をつけた。とても上品な仕草でトーストを一口サイズに切り分けているとリナリアがじっとこっちを見ているのに気づいた。


「……どうした?」


「いえ……とても驚いてるなって思って」


「そりゃそうだろ、いままでなにげなく見かけてた剣が──」


 と言いながらぞわりと嫌な予感を感じた俺は即座にフレンチトーストで口を塞いだ。柔らかな甘みが口の中に広がりとても優しい気持ちになることができた。リナリアはなにか深く考えごとをするときの学者のような目で俺を見ていた。


「あれってすごい剣なんですか?」


「お前の考えてることを当ててやろうか」


「え、はい……」


「聖剣士はあくまで俺の称号だから剣自体に特別な力があるわけじゃなかったはず……だろ?」


「すごい、なんでわかったんですか」


 リナリアは控えめに驚いた声を漏らして目を丸くしていた。


「あれは親父の形見なんだ。俺はそれを使って聖剣士と呼ばれるようにまでなったんだ。でもそれとは関係なくあれは本物の聖剣だったみたいで、だから驚いてるのさ」


 などとうまい言い訳を瞬時に思いついて言葉に変えるとリナリアは「そうだったんですか……」とまるっきり疑う様子もなく騙されていた。


「お父さんの形見だったんですね……」


「で、このローブは母さんの形見」


「あ……」


 途端に表情を曇らせたリナリアはトーストを皿に置いて申し訳なさそうに目を伏せた。


「その……ごめんなさい、僕……嫌なこと思いださせちゃったみたいで……」


「気にすんなって。もうずっと昔の話なんだ。引きずってはいないから大丈夫だよ」


「はい……」


「よせよ、お前に暗い顔は似合わないぜ?」


 そう言って手を伸ばしくいっと顎を持ち上げると彼女は一気に頬を真っ赤にした。


「ひゃっ……! な、やっ……びっくりさせないでくださいよぅっ!」


 そう言って慌てて身を引くと顔を背けて頬に手を当てながらぎゅっと目を閉じて唇を引き結んでいた。あまりの可愛らしい仕草にもっとからかいたくなったが、その辺りで急に冷静になってしまい実はリナリアが男だったことを思いだしてぞわりと寒気を感じた。


「ところで……なんなんですか、聖剣って。なんだかあそこにいた人たちのほとんどが知ってるみたいなご様子でしたけど……」


「ずいぶん昔に実在してた転生者の一人が持ってた剣だよ。転生者の中にはそういうすごい力を持った道具を与えられる人も──」


「……ユリウスさん?」


「そういえばお前はなにか渡されてないのか? よく思いだせ。もし落としたんなら取りに行くぞ」


「え、いえ……別になにも渡されてなかったかと……」


「もう一度じっくり思いだせ」


「えっと……」


 おもむろに天井を見上げて考えはじめたリナリアを前にして俺はこっそり心の冷や汗を拭った。


 あのまま喋っていればうっかり聖剣は与えられた転生者にしか抜けない剣だと話してしまうところだった。


 これからはもっとよく考えてから喋らなければ近日中にうそがばれてしまう。細心の注意を払っておかないとこれだけ大きなうそなだけにもしも気づかれたら俺が得た信頼なんて季節外れの淡雪のように消え去ってしまう。


 というよりも、思っていたよりもこの道の先には落とし穴がたくさん潜んでいるのかもしれないと俺は徐々に気づきはじめていた。聖剣が持ち主にしか抜けないだなんて話くらいなら今日中にリナリアが知ってしまう可能性だってある。


 ……へ、おもしれぇ。


 俺はなるべく自然に優雅にフレンチトーストを味を感じないまま食べきるとぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。


「あのぅ……やっぱり僕はなにももらってないかと……え、どうしたんですかユリウスさん、なにか面白いことありました……?」


 窮地に追いこまれた主人公に訪れる覚醒の時が俺にも来たってわけか。


 この程度の火の粉、軽く振り払ってやるよ。

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