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英雄

 見るからに高級そうな石鹸が置いてあったのでそれを使ってこの世の誰よりも清潔な手のひらを手に入れた俺は意気揚々とトイレをあとにした。先に済ませて待っていたリナリアが羞恥の余韻を残した顔で俺を出迎え言葉を選ぶようにたどたどしく口を開く。


「すみません……ご迷惑ばかりかけて……」


「気にすんなよ、代わりに俺も迷惑かけるだろうからおあいこだ。それより早く戻って依頼探そうぜ」


「……はい」


 少しだけ安心したようにうなずくと俺たちはテーブルに戻って用紙の記入に取りかかった。と言ってもリナリアが仕上げるのを待つだけなのだが彼女は手元の用紙を見下ろしながら困った顔をしていた。


「あのぅユリウスさん……」


「ん? ……あ、もしかして読めないのか?」


「はい……お願いしてもいいですか……?」


「任せろ。こう見えても字はきれいだってよく言われるんだ」


「はあ……」


「名前……はリナリアだけでいいか。そういやお前って何歳なんだ?」


「十六歳です」


「あ、やっぱ同い年だったんだ。おどおどしてるから年下なのかと思ってたよ」


「すみません……よく言われます……」


「別に責めてるわけじゃないけど」


「すみません……」


 と、言えば言うほど委縮して肩を小さくさせてしまい放っておけば小人になってしまうのではないかと俺は思った。


「魔物倒したことあるかとか魔導術使えるかとか書いてあるけどどうする? 転生者だし適当に盛っても大丈夫だと思うけど」


「えっ、いえっ……大丈夫ですっ……! ありのまま書いてください……!」


「備考欄に転生者って書くのは?」


「いいですっ……ほんとに大丈夫ですので……!」


「控えめだな……」


 転生者である彼女にはおそらく秘めたる力があるのだろうがいまのところその自覚はないようで、仕方なくすべての項目に無気力な回答を記して完成させると俺は二枚の用紙を持ってカウンターへ向かった。


 受付のお姉さんはそれを受け取ると鑑定をする古物商のように念入りに各項目をチェックしはじめ、リナリアの方はさらりと読み終えたもののもう一枚を読んだ途端に困ったような笑顔を浮かべて顔を上げた。


「ローゼン様、こちらにご記入いただいた内容なんですが……」


 来たか。


 もしもそれが事実なら並の転生者を遥かに凌駕する実力を持っているのはたしかであり、一見するとただの美少年であるこの俺に対して疑いを抱くのは当然の反応だった。


「とてもご立派な経歴をお持ちということで確認のためにお伺いしたいんですが、この聖剣士というのは……?」


「空から光が落ちるとき、伝説の剣士はその身に授けられた運命に立ち上がる。聖剣士とは神の信託を受けた者に与えられる称号さ。聖なる力で敵を討つ」


「えーと……あのですね、お客様の安全のためにも当案内所では実績を積まれた方でなければ危険度の高い依頼はご案内できないという規定がございまして、多くの魔物を討伐されたご経験がおありということですがお連れ様もご利用ははじめてということで、もしかするとご希望に沿う依頼をご案内できないかもしれないということだけはご了承いただけますでしょうか……?」


「信用されてないということ?」


「いえ、決してそういうわけではないんですが……」


 じゃあなんで訊いたんだと慈悲深き聖剣士であるこの俺もさすがに釈然としないものを感じたが、よく見てみると討伐経験のある魔物の欄には過去に案内所で仕事をしていた経験のある者へ訊ねる項目だった。くーっ、俺ってばこういうところでドジっちゃうんだから憎めないよな。


 どちらにせよ最初は手強い魔物を相手にするつもりはなかったのでほのかに火照った頬を愛想笑いでごまかしながらまあいいかと考えていると、


「この依頼を受けたいんだが」


 不意に低く重たい声が後ろから聞こえ、隣からすっと伸びてきた手が一枚の依頼書をカウンターへ乗せた。


 鈍色の甲冑に覆われた腕をたどって隣を見上げると全身を鎧に包んだ大男が立っており、その背中にはユリウスの身長ほどもある巨大な肉厚の両刃剣が背負われていた。


「こんにちは、オニオンさん。少々お待ちいただけますか」


 受付はそう言うと後ろのスタッフルームへ呼びかけ奥から出てきた女に依頼書を手渡した。それから振り返って手続きが終わるまで待ってほしいという旨を伝えると男は小さくうなずいてカウンターの脇へ寄った。


 とても小まめに手入れされているのか剣も鎧も光沢があり新品のようにも思えたが、よく見てみるとそこには無数の傷が刻みこまれておりとても使いこまれていることがわかった。それよりもこんなふうに堂々と武器を担いでいるということは、この男は国からその功績を認められた英雄。


 俺が目指すべき道の先に佇む男だった。


「……なにか用か?」


 じっと見つめていた俺の眼差しに気がついて男がゆっくりと甲冑に覆われた顔を振り向けた。その表情は窺えないが数々の修羅場をくぐり抜けたからこそ漂わせることのできる威圧感と風格、そして威圧的な圧力、圧倒的な風格と共に介在する威圧感と歴戦の戦士が纏う風格が混然一体となって得も言われぬ威圧感となって風格が威圧していた。


「……いや、まさかこんなに早く英雄に出会えるとは思ってなくて」


「新米か」


「そう思うかい?」


「死線に触れているにおいをまるで感じなかったものでな」


「あんたは犬とじゃれてるときも死の危険を感じてるのか?」


 そんなやり取りを聞きつけて周りで話していた連中が好奇心に満ちた目で俺たちを見つめ、リナリアが袖をちょんと摘まんでか細く名前を呼びかけてくる。俺はリナリアへ後ろ手に大丈夫だという仕草を見せた。男は鎧の奥で小さくため息をついた。


「……忠告しておいてやろう。早死にしたくなければその思い上がりは近いうちに捨てるんだな。それと──」


 言いながら、自分の腰をぽんと叩く。


「武器はちゃんと衛兵に預けてから町に入るんだ」


 男の顔が俺の腰に向けられていた。


 思わずぎょっとしながら自分の身体を見下ろし、けれどしっかりとローブで隠していて剣を持っていることなんてわかるはずがなかった。


 こいつ……なんでわかったんだ?


 そんなふうに動揺をしていると様子を見守っていた受付嬢が怪訝そうな顔色で俺を見た。


「ローゼン様……? まさか、武器を持ちこんでいるんですか……?」


「え、いやぁ……」


 退屈な日常に訪れたちょっとしたスパイスを堪能するようにどこか楽しむようなざわつきが周りから漏れはじめ、俺はなんとかこの場を乗りきるうまい言い訳はないかと頭を捻らせた。


 事態を飲みこめてないリナリアだけは困惑したように後ろで声を挙げていたが、俺は観念して情に訴えかけることにした。なんでもかんでも言葉を重ねればいいわけじゃない。引き際だって肝心だ。


「大事なものだったから手放すことはできなかったんだ」


「……お気持ちはお察ししますが法律で禁じられていることです。申し訳ありませんがお預かりさせていただけますか」


「え、あのっ、逮捕されちゃうんですか……?」


「……いいえ、今回だけは見逃します。ですが次はありませんからね?」


 受付嬢は困った顔をして言った。


 とても大事なもの。できれば他人の手には触らせたくなかったがこれ以上拒絶することはできず、俺は小さくため息をつくと仕方なくローブの中から取りだした剣をカウンターに置いた。


 そのとき、奥からやってきた別の受付嬢と依頼の受注について手続きをしていた男が微かに声を漏らした。


「……待て」


「ん?」


 どうしたのだろうと男に振り向くと彼は勝手に剣を取り隅々までじっくりと眺めはじめた。勝手に触られてむっとしながら文句を言おうとすると男は顔色のない甲冑を俺に向けた。


「お前、この剣をどこで手に入れた……?」


「はあ……?」


 受け取り損ねた受付嬢も呆気に取られた様子で男を見つめており、俺の方も意味がわからず形のいい眉をひそめていたがその声色の中へたしかな動揺の色を感じていた。


「答えろ。この剣をどこで手に入れた?」


「どこでって……」


 ……ははーん。さてはこの剣、相当な代物だな。


 それもそのはず、この剣は父さんが王国騎士団長として振るった揺るぎない謂れのある名剣だ。英雄だかなんだか知らないがそんじょそこらの甲冑兵には到底手に入れることのできない至高の一品よ。


 強気に出れば勝手にこの男が後ろ盾になるという未来を俺は見抜いていた。


「……愚問だな。この俺がそいつを手にしている。その理由はもうわかっているんだろう?」


「いや、しかしお前は……」


「あの、オニオンさん……その剣がなにか……?」


 なにかしら不穏な気配を察して受付嬢が顔色を窺うように訊ねる。男は慎重な手つきで剣をカウンターに乗せると重い声で呟いた。


「……間違いない。こいつは聖剣だ」

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