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抜かない理由

 俺たちを、いやオニオンだけを睨みつけていた魔物は呆然としたように目の前へ立ち尽くしていた。まるで時が止まったかのように黒い双眸を向けていた魔物の首から不意にどろりとした血が溢れだす。


 どさりと膝を突いた魔物の首が傾いたかと思うと、その頭部はオニオンの疾風を駆る一太刀によって地面へ転がり魔物は絶命と共に倒れていた。


 唖然とした表情を浮かべていたリナリアが小さく悲鳴を漏らしながら尻もちを突くと、鮮血にまみれた大剣を構えたオニオンが甲冑の奥から微かに息を切らした声で呟いた。


「大丈夫か」


「ああ……」


「危ないところだったな」


「……誰のせいだと、思ってるんだよ」


「なに……?」


 責任を押しつけた物言いをするとオニオンは訝しむように声を漏らしながら振り返った。


「誰かさんが仕留め損なったせいで、こっちにしわ寄せが……回ってきたんじゃねえか」


 最初の攻撃を避けたときに頬へ当たった雫の正体。そこを拭った手の甲には魔物の血が付着していた。


 奴は手負いだったのだ。けれど身体に受けた傷以外に返り血などを浴びた様子はなく、おそらく身の危険を感じて逃げだしたからだろうと俺は見当をつけた。


 だからここで時間を稼ぎ注意を向けさせることでその何者かがすきをついてトドメを刺すという可能性に賭けたのだ。


 読みというにはこじつけに近く目論み通りにオニオンが現れたのはまさに奇跡と呼ぶしかない幸運だったが、俺にとっては勝って当然とさえ言えるような賭けでしかなかった。


 こんな強運は二度も三度も続くものじゃない。けれどうそだけで英雄へ駆け上がるなどという無謀を通り越した野望を叶えるためには堅実という名の橋を渡っていては決してたどり着かない。


 未来の億万長者が最初に見せた大勝という、ただそれだけのことだ。


「すまなかったな。だがわざわざ俺を待たずともその腰に携えた聖剣で倒してしまえばよかっただろうに」


「……あいつが手負いでなければ、迷わずそうしていた」


「どういう意味だ」


 あまりの痛みに立っていられず地面へ座ると俺はお腹を押さえながらゆっくりと深呼吸して痛みをやり過ごした。全身から吹きだした汗で服が冷たく、胃を絞めつけられるような痛みが渦巻いていた。


 だけど気絶しちゃだめだ。まだ俺の勝負は終わっていない。オニオンはいま俺に疑惑の眼差しを向けている。謎めいた言葉で煙に巻いただけで実際に聖剣を扱うことはできないのではないかという疑惑。


「……この剣は強大すぎて実のところ俺にも完全に制御できていないんだ」


 そして、逃れようのない死を目前にしながらもまるで動じた様子もなく無防備を晒していられた理由を。


「ここであいつを斬っていれば、追いかけてきていたお前まで巻きこんでしまうかもしれなかったのさ」


「俺を……?」


「……もう嫌なんだ。自分のせいで散っていく命を見るのは」


 そう言って寂しげな笑みを浮かべるとオニオンはなにかを察したように目を背け大剣を背中に背負った。


 ふっふっふ、信じたな。そしてなにかを汲み取っただろう。ありもしない幻影をいまこいつは俺に背後に見ている。でなければ辻褄の合わない立ち回りをした俺のうそ魔法は英雄と謳われたオニオンでさえも貫いたようだった。


 不条理は思考の歯車を捻じ曲げる。俺は自らの命を賭けることでオニオンから聖剣を抜かない理由を引きだした。


「やれやれ……無茶な男だな、お前は」


「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました……」


「いや、俺はなにもしていないさ。助ける必要もなかったようだしな。こちらこそ悪かったな、ユリウスの邪魔をしたようだ」


 リナリアはそれを受けて判断に迷うような顔で俺の方へ目を向けた。最も気を抜ける相手の仲間であるはずだが俺にとっては彼女の信頼を裏切らないよう細心の注意を払わなければならない相手でもあった。


 それらしいことを言ってごまかしてはいるが純粋な彼女の中にも徐々に疑惑の種は芽生えはじめているだろう。今日は無様な姿を見せすぎた。


「お前たちも依頼の最中だったのか?」


 そんな中、思いついたようにオニオンが訊ねると不安そうにこちらを見ていたリナリアがうなずきながら振り向いた。


「あ、はい……イチゴリスっていうリスちゃんを見つけなくちゃならなくて……」


「そうか。俺はこの魔物の結晶を取りだしたら町へ戻るつもりだが……手伝ってやろうか?」


「いいんですか……?」


「たいした手間じゃない。こいつの結晶に誘き寄せられて他の魔物がやってこないうちにさっさと終わらせて帰ろう」


 魔物は体内に結晶化したフェアリーを持っており、だいたいの魔物討伐依頼はその結晶を持ち帰って討伐の証とする。ただ魔物にとって力の源であるフェアリー結晶は持っているだけで彼らを寄せつけてしまうため、死臭も相まって処理のしていない魔物の死体のそばに居続けるのは得策ではなかった。


「ユリウスさん、立てますか……?」


 そうしてそばにやってきたリナリアが俺の背中に手を添えながら心配そうに顔を覗きこんでくる。止まらない脂汗と下腹部に残るひどい鈍痛に息を詰まらせていた俺は小さく笑みを浮かべた。


「俺も勘が鈍ったらしいな……」


「オニオンさんのために、手加減をしていたんですか……?」


「……お前のためでもあるよ」


 そうしてため息をつこうとした瞬間だった。


 不意に強烈な吐き気を催したかと思うと突き上げられたように胃の中から朝食が逆流した。


「おぶぉうぇっ……!」


「ひゃあっ……! ゆ、ユリウスさん……!?」


 だが俺の口から飛びだしたのは真っ赤な血だった。はじめて目にした光景にさっと血の気が引いて頭の中が真っ白になり、咳きこもうとすると余計に吐き気が強くなって止められずに激しく吐血してしまう。


「ユリウス……!」


「血っ……大変、誰かっ……」


 急激な目眩で世界がぐるりと回転し地面が持ち上がってぶつかってきた。息ができない。突然の大嵐で洪水に飲まれ溺れてしまい、口の中に血の味とにおいが広がっていく。


 引き裂かれたような痛みがお腹の中で、それ以上になにが起きたのかわからない混乱で俺は呆然としたまま視界に映る空を見上げていた。青空。雨は降っていない。俺は溺れているわけではなかった。


 音が遠ざかる。身体が冷たい。リナリアが慌てた顔で俺を見下ろしていた。目を開けていられない。


 死ぬ……? 死ぬのか俺は……? え、うそだろまだはじまったばかりじゃねえか……。


 うまく行ったと思ったのにな。落ちていく意識の中で俺はどこか冷めた気分で人生を振り返っていた。女神様の幸運が味方しているかと思ったけど、こんなもんか。


 俺は薄れていく意識の中で泣きながら目の前にしゃがみこんだリナリアへ感謝の意味をこめて笑みを送った。つまらない人生だったけど、ちょっとだけでも夢を見れてよかったよ。


 下げた視線の先で無防備に広げられたリナリアの真っ白な太ももが映った。まるで彼女の心を表したかのような純白のパンツ。小さな黒のリボンがついた少女らしいデザインの下着を瞳へ焼きつけながら俺は思った。


 ……やっぱり、ついてないんだな。

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