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途切れない糸

 突如として森中へ古びたサイレンのようにくぐもった雄叫びが響き渡った。


 空気がびりびりと振動して思わず身体が竦んでしまい、魔物がぶるんぶるんと鼻を鳴らして地面を蹴った。その巨体からは想像もつかないほど軽やかな動きで大木の合間を縫って走ってくる。


「は、走るぞっ……!」


 上擦った声で叫びながらリナリアに振り返り肩に手をかけた。だがリナリアは怯えきってしまっており迫りくる魔物から目を離すことができずがたがたと震えて動きだす気配がなかった。


「なにやってんだよ立てよリナリア!」


 怒鳴りつけながら腕を掴んで無理やり立ち上がらせようとして、けれどぞわりと背筋に寒気が伝い俺は咄嗟にリナリアを抱き寄せながら思いっきり前へ飛んだ。


「きゃっ……!」


 耳元で聞こえた小さな悲鳴と鉄の塊を落としたような鈍く重たい音が重なり、地面を転がった俺たちの身体へ頭上からぱらぱらと落ち葉が降ってくる。


 それは魔物が大木を殴りつけた音だった。幹が深くめりこんで不自然な形へ歪んでおり唖然とする俺たちの前で荒々しく鼻息を漏らしながら魔物が振り返る。


「たすっ、助けて……誰かっ……」


 ぎゅっと目を閉じたまま小刻みに肩を震わせながらリナリアが呟いた。強い耳鳴りがした。息苦しさで頭の中が白くなっていく。


 無理だ。こんな状態のリナリアを連れて逃げきることなんて不可能だ。


 俺は聖剣を構えた。落ち着きのない呼吸を無理やり抑えつけながら魔物と対峙する。


 びびるな。どんな魔物だろうと攻撃が当たればダメージが入る。この聖剣をあいつの目に突き立てるだけだ。それさえできれば時間を稼ぐことができる。


 けれど、振り絞った勇気は一瞬にして消し飛んでいた。


 相手の背丈が高すぎて剣が届かなかった。届いたところで突き立てられるだろうか。胸の中がすっと冷える。魔物が雄叫びを挙げながら俺の頭上へ拳を振り下ろしてくる。


 頭の奥で血が沸騰するような熱を感じ、俺は崩れ落ちそうになる脚に力を入れ魔物の足元へ飛びこんだ。頭のすぐ横を風が撫で頬にぴちゃりと雫が当たる。


「っ……!?」


 なにかに足が取られつまずくと頬を擦りむきながら転んでしまい聖剣が手元を離れていった。


 慌ててその場を逃れようと身体を起こした瞬間、どん、と腹に重たい衝撃が走った。声が押しだされ突然地面が遠ざかり身体が宙に浮いた。痛み。内臓を握りしめられるような鈍い痛みを感じたかと思うと背中からも強い痛みがした。


 目まぐるしく視界が揺れ動く。魔物の巨体と迫りくる地面と、全身を襲う強烈な痛み。


「はぁっ……あっ……」


 なぜか息ができなくてお腹を押さえたまま身体を丸め、そこでようやく俺は魔物に蹴り飛ばされたのだと気づいた。魔物が俺の方へ足を向けた。リナリアが叫んでいた。声は聞こえない。


 それでも身体はまだ動いた。


 たぶん。このままでは確実に死んでしまう。けどもう少し。俺はがむしゃらに立ち上がり転ぶように前へ飛んで魔物の追撃をかわした。幹がめりこむ音を耳にしながら痛みを堪えて立ち上がりながらそこにあった聖剣を掴む。


 あきらめるのは死んだあとでいい。身体はまだ動く。立ち向かってくる気配を感じたのか魔物は不用意に俺へ近づくのをやめて警戒したように臨戦態勢を取った。


「ユリウスさん逃げて……!」


 泣きそうな声でリナリアが叫ぶ。俺は魔物へ聖剣を向けながら小さく笑った。


「へっ……冗談、だろ……」


 確かな死の予感がそこにあった。女神様に祈りを捧げながら頬を拭う。ほんの少し、とても微かな可能性だが生き残る道は途絶えたわけじゃない。


 俺は両手で聖剣を握りしめ声を挙げながら魔物へと突進した。相手は意表を突かれたように微かにたじろいだがすぐに反応して拳を振るってきた。


 そう来ると思っていた。


 俺は相手の目の前で足を止めると聖剣を盾にして思いきり後ろへ飛んだ。


「げふぁっ……!」


 だが予想以上の重さとなって拳が腹に突き刺さり、威力を殺しきることができずにずんとした痛みでほんの一瞬だけ目の前が真っ暗になった。後頭部に強い痛みと衝撃が走ったかと思うと俺は空を見上げていた。


 全身が熱い。熱いのに身体に触れる服が冷たい。経験したこともない鈍痛がお腹の中で暴れ回っていた。息をすることができず転げ回りたいのに身体が重くて動かない。ただ痛みが去っていくのを待ちながらなんとか顔を上げるとリナリアが泣きながら折れた枝を手にして魔物に立ち向かおうとしていた。


「い、いまのうちに、逃げてっ……」


 勇敢な言葉とは裏腹に顔面蒼白でぎゅっと目を閉じたまま、握りしめた枝の先がぶるぶると震えていた。


 俺を置いて逃げれば助かるかもしれないのに。たとえ深い罪悪感に苛まれようとも無意識に身体が逃走を選択しても不思議ではないのに。


 すごいな、お前。臆病なくせに。見直したぜ。


「よせよ、リナリアっ……そんなもの、役に立つわけない、だろ……」


 聖剣を支えにして立ち上がるとリナリアへにじり寄っていた魔物が足を止めしっぽを振り乱しながらこちらへ振り返った。だがもう放っておいてもいいと判断したのか一瞥しただけでリナリアに向き直り、俺は足元に転がっていた石ころを拾うと魔物の頭に目がけて投げつけた。


「ヴォオオオンッ!!」


 激昂したように魔物が雄叫びを挙げたかと思うと弾かれたように身を翻して俺へ飛びかかってきた。剣を構える体力すらなく、というよりも構えたところでもう受け止めることはできないだろうと悟って俺はなにもせず立ち尽くしていた。


 二人揃って死んでしまったらそのときは天国でリナリアに土下座して謝ろう。そして彼女のために最高の糸をプレゼントしよう。なにに使うかはリナリアの自由だ。


 魔物の影が俺に覆い被さり巨体が目の前へ迫る。森のざわめきを悲鳴が切り裂いた。


 だが、俺は──


 風圧で前髪がなびき鈍器で殴りつけたような音が目の前で鳴った。痛みはない。魔物の断末魔の叫びが響き渡る。俺は目を開けると用意していたセリフを口にした。


 俺は容易く途切れる糸など紡がない。


「遅かったな、英雄」


 俺の前でどこからともなく現れたオニオンが立ちはだかっていた。

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