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魔導士になるために

 細心の注意を払ってばったりイチゴリスに出くわしてしまわないよう周囲を見回しながら俺たちの討伐は続いた。初戦ですっかり怯えきってしまったリナリアは戦力としてはまったく役に立たずただのイチゴリス発見装置と化し、目ざとく彼女が見つけたリスを俺が速攻でしばき倒すという一寸のすきもない作戦によって意外にも順調に依頼は進んでいた。


 そもそもこの依頼は新人向けの簡単なものでありイチゴリス自体が危険度の低い魔物で、最初こそ油断から思わぬ苦戦を強いられたが石かなにかを投げて気を引けば難なく倒せてしまう相手だった。俺たちは戦いの中で確実に成長をしていたのだ。


 聖剣もすっかり手に馴染み熟練度を重ねてそろそろ俺もいっぱしの聖剣士になってきたのかな? と確かな実感を噛みしめている俺ではあったのだが、その一方では大きく立ちはだかる一つの問題があった。


「大丈夫か、リナリア」


「平気です、少し歩き疲れただけなので」


 俺たちは一向に最後の一匹を見つけられずにいた。


 倒してきたリスの死体は目印となる木のそばに置いているので帰りに回収するとして、すぐに終わると思って昼ご飯を用意してなかった俺たちは空腹のまま傾きはじめた太陽の下で森の中をひたすらに歩き回っていた。


 ふとした拍子に立ち止まるたびにリナリアはつらそうに大木へ手をかけていた。転生者とは常人を越える力を持っていると風の噂では伝え聞いているが、そのわりに身体の方はあまり頑丈につくられてはいないみたいだ。


「見つからないですね」


「急にいなくなっちゃったな」


 なにもこの森に十匹しかいないというわけではないのに、最後にイチゴリスを倒したのは二時間ほど前の話だ。このまま探し続けても簡単に見つかりそうな雰囲気ではなかったので俺は少し休憩を取ることをリナリアに提案した。


 大木に背を預けて地面に座りながら空を見上げる。あと一時間もすれば空がきれいな色に変わりはじめてしまうのでそれまでには見つけなくてはならない。なにかリスを見つけるいい方法はないだろうかと頭を捻っていると隣に座っていたリナリアが浮かない顔で「あの……」と小さく呼びかけてきた。


「どうした?」


「ユリウスさんは魔王を倒そうとしてるんですよね……?」


「それが逃れられない定めであるなら」


「本当にそんなこと、僕たちにできるんでしょうか……きっと魔王ってあのリスちゃんよりもずっと強くて怖い人なんですよね」


「人じゃないよ。奴らはもう魔物だ」


 俺の些細な訂正にリナリアはなにも言わずそっと首を振った。それがどういう意味なのか俺にはわからなかった。


「この世界のことはよく知らないけど、僕は魔王ってゲーム……物語の中でしか聞いたことがなくて、そこでは世界を支配する魔王を勇者たちが倒しに行くんです。ここでもそんなふうに倒そうとしてる人はいるんですか……?」


「そりゃそうだろ。俺の住んでた町ではそれほど影響がなかったけど、いまだって魔王がいることで困ってる人たちが大勢いるんだ」


 魔王とはたった一人いるだけで国が滅びかねないとどこかで聞いたことがあった。国を滅ぼす力というのが具体的にどのようなものなのか俺には想像もつかなかったが、自分の力だけではどうにもならない強大な存在だろうということだけはわかる。


 だからこそ俺自身にも大きな力が必要だった。聖剣エーデルワイス。俺はいつかこの剣が抜ける日が来ると本気で信じている。そしてそれは魔王と戦っている日であり、俺が真の意味で戦う理由を見つける日でもあり、新たな英雄が現れる誕生日なのだ。


「転生者にはそいつらに対抗できる力があるんだよ。いまはまだできないだけでリナリアにだってきっとその力が眠ってる」


「……そんなふうには思えないです。現実感がなくて、怖くてたまりません」


 そう言いながらリナリアは自分の手のひらを見つめて眉尻を下げていた。俺はそんな彼女から目を離し肩を落としながらため息をつく。


「俺に魔導術の才能があれば教えられたかもしれないんだけどな……」


「それって使える人はあまり多くいないんですか?」


「二十人に一人くらいの割合だってさ。中でも転生者はそのほとんどが魔導士としての適性を持ってるらしいって母さんが言ってた。うちの母さんもすごい魔導士だったんだぜ」


「そうなんですか?」


「長い歴史を遡っても母さん以上の魔導士はいなかったと俺は確信してるね。数多くの魔王から絶望の魔女と恐れられ、現れる魔物の軍勢を一撃のもとに葬り去る。このローブだってそんじょそこらの魔導士には手に入れることのできない超一流の魔導士である証なんだ」


 リナリアは俺の力説を聞いて感心した声を漏らしてぱちぱちと手を叩きながら、そこで口元を綻ばせてふふっと笑った。


「ユリウスさんは、お母さんのことが大好きなんですね」


「自慢の母親だからな。よくマザコンのユリウスだって言われてたものさ」


「素敵なことだと思います。僕は恥ずかしくてあまり感謝をしたことがありませんでしたけど……」


 途端に明るい口調が急降下してリナリアはしゅんとしたように顔を伏せた。突然の死で置いてきた者たちへ思うところがあるらしく、小さな声で「ちゃんと親孝行すればよかった」と呟くリナリアの頭に俺はぽんと手を乗せた。女はこれに弱いと聞いたことがあるからだ。こいつはあれだけど。


「ユリウスさん……?」


「魔王を倒せば女神さまがお願いの一つくらい聞いてくれるかもしれないぜ」


「お願い、ですか……?」


「もとの世界に戻してくださいってな。それくらいの奇跡はあってもいいだろ」


「……そうかもしれないですね」


「だから元気出せよ。俺も一緒にお願いしてやるから」


「……はい」


 思いがけずシリアスな空気になってしまったがリナリアは困り顔に笑みを重ねると小さな声でお礼を言った。


「よし、じゃあ気分転換に魔導術の練習でもしてみるか」


「え……でもユリウスさんは使えないんですよね……?」


「やり方だけなら母さんに何度も聞かせてもらってる。試してみようぜ」


「はあ……」


 リナリアはきょとんとした表情を浮かべると立ち上がってワンピースの裾を直しお尻の汚れを払った。それから少しだけ瞳をきらきらさせながら期待に満ちた微笑を浮かべる。


「実は僕、魔法ってちょっと憧れてたんです」


「ふふん、できるかなお前に。言っとくけどけっこう難しい技だからな」


「どうすればいいですか?」


「まず目を閉じて、身体の力を抜いてリラックスするんだ」


「はい」


 言われた通り目を閉じてゆっくりと深呼吸をするリナリア。澄んだ表情で佇むその姿は森の中の精霊のようであまりの美少女っぷりに言葉を失いかけ、俺は改めてその奇跡的な顔立ちに目を奪われた。けれど男なので心は凪いでいる。単なる女装を見ている気分だ。


「んじゃ頭の中を無の状態にして、それから呼吸に合わせて手のひらから血を押しだすようなイメージをする。想像だけで力をこめるような感じだ」


 リナリアはしばらくのあいだ黙ったまますうすうと呼吸を続けていた。けれど可愛いだけでそのあいだに起きた出来事といえばそよ風が彼女のモカブラウンの髪の毛を撫で、鳥たちがばさばさと西の方から一斉に飛び立ったくらいだった。ぎょえーと濁った声で遠のいていく鳥たちの羽ばたきの方へ目を向けているとリナリアが窺うように「あのぅ」と声をかけてきた。


「どうですか?」


「さっぱりだな。なにか身体から溢れでるものはなかったか?」


「いえ、全然……ちなみにこれってなにをしてるんですか?」


「魔力を放出する練習だよ。それができるようになれば紋章陣を描くことで魔導術が解放される」


「紋章陣って……あ、魔法陣みたいな、あれですよね、丸の中に複雑な模様が描かれてるやつですか……?」


「よく知ってるな」


「僕の世界でもそういうの物語でよく出てくるんです」


 その知識があるのにどうして魔導術はないんだろうと俺は疑問に思ったが、おそらくそれはリナリアにもわからないだろうから口にはしなかった。


「物語の中に出てくる魔導士はどうやって魔力を放出してたんだよ」


「え、どうやってだろ……気合いを入れて出してたと思います」


「気合いは不要だ。魔導術に必要なのは氷のように冷静で冬の朝に似た澄んだ心だから」


「難しいです……」


 と、すぐに弱気になってしまいリナリアはいまにも光に溶けて消えていってしまいそうな声で儚く呟いた。


 まだはじめたばかりじゃんと俺は呆れたが、どうもリナリアには物事を後ろ向きに捉えてしまう打たれ弱さがあるらしい。そんな気持ちじゃできるものもできない。転生者として魔導士の素質はあるはずだが、彼女には気合いが足らなかった。


「そういえば……」


 俺はふとある出来事を思いだした。


「どうしたんですか?」


「一度だけ母さんが魔導術の使い方を詳しく教えてくれたことがあったんだ。えーっと……」


 手探りで魔導術を会得しようとしているのですぐにできるものではないと思っていたが、せっかくやる気を出してくれたリナリアのためになにかヒントになるものはないだろうかと俺は空を見上げながら母さんとの思い出に胸を詰まらせることにした。


 そう、それは俺がまだ五歳の頃。あたたかく穏やかで優しい時間の中にいた日々のことだ。


『ねーねーお母さーん、この魔導術の使い方教えてー』


『こーらユリウス、勝手にママの本棚漁ったらだめって言ったでしょ』


『だって魔導士になりたいんだもん』


『無理に魔導士を目指さなくてもいいのよ。あれは女の人がなる職業だし怪我することもあるんだから。ユリちゃん痛いの嫌でしょう? あ、その洗濯物ばさってできる? はい、ばさー』


『ばさー』


『ありがと』


『ねーねー教えてってばー』


『うーん……でもユリちゃんまだちっちゃいから……』


『ちっちゃくないもん! 僕もお母さんみたいな立派な魔導士になるんだー!』


『そうねぇ……じゃあ周辺のフェアリー濃度及びその組成が均一かつ魔力含有量が十パーセント前後である場合を過程してこのイフェスティオを解放させたいとしましょうか。このとき必要になる魔力はおよそ百八十ポレーンなのはわかるかしら? 本来ならもう少し必要なんだけど周りに漂ってるフェアリーが魔力を含んでて励起するための魔力が少なくていいからよ。そしてイフェスティオの有効範囲は半径二十メートルにもなるからこの過程をもとに解放させる場合は相手との距離を十八メートル以上離しておかないといけないわね。ただし、イフェスティオくらいの高位魔導を使うときはよく注意しておかないといけないことがあって、精密な魔力解放ができない場合は過励起化反応によってフェアリー同士の相互作用が起こるから効果範囲の拡大に伴ってフェアリーは連鎖的な飽和分解を引き起こすわ。このときフェアリーは魔力との親和性が極めて高い不安定な状態になっていて連続して魔導術を解放させようとしても魔力が吸収されてしまうの。そうなると内殻の魔力過多による解放不全に見舞われる危険性があるから一撃で仕留めきれるときじゃないと使っちゃだめよ? で、その前提を踏まえてようやく安全に魔導術を解放させることができるんだけど実戦では獲物がいるわけだからのんびりと紋章陣を描いているひまはないでしょう? だからフェアリーを励起させたら毎秒三百ポレーンで魔力を放ちながらこの模様を描き、それからこっちを続けて描いて。で、これとこれを繋ぐように描いて最初の結合紋に合流すると、なんと紋章陣が不完全崩壊を起こさずに最速で解放させることができるの! すごいでしょ、これママが見つけたやり方なの、ユリちゃんにだけ特別に教えてあげる』


『ママがなに言ってるのかよくわかんない』


『……』


『それになんか怖い』


『イフェスティオはね、ばーって魔力を出してぽやぽやーって紋章陣を思い浮かべるのよ。そしたらどかーんって魔物の四肢が弾け飛ぶから返り血を浴びないようにしっかり離れておいてね?』


『なるほどー!』


 ……。


 昔から、母さんは人にものを教えるのが下手だった。絶句した俺を見かねてリナリアが窺うように小首を傾げながら見上げてくる。


「あのぅ、ユリウスさん……?」


「……魔導術は、ばーって魔力を出してぽやぽやーって紋章陣を思い浮かべるんだ」


「はあ……」


「簡単だろ?」


「え、あの、できればもう少し具体的に……」


「それはまた今度にしよう。いまはイチゴリスを討伐するという大事な使命があるわけだし、肝心の紋章陣がないと──」


 俺たちのいるすぐ近くの木々から一斉に飛び立つ鳥の羽音が響いたのはそのときだった。


「ふひゃあ!」


 さっき聞こえたぎょえーという濁った鳥たちの声が大音量で鳴り響き、驚いたリナリアが声を挙げながら腰を浮かせて前へ転ぶ。大量の羽ばたきが葉擦れの音を立て、ただならぬ雰囲気に俺たちは慌てて後ろへ振り返った。


 途端に心臓が強烈に跳ねた。


 森の奥、いくつも立ち並ぶ大樹のすきまになにか巨大な物体が立っていた。褐色の肌に大きく隆起した筋肉。頭の横からは白いツノが伸び、お尻の先から細長いしっぽがぶらりと垂れ下がっている。その姿はどこからどう見ても牛そのものだった。なぜかそれが二足歩行をしており三メートルほどもありそうな巨体できょろきょろと辺りを見回している。


 魔物だ。しかもあんなの見たことがない。一見しただけでやばい奴だとわかるやばい奴だ。


 気づかれてはだめだ。


 脳裏が警鐘を打ち鳴らし俺は息を殺して大木の陰に身を隠そうとしたが、気が動転していたせいで重大なミスを犯していた。


「ひっ……」


 俺が気づくのと同時に引きつった声でリナリアが小さく悲鳴を漏らしてしまっていた。


 目を見開いたまま腰を抜かしたように後ずさろうとし、慌てて口を塞ごうとしたが既に手遅れだった。牛の魔物はぴくりと耳を動かしたかと思うとこちらへ顔を向けはっきりと俺たちを見つめていた。

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