死霊使い
後始末。
広がる血溜まりの動きが止まり、一部始終を眺めていたルヴィルが目を細めた。
「これぐらいじゃ収まらねぇとは思うけどよ。そいつも哀れな人間だ」
そう呟くと、取り囲んでいた遺体が離れていく。
そこには、もはや骨に肉がこびりついたようなヴィグラムの残骸が残っているだけだった。
祭壇から飛び降り、血溜まりの中に歩を進める。びちゃり、と靴に絡みつくように血が滴った。
「レコリアは永遠の命が欲しかったわけじゃねぇ。まして永遠の美しさもだ。病に倒れて自分の死期を悟った時点で、残りの余生を幸せに過ごしたかっただけだ」
そして、前に立つ。
「あんたと、な。それに慌てふためいて、かじったことがある程度の死霊術なんかに手を出したのが間違いだ。関係ない人間まで散々巻き込んで、挙句何も成果が出せねぇなんざ迷惑以外のなにものでもねぇ」
右手をかざす。
「『贖いの地へ舟を出そう、渡し守よ、哀れなる罪人の嘆きを舟唄に、彼の者を導き給へ』」
ヴィグラムの体から青白い霧のようなものが抜け出していく。
「じゃあな。全て赦してもらえる刻がきたら、奥さんにもう一度叱ってもらえよ」
霧は一瞬人の形になり、すぐさま何かにかき消されるように空中に散って行った。
立ち並ぶ遺体たちにルヴィルが振り返る。
「悪いが、そのままもう少し待っていてくれるか。俺じゃ見分けが付かん」
そう言って、遺体を飛び越え、少女の元へと向かう。
気絶したのか、少女は椅子に横になって眠っていた。
「おいガキ、起きろ!今しか時間は取れねえぞ!急げ!」
胸ぐらを掴み、ぺちぺちと頬を叩く。
「うう…うん…うー?」
起きたのを確認したのかしていないのか、少女の体を担ぎ再び跳躍して祭壇に戻った。
「お前の母親はどいつだッ!?」
着地するときに少女の体がごきりと鳴ったが、御構いなしに大声で怒鳴る。
「あぅっ!?」
その衝撃と声で少女が無理矢理目を覚ます。
その視線の先には、裸の女性の遺体が立ち並ぶ異様な光景。
「ひぇぇぇ…」
「おい改めて気絶すんなよ!?早く見つけろ、時間がなくなるぞ!」
ルヴィルの声にはっとして見回す。
「───っ!お母さん!」
その視線の先に、長い髪の痩せこけた頬の女性が立っていた。
「見つけたか、とりあえず行け!」
少女を下ろし、走らせる。
「お母さあああああああん!」
母親に抱きついて泣き出す少女。
それを後ろで眺めながら、ルヴィルは他の遺体に向かって視線を送っていく。
「すまんが、面会は一人だけだ。他は先に行っといてくれるか」
そして、両手を広げ眼を閉じる。
「『死霊使い、ルヴィル・ヴァンサーの名の下に冥府の門を開く。哀しき魂よ、願わくば冥福を。来世の祝福を。暫しの安息を』」
そう唱えると、ルヴィルの足元から金色の魔法陣が広がっていく。
「俺からの最後の手向けだ。普通なら何百年かかってたどり着く門だ、通りな」
床から金色の光で組まれたような、簡素なアーチがせり上がる。
ルヴィルの言葉に納得したように、遺体たちがそのアーチをくぐっていく。
くぐった遺体は、そのまま光の粒になって霧散して消えていった。
「さて、もう一つ」
袖から、古びた札が貼りたくられた木箱を取り出し、少女とその母親の遺体のもとへと歩いていく。
「お母さん…!何か言ってよ…!お母さあん…」
何も言わず、抱きつく少女の肩に手を置くだけの母親。
それを見ながら、ルヴィルは無造作に木箱の蓋を開けて中から指先大の水晶玉のようなものを取り出した。そして、それを口元にあててぶつぶつと何かを呟く。
「こいつを耳にはめな」
少女の耳の穴にそれをつける。
「えっ…?あっ…あっ……おか…お母さん!お母さん!」
無表情だった母親の顔が、少しだけ優しくなったような気がした。
「ずっと待ってたの!一人で…うん!いい子にしてたよ!何も盗んだりしてないよ!このおじ…おにいさんはね!私にご飯作ってくれたの!それから、ないふ?とふぉーく?の使い方も教えてくれたの!…うん!…すっごく優しい人だよ!」
母親の手がぎこちなく少女の頭を撫でる。
「うん!ちゃんといい子にする!お母さんの手伝いもやるから!だから、一緒に帰ろ!…えっ?…えっ…どうして?」
少女の声が曇る。
「やだ…やだ!一緒に帰ろう!?もう一人はやだよ!お母さんと一緒に帰るの!いや!やだ!」
ちらりとルヴィルの方を見る母親。それに、ルヴィルは眼を細めて返しただけだった。
「やだぁ!やだ、やだ!やだやだやだやだ!一緒に行こうよ!やーだー!一人にしないでぇ!!!」
涙を流しながら母親に縋り付く少女。
その頭に、ぽんとルヴィルが手を置いた。
「ぼちぼち時間だ。門も、お前の母親の体も、俺の力ももう持たん。行かせてやらねぇと、母親が長い間苦しむことになるぞ」
涙ぐみながらルヴィルを見上げる。
「やだぁ…あぁぁぁ…お母さぁぁぁぁん…!」
引き剥がしたのは、母親の方だった。そして、自分の首の後ろに手を回し、金細工の髪留めを取り出して少女の手に持たせる。
「お母さん…?」
少女の額に口付けをして、門の前で一度だけ振り返り、門をくぐって消えていった。
「お母さん…」
茫然とする少女。そして、金色の門は解けるように消えた。
「お母さあああああああああああん!!!!!」
髪留めを握り締めながら、少女はただただ泣き続けた。
◇◇◇
大きな荷物を抱えた男が、少女を連れて乗合馬車の待合所に座っていた。
「どこに行くの?」
「まぁ、成り行きとはいえ貴族を一人消しちまったからな。王宮のやつらに見つかるとは思わんが、この街にずっといるわけにもいかん」
街は失踪した貴族の噂で持ちきりだった。
曰く、貴族の反乱の予兆だ。
曰く、恨みを持つものに暗殺された。
曰く、天罰が下った。
そのどれもが安否を気遣うものではなかった。
「部屋もめちゃくちゃにされたしな。お陰で研究もへったくれもねぇ。あ、やっべ、家賃と修理費置いてくればよかった」
しまった、という顔をした男に、少女が笑っている。
「とりあえず、隣の隣の街まで行くぞ。ちょっとしたあてがある」
「はーい」
そうこうしていると、停めてあった馬車に御者が近づき、乗車の案内をし始めた。
「おじ…おにいさん、呼ばれてるよ」
少女がそういうと、意を決したように男が立ち上がる。
「行くぞ、『レミ』」
「はーい」
レミと呼ばれた少女も、元気よく立ち上がった。
そして、金細工の装飾が目にうるさいローブの男の手を握って一緒に馬車に乗り込む。
「お名前をお聞きしても?」
尋ねてくる御者に、男が答えた。
「ルヴィルだ。こっちはレミ。俺の…」
「お嫁さんだよ!あだ!」
ごつん、と容赦なくげんこつが落ちる。
「こんなところで適当な嘘つくな!妹だ、妹!そう言っただろうがッ!」
「えー」
そんなやりとりを御者が微笑ましそうに見ていた。
「はっはっは、仲の良いご兄妹で。さ、揺れますので深くお座りください」
促されておとなしく座る。
「ハッ!」
二人だけを乗せた馬車が動き出す。
「…」
だんだんと遠くなっていく街を、レミはじっと見送っていた。
そして橋を渡り、やがて森へと入って街が見えなくなる。
「…ばいばい」
そう呟いてルヴィルの方に向き直った。
「ふふー」
「な、なんだよ」
不敵な笑みを浮かべるレミにたじろぐルヴィル。
「なんでもなーい」
そして、深い森へと馬車は消えていく。
彼らが世界をめぐる戦いに巻き込まれると知るのは、まだしばらく先のお話。
おしまい。
最後までお読みいただきありがとうございました。では、またどこかでお会いしましょう。