9 魔導、魔術、魔法
公園を出た二人がやってきたのは、事務所街の入り口付近にある銀行だった。
銀行は、個人の預金管理、商会や事業主への融資はもちろん、納税代行や国をまたいだ両替などの業務も行っている。運営には神殿が絡んでいるため、各国の公的機関に顔が効くのだ。
今日この銀行に来たのは、他でもない、エルナの個人口座を作るためである。
「……口座、必要なの?」
「あぁ、これから必要になるんだ」
話をしながら、屈強そうな警備兵の横を通り銀行に入る。建屋内は清掃が行き届いており、室温も快適に保たれていた。
「エルナ。銀行手続きにはかなり時間がかかるから、少し覚悟しておいた方がいいよ」
「……そうなの?」
『そういや、ラークの口座を作った時なんか酷かったもんな。書類やら捺印やらでその都度長いこと待たされてよお』
「……へぇ。そうなんだ」
ラークは先日、家庭教師の給与振込のために口座を開設したのだが、なかなか手続きが進まず何時間も拘束され、結局その日の予定は丸潰れになってしまったのだ。
聞いた話では、誰が口座開設をしても似たような状態らしい。
受付にエルナの名前を書く。
ここから係員に呼ばれるまでがまた長いんだよな……などと思っていると、カウンターの奥がなにやらざわつき始めた。
やがて、一人のウサギ耳の女性が、少し焦った様子でこちらへ歩いてくるのが見えた。四十代くらいだろうか。周りの反応を見るに、それなりの地位にあるらしい。
「ま、まさか一般の受付にいらっしゃるとは。お待ちしておりました、エルナ・シルバ・ローデント様。不肖ながら本日お相手をさせていただきますのは、わたくし、当銀行の副支店長を務めておりますマルテーネと申します」
深々とお辞儀をする。
エルナは困ったような顔をするが、ラークとしてはどうにも手を出しようがない。促されるまま、奥の応接室へと通された。
やたら柔らかいソファに座る。
黒豆茶と砂糖菓子が静かに運ばれてくる。
「エルナお嬢様。通常であれば口座開設を行う場合、各種書類に様々な必要事項をご記入いただく必要があります。が、お嬢様の場合は身元に間違いがない。特別に、わたくしマルテーネがッ! すべて事前に用意させていただきました」
「…………あ、はぁ」
「ただ、魔紋の登録だけはご本人様である必要があります。あなたの有能なしもべであるこのマルテーネであっても、こればかりは仕方ないことなのです。こちらの魔印で、書類のこの欄に捺印をお願いできますでしょうか。ちなみに、この魔印を用意したのは、わたくしマルテーネでございます」
やたら自らの名前を推すウサギ耳のマルテーネさん。その向かいで、エルナは魔印をひょいと手に取り不思議そうに眺める。
魔印とは、手に持った者のマナによって模様の変わる印鑑だ。その模様──魔紋は、ひとりひとり形が異なる。家族や双子であっても同じ形にはならない。そのため、書類などの本人確認のためによく利用されている。
エルナは書類を確認しつつ捺印する。
「それでは、わたくしマルテーネがッ! 誠心誠意手続きをしてまいります。そう、このマルテーネがッ! お寛ぎになって少々お待ちください」
去っていくマルテーネさんの姿を、ラークは興味深げに見た。なるほど、一般人の時とはこうまで対応が違うのか。
「…………変な人」
「無理もないよ。銀級貴族は国の中枢。高位貴族だからね。エルナがこういう扱いを受けるのは、ある意味自然なことだし」
「……なんか……嫌」
『んなこと言っても仕方ねえだろ、嬢ちゃん。それに、手続きで待たされるよりゃいい。割り切って特権を享受しとけよ』
クロバの言葉はまぁ普通の意見だが、エルナはどうにも居心地が悪そうだ。
少しして、戻ってきたマルテーネさん。
事前にほとんどの手続きは終わらせていたのだろう、個人口座の証明カードはすぐに受け取ることができ、二人はそそくさと銀行をあとにした。
合計滞在時間は10分程度だ。
銀行を出て、どこへ行くでもなくフラフラ進む。
「なんだか、ぽっかり時間ができたな」
銀行でもっと時間を食うと思っていたのだ。昼食を取るにもまだまだ早いし、どうしたものかと考える。
「…………先生。口座。何に使うの?」
「そりゃあ、エルナの個人資産を保管するためだよ。これから少しばかり稼ぐから」
「……稼ぐ?」
エルナは首をコテンと傾げる。
ラークは人差し指をピンと立てて説明する。
「人生何があるかわからない。僕もエルナも、なにかの拍子にすぐ人に嫌われる性質だろ。保険は多いほうがいいと思うんだよ」
「…………確かに」
『それはいいがよ、稼ぐあてはあるのか?』
「もちろん──」
あれこれ話しながら、ひとまず商店街の方面に向かう。予定が空いたのであれば、買い物などをして過ごすのもいいだろう。というアバウトな考えだ。
広い道を一角獣車が走り抜ける。
落ちた糞にスライムが群がる。
普通の光景だが、エルナはそれらを興味深げに見ていた。
「エルナは何か聞きたいことはある?」
「………………うん」
頭の中で質問をまとめているのだろう。
急ぐでもなくのんびりと歩きながら、エルナの言葉を待つ。
不快ではない無言の時間。
よく晴れた空の下、街には活気があって、二人が黙って歩いていても気にかける者はない。
やがて、エルナはゆっくり口を開く。
「……あの……魔導と、魔術と、魔法とか」
「うん?」
「…………どれが何で、どう違うのか。とか。あと……青魔導って何なのか、とか」
「そっか。わかった」
確かにそのあたりは、これまでちゃんと教えてなかったかもしれない。一般人の中には、あまり区別ができていない者も多いらしい。
ラークは順を追って説明する。
「まず魔導について。これは、本能で行使することのできる魔現象の全般を指す」
「……本能?」
「そう。だから、魔物なんかが感覚的に扱っているのも魔導だよ」
魔導を扱う中心になるのが、体内の魔導核。
人間の場合、魔導核はヘソの少し下あたりにある。いわゆる丹田と呼ばれる場所で、ようは魔導的に見た身体の中心である。
「で、魔導が本能なら、魔術は技術だ」
「……技術?」
「そう。魔術師の杖には、魔物の魔導核や魔術回路が仕込まれている。詠唱によってマナを変化させて送り込むと、指定した魔現象が発生するようになってるんだ」
「……そうなんだ」
「理論上は、同じ魔術を同じように行使すれば、誰でも同じ効果が得られる。実際はなかなか難しいらしいけど」
ラーク自身は魔術師ではない。
知識として多少は知っているものの、それだけだ。学校には魔術の教官がいたが、ラークは嫌悪感の制御のために魔導にばかり力を入れていた。
魔術は流派も幅広く、誰でも知っているものから無名のものまで多種多様だ。
「魔導が本能、魔術が技術なら、魔法は願望かな」
「……願望?」
「そう。魔法っていうのは、結果を願うものなんだ。例えば操霊術なんかも魔法の括りだけど、トーテムに『召喚』を願ってマナを渡すだけ。過程でどんな風にマナが作用するのかなんて、知る必要もない」
「…………人任せな感じ?」
「うん。人というか、精霊任せかな」
魔法を行使するのは、トーテムに覚醒した操霊術師や、精霊と契約している精霊魔法師、精霊神殿の神官などだ。
「少し言い換えれば。マナを感覚的に繊細に操るのが魔導。道具や詠唱で決められた使い方をするのが魔術。理不尽な謎の技は魔法」
「……なんとなく、わかった」
「今はそれでいい。じゃあ次は……」
話しながら、突然。
ラークは立ち止まる。
数瞬の沈黙。
「エルナ」
名前を囁く。
──建物の壁にエルナを押し付けた。
「…………先生?」
エルナの可愛らしい瞳が、不安げに揺れた。
着衣は少し乱れ、ワンピースの首元からは鎖骨がのぞいている。
ラークの頬が熱くなる。
無理やり視線を剥がし、彼女の目を見た。
「動かないで。僕に身を任せて」
「……え……あの……まって」
エルナは真っ赤な顔をブンブンと振る。
ちなみにだが、エルナの屋敷にある蔵書の中には、恋愛小説なども数多く含まれていた。実体験こそないが、多少の知識は溜め込んでいるのだろう。
どんな想像をしているのか。
エルナは足をモジモジとすり合わせている。
「……だめ……まだ……心、準備」
ラークはそんな言葉を無視する。
そして、片手を彼女の横につき、半ば強引に顔を近づけていく。彼女は軽く抵抗するそぶりを見せながらも、覚悟を決めたように目蓋を閉じて──。
そんな彼女の耳もとで囁く。
「つけられてる」
「…………ぇ」
『あぁ。監視されてるな。嫌な感じだ』
「クロバの言うとおり、明らかに害意のこもった視線だった。エルナ。このまま恋人っぽくイチャついてるフリをして、裏路地に誘い込む。もう少し辛抱してくれ」
「………………ぅぅぅぅぅぅぅぅ」
小さく唸っているエルナに視線で謝り倒しつつ、ラークは彼女の手を引く。人通りの少ない場所を目指し、歩きだした。