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5 六色(ヘキサコロル)と食器の山

 見覚えのない天井だった。

 ボヤけていた意識がスッと覚醒する。


 昨日のことを一つ一つ思い出す。

 一角獣車での旅。領都の様子。ローデント家の屋敷。そして、今日からこの屋敷でエルナの家庭教師をすることになること。


 体を起こし、グッと背伸びをした。


『おう、起きたかラーク』

「おはよ」


 こみ上げるあくびを噛み殺す。

 長旅の疲れはまだ残っているが、軍学校で叩き込まれた早起きの習慣はそう簡単には抜けないらしい。


 旅用の寝袋を小さく畳む。


 寝床にしていたリビングは妙に薄暗い。

 それもそのはず。あらためて見渡せば、窓や戸にガラスは使われていない。すべて木製なのだ。

 おそらくは姿を見られないようにするためだろう。エルナのためではなく、外から見た人が不快にならない配慮だ。


「エルナは寝室か」


 寝室の扉の向こうは静かだ。

 ラークはなるべく音を立てないように気をつけて歩く。リビングから直接外につながる引き戸を開ける。


 夜明け間もない空の下へと滑り出た。



 屋敷の裏手の小さな庭。

 人工林で隠れているため、この場所は外からでは見えない。伸び放題の雑草は朝露に濡れ、コオロギやチョウなどが自由に飛び交う。自然いっぱいの、と言えば聞こえはいいだろうが、単に整備されていないだけの庭である。


 広大な庭園を管理している庭師たちも、このエリアには近づかないらしい。


「うん。ここは使えるな」

『少し狭いんじゃないか?』

「エルナの訓練用なら十分だよ。人目も気にしなくていいし」


 早朝の空気はまだ冷たい。


 ラークは庭の中央へ進む。

 目を閉じて深呼吸を始める。


 一流の武人は基礎を疎かにしない。

 そんな言葉を思い返しながら、軍学校仕込みの格闘術の型をゆっくりと繰り返す。ひとつひとつ丁寧に、自分の身体を確認するように。体幹は安定しているか。関節の可動域に違和感はないか。伸ばした手足はイメージした角度になっているか。


 意思の通りに体を動かす。

 それは、簡単なようで実は難しい。


 人は普通に生きているだけで、身体中の筋肉量が日々変化する。ストイックに動作精度を求めるほど、その小さなズレが動きの歪みを作り、怪我やスランプの一因になる。


「……旅の間に少し筋力が落ちたか」

『一角獣車で座りっぱなしだったからな』


 こればかりは仕方がない。

 ラークはいつもより時間をかけて、一つ一つ修正しながらイメージと身体をすり合わせていく。


 動きを加速させる。

 鋭い突きが、蹴りが、風を切る音。

 感覚が徐々に馴染んでいく。


 すでに常人には真似のできない動きをしているが、当のラークはうっすら汗をかく程度だ。一般にトーテム覚醒者は身体能力も跳ね上がるが、ゴキヴリの身体強化は他のトーテムと比べても優秀な部類である。


六色(ヘキサコロル)のラーク、か』

「その異名さぁ、なんか微妙だよな」

『広まっちまってんだから仕方ねーだろ』


 話しながら魔導を使う。


 ちなみに、ここまでが準備運動。

 早朝訓練はこれからだ。




 エルナの屋敷で風呂場を借りる。


 風呂場の魔道具は高価なものばかりだ。

 井戸水を汲み上げてくれる魔道具。湯を沸かしてくれる魔道具。背中を洗ってくれる魔道具から、温風で髪や体を乾かす魔道具まで──軍学校時代なら考えられないような充実ぶりだ。


 また、風呂場についてはエルナも綺麗に使っているらしい。浴槽や壁・床も丁寧に磨かれているし、魔道具もよくメンテナンスしてあった。リビングやキッチンの惨状とは大違いだ。


『満足そうな顔じゃないか』

「うん。温水で汗を流せるのは良いね」


 さすが貴族の家の風呂場は快適だ。

 そう考えてから、ラークははたと気づく。


 この風呂場は「一人で何でもできる」ように作ってあるのだ。


 本来、銀級貴族ほどの身分であれば、自分で風呂を沸かすことはない。自分で身体を洗うこともなければ、自分で服を着ることもないはずだ。

 そういった世話をする使用人がエルナについていないのは、やはり異例のことだろう。



 体を拭いて「作務衣」を纏う。

 学生時代から普段着として愛用しているのだが、東方起源の服でこの近辺ではあまり見かけない。小豆色の布生地を自分で縫って作ったものである。


「さて、やるか」

『おうよ』


 袖を捲り、麻紐で結ぶ。

 風呂場から出る。


 ラークは、リビングの木戸や木窓をすべて開け放った。ぬるい風が吹き込み、ラークの黒髪がサラサラと揺れる。


 淀んでいた空気が少しずつ入れ替わる。


「なにを教えるにせよ、まずは人間らしい生活ができるようになってからだ」

『それをトーテムに言われても困るが、まずは掃除ってことだろ。この掃除魔め』

「なんとでも言え。僕はやる」


 寝室の扉越しにエルナの気配を確認する。


 昨日は遅くまで本を読んでいたのか。

 彼女は今も眠りこけているらしい。ピクリとも動く様子がない。


 好都合だ。

 今はまだ寝ていてくれたほうが助かる。


「じゃあ、クロバは屋根裏をよろしく」

『おう。ちゃちゃっと制圧してくるぜ』

「あぁ。〈分裂召喚(ディヴサモン)〉」


 操霊術、分裂召喚(ディヴサモン)

 この術を使うと、トーテムを複数具現化することが出来る。軍学校での訓練により会得した高度な術だ。


 足元にマナが集まる。

 十体ほどのゴキヴリが姿を現す。


 それぞれ体長は10センチほどで、通常の召喚時よりサイズは小さい。皆がクロバの分体であり、ラークとの間にマナ的なつながりを持っている。


『じゃ、あばよ』


 ミニクロバの一体が、前脚を上げる。

 次の瞬間には、六本脚をカサカサと動かし、四方八方に散っていった。頼りになる相棒だ。


 ──ラークの体から嫌悪感が放出される。


 操霊術を使いクロバを召喚している間、ラークの体からはトーテム特性である嫌悪感が激しく放出され続ける。今のところ、それを抑える方法は見つかっていない。

 クロバに働いてもらえるのは、エルナや使用人が見ていない時間帯だけだろう。


「さてと、僕は皿洗いだ」


 庭に目を向ける。

 そこには、直径1メートルほどの木製の大きな桶がデンと存在を主張していた。さきほどの訓練のあとに、物置きから引っ張り出してきたものだ。

 桶にはなみなみと水が張られている。


「どんだけ皿があるんだろう……」


 ボヤきながら、皿を運ぶ。

 食器の山は巨大だった。庭とキッチンを往復しながら皿やコップを抱えて運ぶが、山が小さくなる様子は想像すらできない。相当な難敵である。


 ラーク自身はこういった地味な作業は嫌いではないが、それにしても対象が多すぎる。



 そうして作業を続けることしばらく。

 木桶の方が先に一杯になってしまった。


 キッチンの食器はまだまだ減った様子を見せないが、今日のところは運べた分を洗うことに専念したほうがいいだろう。


「ふぅ。地味に腰に来るな……」


 腰に手を当て、グッと背を伸ばす。

 そこへ、ミニクロバの一体が戻ってくる。


『ラーク、嬢ちゃんがモゾモゾ動いてるぞ』

「もう起きるのか。早いな」

『また寝るかもしれんが、一応俺は消えておくぜ。屋根裏はそこそこ片付いた。ボス蜘蛛の始末がまだだが、明日には完全に掌握できるはずだ』

「ありがと。じゃ、明日もよろしく」

『おうよ』


 クロバは、緑の光の粒になって消える。同時に、ラークの発していた嫌悪感が消えた。


「じゃ、洗うか」


 物置から持ってきた粉状の洗剤を、木桶の中にぶち込む。濁った水の中から、細かい泡が浮かんでくる。


 しばらく浸け置いた方がいいだろう。


 待っている時間に何か腹に詰め込んでしまおうと、旅で余った干し肉と安ワインを荷袋から取り出す。

 そこまで味が良いものではないが、無駄にするのももったいない。


「そういえば、朝食もまだだったな」


 リビングと庭の段差に腰掛ける。


 庭に目を向ければ、林からパタパタと小鳥が飛んできて、なにやら地面をついばんでいるのが見える。


「エルナ。指導とか受ける気、全くなさそうだよな。まぁ、無理に押し付けるもんでもないけど、どうするか……」


 呟きを漏らし、干し肉を齧る。

 ワインの小瓶をのんびりと傾けた。


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