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30 事件の後

 昼下がりの平和なローデント家。

 領主館の一室。


 ベッドに横たわったアルマは、肉体的なダメージとは裏腹に元気な声を出していた。クルクルと喋り続ける様子は、まるで車輪を回すハムスタアのようだ。


「やっぱりズルいですわ! 一生独身だと思ってたエルナに、まさかわたくしより先に男ができるなんて。まったく理不尽ですわっ! 不公平ですわっ!」

「……結果がすべて」

「むっきー! なんですの、その幸せそうな顔! その微妙に勝ち誇った顔ぉぉぉ!」


 アルマは荒ぶっている。今にもエルナに掴みかからん勢いで話しているが……実際は、まだベッドに縛り付けられていた。


 なかなか危ない状態だったらしい。

 事件が終わった後、ローデント家の当主のかかりつけ医が高度な生命魔術を駆使することで、ようやくここまで回復できたのだ。完全に動けるようになるまでにはまだ時間が掛かりそうだ。


 アルマは手招きでエルナを呼ぶ。

 顔を寄せ、ほんのり頬を赤らめる。


「それで、実際……このくらいですの?」

「……ううん。このくらい」

「え、無理無理、そんなの無理ですわ!」

「意外といけたよ……ねぇラーク」

「なんの話だ」


 二人は前にも増して仲良くなったようだ。

 事件後も、ラークは引き続きエルナの指導を続けていた。例の屋敷には住み続けながら、こうして日々アルマの見舞いに訪れている。


 ベッド際で騒がしくしている三人。

 部屋の隅では、三つの影──三体のトーテムが、そんな三人の様子をのんびりと眺めていた。


『嬢ちゃんたち、元気だなぁ』


 ゴキヴリのクロバ。

 ラークのトーテムである彼は、長い触角を揺らしながら大きなあくびを漏らしている。


『えへへ、エルナ、なんか楽しそう!』


 ドヴネズミが、弾んだ声を出す。

 エルナのトーテムである彼女は、コヒメ、と名付けられ、現在はクロバの指導のもと屋根裏の王者となるべく特訓中だ。


『ふん。バカみたい……』


 ハムスタアのフブキ。アルマのトーテムだ。

 やたらツンツンとした言葉を吐くが、それでいてアルマとはなかなか馬が合うらしい。茶色い体毛色。尻尾や耳の形は違うが、顔だちや背格好はドヴネズミのコヒメとよく似ていた。


 フブキのそばに、ドヴネズミのコヒメがすり寄る。


『……卑猥な話ばっかり』

『でもでも、その卑猥な話をノリノリで振ってるアルマっちは、フブキっちの宿主なんだよぅ』

『屈辱だわ……』

「あんたたち、みんなバカだねぇ……」


 呆れ顔のティコ婆さんは、小人用の椅子にゆったりと腰掛けていた。


 驚くことに、彼女はアルマを弟子にするらしい。

 アルマは元々、好意の心波を自動で放出している。つまり、精神属性の素質は十分で、呪術への適性も非常に高い。今回ティコ婆さんの呪術に救われたこともあり、アルマ自身もずいぶん乗り気なのだとか。


 話をしていたエルナが、急に思いついたようにラークへと振り返る。


「……そうだラーク、今日は肉麺がいい」

「あぁ、それはいいけど」

「エルナ、それはどんなプレイですの!?」

「……違う。夕飯の献立。アルマは卑猥」


 アルマの顔が真っ赤に沸騰する。

 彼女は先日エルナに対して、実はこれまでのヘンテコな言動は意図的に行っていたものなのだ、というカミングアウトをしたらしい。が、その後を見るに、どうにも素で残念なのではないかという疑惑が濃厚になってきていた。


「ぅぅううう、罠ですわっ!!!」

「バカ弟子……どんな罠さね……」


 ティコ婆さんは、口の端を歪め、呆れ混じりのため息を漏らした。


『本当に屈辱だわ……』

『まぁまぁフブキっち、元気出しなよぅ』

『あれはもうどうしようもねえ。諦めな』


 エルナとアルマはこれまで以上に打ち解けて、いろんなことを話すようになった。トーテムが二体増えたこともあり、ずいぶんと賑やかだ。



 事件が終わってから、一週間ほどが目まぐるしく過ぎていた。


 街の被害は、事件の内容からすれば比較的軽微だった。

 とは言っても、死傷者やその家族への特別補償、領内外の物流・政治的な立て直し、周辺の生態系への影響調査、それら全てにかかる費用の捻出など、領主館が忙しいことにはかわりない。


 瘴血鬼クレルヴォの行方は、未だわかっていない。ただ、エルナとアルマが二人ともトーテム覚醒者となったことにより、今後狙われる可能性はグッと減ったと思われる。

 また、元使用人で瘴血鬼のスパイだったと目されていられる犬耳のオスタについても、捜索が続いているが未だ()()()()()()()()、瘴血鬼になった可能性も含め保留になっている。


 ティコ婆さんは、今回の各種情報を取りまとめて冒険者ギルドへと送付していた。


「そういやさ、ラーク」

「婆さん?」

「あんたさ。家庭教師が終わったら、仕事のあてはあるのかい。将来はエルナのことも食わせていくつもりなんだろ。何もないなら、冒険者におなりよ」

「えぇ……うーん」

「おや、何か不満かい?」


 ティコ婆さんは意外そうな顔をする。

 冒険者といえば、誰もが一度は夢見る自由職だ。志望者は掃いて捨てるほどいる。


「いやだって、死ぬかもしれない試験を受けるんだろ。なんだかなぁ」

「……バカだねぇ。あんたが死ぬような試験なら、誰も合格できないじゃないのさ。というか、軍に振られた時点で、ギルド本部はあんたが受験するものと思って待ち構えてたんだよ」

「そうだったんだ」


 ラークはエルナを見る。

 アルマと二人、なにやらクスクスと楽しそうに笑っている様子に、ラークも思わず頬が緩んでしまう。


「まぁ……エルナの家庭教師が終わったら、考えてみるよ」


 ちょうどそんな話をしていると。


 コンコン。

 部屋の扉がノックされた。


 トーテムたちがポンと消え、ラークの体から放出されていた嫌悪の心波が消える。


「失礼します。ラーク様。領主様の準備ができましたので、お呼びにあがりました」

「ありがとう、今行きます」


 やたら丁寧な使用人に連れられ、ラークは応接室へと向かっていった。




 豪華な調度品。壁の絵も、テーブルや椅子も、ペンの一本に至るまで、全て高級品なのだろう。


 部屋の奥には、魔物革張りのソファに腰掛ける一人の男性がいた。


「君がラークくんだね。はじめまして。私がローデント家当主、マティアス・シルバ・ローデントだ」


 頭を下げ、穏やかに笑う。

 焦げ茶色の真っ直ぐな髪。鼻が大きめで、人の良さそうな愛嬌のある顔だ。


 ラークは貴族向けの礼をすると、促されるままマティアスの向かいの席に腰を下ろした。ソファはこれ以上ないほどフカフカで、気を抜くとそのまま永遠に座っていてしまいたくなる。

 熟練の使用人らしき者が、完璧に気配を殺して黒豆茶を配置する。


「改めて、娘たちを救ってくれて本当にありがとう。それに悪かったねぇ。緊急事態とはいえ、君への拷問は明らかにやりすぎだった。ローデント家として正式に謝罪するよ」

「あ、いえ……」


 黒豆茶を口に含む。

 さすが、豆も調理法も洗練されているのだろう。濃厚かつ嫌味のない香ばしさが口に広がり、鼻から抜ける。


 ラークはゆっくり飲み込もうとして──。


「で、そんなにエルナが好きかね」


 黒豆茶をゴフゥッと吐き出す。

 マティアスの顔面に吹きかかる。


 使用人は影のようにサッと現れた。

 マティアスにハンカチを手渡し、高速かつ音を立てずにテーブルと床を掃除すると、煙のようにいなくなる。ラークがゲホゲホと咳き込む間に、全てが終わっていた。


「ラークくん」

「あ、す、すみません」

「いいんだ。それより、何を話してたかな……そうだそうだ、エルナのことだ」


 マティアスはハンカチで顔を拭う。

 気の抜けたような、人の良さそうな笑みを浮かべてラークを見るが、その目の奥の光は、醸し出している雰囲気ほど穏やかなものではない。


「軍部の奴らにも困ったものだよ……国全体として見たときに、君のような有能な戦力を失うことが、どれほどの損失になるのかまるでわかっていない」

「あ、はぁ」


 エルナの話から、急に軍の話へ。

 ラークは展開についていけず、何も言うことができずに黙り込む。


「これまでにない、新しい騎士団を作りたくてね。いろいろと動いていたんだ。ようやく今年の帝国議会で決定し、皇帝陛下の承認も下りたよ。いやぁ、大変だった」

「え……あ、良かったです、ね」

「ありがとう。本当に大変だったんだよ。こっちは大義のためにやってるっていうのに、口を開けば利権だの体面だの──」

「えっと……」

「おや、服に黒豆茶の匂いがついてしまったな。はは、まぁ気にしないでくれ」


 話が四方八方に飛ぶ。

 どこから騎士団の話が出てきたのだろう。というか、これはいったいどんな意図を持った会話なのだろう。エルナに、軍に、新設騎士団に、黒豆茶? 話の流れが読めない。


 ラークは目を白黒させつつ、マティアスの食えない顔を見つめ、おずおずと口を開く。


「あの……」

「うん?」

「すみません。いろんな話が混ざっていて、よく分からなくなってきたんですが……つまり、どういうことなんでしょう」


 その言葉に、マティアスは笑う。

 何がそんなに面白いのだろう。大きな口を開け、豪快に、可笑しそうに腹を抱えて。


 ラークはただ困惑した。


「──まったく、面白いことを言うねぇ。私は、最初からひとつの話しかしていないよ」

「えぇ……」


 そう言うと、マティアスはゆっくり立ち上がる。口の前で二本指をピッと伸ばすと、使用人が影からサッと現れて葉巻をセットし、火をつけて去っていく。

 ふぅ、と煙を吐く。


「軍部の無能が君を放逐した。これで国を捨て冒険者にでもなられたら大損失だ。私は友人のヴォルフェンに頼み、急いで君に家庭教師の職を紹介し、国に留めた」

「あ…………はぁ」

「新設する騎士団には、もとから君を勧誘する予定だった。だから、家庭教師はうってつけだったのだ。娘たちの護衛をさせられる。騎士団の準備が整えば、私の権限ですぐにでも辞めさせられる。その上、都合よく娘に手を出してくれれば、さらに国を捨てづらくなるだろう?」


 全て手のひらの上だったのだ。

 家庭教師の依頼から始まり、徹頭徹尾、彼の考え通りにことが運ばれていた。


 彼は一枚の書類をラークに見せる。


「──対瘴血鬼専門の騎士団なんだ。装備品の研究開発部門もある。所属する騎士は、帝国内限定だが、冒険者にも似た特権を与えられる」

「あー……なるほど。これは必要ですね」

「だろう。瘴気というヤツは得体が知れない。研究も対処も、多少の金をかけてでも、人を集めて専門的に行うべきだ」


 マティアスはソファに背中を預ける。

 ふぅ、と吐いたため息に、なんだか疲労感がにじんでいる。


「娘たち二人が瘴血鬼に狙われる予想はあった。だが、これほど早く事件を起こすのは本当に想定外だったんだよ。騎士団の設立が間に合うつもりでいたんだ」

「そう……なんですか」

「だから、本当に感謝している。貴族うんぬんを抜きにして、ひとりの父親としてね。まぁ、仕事ばかりで父親らしいことは何一つしてやれていないのだが……それでも、私の人生で、これほど肝を冷やした経験は初めてだよ」


 マティアスは一瞬、頬の筋肉を緩める。

 ラークの目を見てコクリと頷く。


 そして、表情を引き締める。


「新設の騎士団に、騎士(ナイト)として入れ」

「それは……」

「そうすれば、君の身分は銅級貴族となる。私も心置きなくエルナを婚約者にしてあげられるよ」

「……は」

「ついでに、先ほど私に対して黒豆茶を吹きかけた不敬も特別に不問にする」

「へ?」


 つまり、選択肢は二つしかない。

 口を開いて「はい」と言うか、黙って首を縦に振るかだ。


「──いい顔をするね、ラークくん。素直な子は嫌いじゃないよ。さぁ、分かったかい。エルナ、軍、騎士団、黒豆茶。私は最初からひとつの話しかしていないだろう?」

「……あ、はは…………」


 騎士という身分であれば、ひとまずのところ食うに困るようなことはないだろう。それに、瘴血鬼の厄介さは、身を持って知っている。あの様子なら、今後も帝国を狙って行動してくることは想像に難くない。

 なにより、ゴキヴリ男はもう、ドヴネズミ姫を心の底から慕ってしまっているのだ。


 ──返答は、決まりきっていた。

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