28 カラス男
おびただしい数の瘴血鬼の死骸が転がっていた。
魔導核を潰されたそれらは、二度と息を吹き返すことはない。穢された黒い血を垂れ流し、腐臭を漂わせている。
その中心に、ラークの姿があった。
服には汚れひとつ付けず、息をまったく乱さずに、散歩でもするような気楽さで周囲を見て回っている。
体長30メートルの巨大クロバが、ラークの前にズシンズシンと音を立て現れた。
『こっちは片付いたぜ。東門に行ってくる』
「頼んだ。向こうは大型の魔物の気配がある。巨獣系か竜系の瘴血鬼がいるかも」
『問題ねえよ』
そう言うと、クロバは巨大な翅を広げて空へと飛び立っていく。その姿を目撃したものがいれば、驚きと嫌悪感で気を失ってしまっていたかもしれない。
南門周辺にいた多種多様な瘴血鬼の群れは、ラークとクロバにより壊滅に追い込まれていた。
背後から声がかかる。
「六色……よぉ……」
「やぁ、クレルヴォ。残るは君だけか」
クレルヴォの顔色はどこか青白く、薄く開いた口はボソボソと動くばかり。圧倒的すぎる戦力の差に、事態を飲み込みきれていないのかもしれない。
「おかしいだろ……」
クレルヴォの絞り出すような声。
ラークは彼の顔を見返す。
「何なんだよ……いくらなんでも、規格外すぎんだろ。こんなん、どうやったって勝てっこねぇよ」
「そうかな」
クレルヴォの呟きに応えながら、瘴血鬼の死骸を黒魔導〈念動〉で一箇所に集めていく。彼が長い時間をかけて集めたのであろう配下たちは、もうこの場にほぼ残っていない。
黒魔導〈雷火〉。
死んだ鬼の瘴血は、よく燃える。
「……ははは……でもよぉ……」
「ん?」
「くくくくくくくくく」
クレルヴォは笑いながら駆けてくる。
突き出された拳。
ラークは軽々と避け、右脚で彼の腹を蹴る。
地面を転がるクレルヴォは、咳き込みながらも笑い続けている。ラークは警戒しつつ、死骸を淡々と火の中に放り込む。
「結局よぉ、お嬢様たちが闇巫女になりゃあ、お前がどんなに強くたって俺の勝ちなんだぜ。なぁ。分かるか?」
「あぁ、そうだな」
傷だらけで果敢に向かってくる。
迎え撃つラークは、掴みかかってくる腕を取り、投げる。宙に浮いたクレルヴォへ雷火を放つ。
「今さら言うまでもないだろう。僕は今できることをやるだけだ。クレルヴォ、君を……殺す」
地面を覆う瘴血が、激しく燃え盛る。
あたり一面の火が、二人の顔を照らした。
無傷のラークに対し、クレルヴォは満身創痍だ。
だが、捕縛しておくことはできない。先日のように霧と化して逃げられてしまうだろう。対処としては、彼の魔導核を潰すしか……つまり、この場で殺すしかない。
「ラーク。お前がこの戦闘に勝っても。どんだけ配下を減らしても。俺を殺せたとしてもよぉ。最終的に目的を果たすのは」
彼がニヤリと口角を上げた、その刹那。
「あっ」
ラークの声がクレルヴォの言葉を遮る。
都市城壁の中、精霊樹の上。
そこでは、黒い霧が空に溶けていた。闇を生むというより、闇を追い出して消し去っているようにしか見えない。
ラークは確信する。
「……やったか。エルナ」
クレルヴォもまた領都の空を見て、静止する。
後ろ姿から、その表情は伺えない。
ただ、長い時間をかけたのだろう彼の企みは、すべてが無駄に終わったのだ。その純粋な事実だけが、ただ重く静かに、彼の両肩にのしかかっているようだった。
──長い、長い沈黙。
クレルヴォは、ラークに背を向けたまま、なんだか気の抜けた様子で口を開いた。
「俺は、やっぱりダメだなぁ……何をやっても、中途半端で、よぉ」
彼は身体ごと振り返る。
ラークは隙なく身構える。
「まぁ、見てくれよ。〈召喚〉」
マナと瘴気の入り混じった風が渦巻く。
クレルヴォの前に現れたのは、体長1メートルほどの黒い鳥の姿。これが彼のトーテムなのだろう。
「カラス?」
「あぁ、ハシヴトガラスって種類らしい。名前はシュナーブと名付けた。まぁ、会話が成り立ったことはないがなぁ」
そのカラスは、狂ったようにちょこちょこと歩き回りながら、ときおり奇声を上げる。とても、クロバと同じ理性を持ったトーテムとは思えない。
「お前のゴキヴリほどじゃねぇが、俺のカラスもなかなか嫌われものでな。親父の伝手で、マナ制御の先生を見つけてよ。必死に練習したっけ」
『アガガガガガ……』
「だが、時が経つにつれ、マナ制御だけじゃ心波を抑えられなくなってきちまった。覚醒が近づいてたのかもな。それで、青魔導の練習を始めてなぁ……お前の噂を聞いたのも、その頃よ」
クレルヴォは俯いていた顔を上げる。
歳に似合わない少年のような表情で笑った。
「周囲に嫌われちまう、このクソトーテムの力をよ。努力して魔導を極めて、ねじ伏せて、強く生きる。俺のほうが年上なのにな、お前の生き様に憧れちまったんだ」
「そんな……」
「一度、どうしてもお前を見たくてよぉ。軍学校の公開演習を見に行ったこともあったんだぜ。あの時の嫌悪の心波はシビれたぜ。俺はお前を嫌いながら、憧れて、嫉妬して、それで……」
いつの演習を見ていたのだろうか。
ラークとしては、軍の関係者や帝都の人みんなに嫌悪されるという、地味に嫌な定期イベントだったことは覚えているのだが。
「いろいろあってさ。もう死んでもいいかなって諦めてよ。で、瘴気に飲まれて、瘴血鬼になるって瞬間に」
クレルヴォはトーテムの召喚を解除する。
狂った鳥が姿を消すと、彼は自嘲するように空を見上げた。
「トーテムがな……シュナーブが、俺を守るみたいに、瘴気を持っていっちまった。俺の代わりに、あいつが狂ったんだ。その後で操霊術にも覚醒したが、もう会話は成り立たなかった」
「それは……」
「俺はあいつが嫌いだったのにな。魔導でねじ伏せてやるって、そればっかり……思ってたのに、よ」
肩を揺らし、乾いた笑いを漏らす。
目の端を軽く拭う。
この隙に彼を殺せばいい。
理性ではそう思うものの、ラークはなぜか身体を動かせないでいた。今はまだ彼の独白を聞くべきだと、心が告げる。トーテム特性で嫌われてきた彼の言葉は、ラークにとっても決して他人事ではない。
「魔導も格闘も操霊術も中途半端。全部極めたお前とは……どんなに真似したって。似ているようで、実は全く別モノだったんだなぁ。それが、よくわかったよ」
深いため息。
クレルヴォの纏う空気が変わる。
こちらを睨み、拳を握って構える。
「俺の周りは馬鹿ばっかりだ。なにせ、俺が一番の大馬鹿野郎だからよ」
そう言うと、上空から大量の瘴気がクレルヴォに降り注いだ。それらは、東門と西門の方からやってきている。
ラークは思わず一歩下がる。
と、クロバが自ら召喚を解除し、ラークの中へと戻ってくる感覚があった。
「クロバ!」
『ラーク、どうなってんだ。瘴血鬼どもが瘴気に変わった。黒い霧になって飛んでいっちまった』
「いや、僕にも何が何だか」
クレルヴォの体が霧に覆われ、隠れる。
虫の繭のようなそれは、風を集めながらドクンドクンと脈打つように震える。
大きな声が響いた。
「魔導でも操霊でも勝てねぇがなぁぁぁ、俺には瘴気があるんだよぉぉぉ!!」
叫ぶ声に、狂気がにじむ。
「負けた負けたぁ、何もかも俺の完敗よぉぉ!! だからせめて、六色、俺と本気で闘えぇぇ!!!」
闇色の繭が、バチバチと紫電を纏う。
生ぬるい風がラークの頬を撫でた。
「──〈全身霊装〉っ!!!」
集まった瘴気は、渦を巻き圧縮されていく。
そして、一人の男を形作る。
背中には黒い翼。
黒いクチバシ、足には鋭い鉤爪。
全身の黒鉄色の羽毛。
──カラス男。
ハシヴトガラスの化物が、禍々しい瘴気を撒き散らしながら、狂ったように笑い声をあげた。翼を大きく動かし、宙に浮く。
「中央公園だ。あそこがいい。早く来いよ。みんなに見られながら、嫌われながら、闘ろうぜ」
「おい、待っ──」
「今さら出し惜しみなんてするなよなァ」
そう言うと、クレルヴォは上空へ飛びあがり、都市の内部へと入っていった。