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27 双子

 エルナは真っ直ぐ歩いていた。

 あたりには黒い霧が立ち込めていて、ほとんど先が見えない。肌に張り付くような粘ついたその霧は、心の内に重苦しい影を落とす。


「……瘴気、か」


 アルマの居場所は、感覚でわかる。

 自分とよく似た気配──それが双子の妹であると、直感が告げていた。


 この先はエルナでなければ辿り着けないというのも、今ならば理解できる。ただ、ティコ婆さんがいなければ、ここまでたどり着くことなど到底できなかっただろう。


「……結局、瘴気って、何なんだろう」


 辛い記憶を見せつけられる。

 それは分かる。


 ただ、その正体については、実のところ誰にもよくわかっていないのだ。マナと同じように一種のエネルギーではある。でも、生き物を狂わせたり、嫌な記憶を見せたり……そんなことを、果たしてただのエネルギーがするだろうか。


 締め付けるような息苦しさの中、とりとめもなくそんなことを考えていると、前方に人影が現れた。


「……あれは」


 ──幼いエルナだ。


 まだ5歳くらいだろうか。

 ミニエルナはひょこひょこと近づいてくると、そのままエルナの横を歩き始める。


『私。汚くないもん』

「……うん。それは昨日、もうお団子にして、ラークと一緒に食べちゃった」


 エルナは、ただまっすぐ進む。

 ミニエルナは、時おり少し駆け足になりながら、ずっとついてくる。


『青虫に気づかないで囓っちゃった』

「あったね。そんなことも」

『苦かった。私の顔を見て、みんな笑うの』

「ラークもたぶん、あの味は知ってると思う」


 そんなこともあったな。

 今はもう、なんだか遠い過去だ。


 そんなことを考え、小さく微笑む。


『髪の毛、無理やり切られちゃったよ』

「……あれは、辛かった」

『お母さんみたいな長い髪に憧れてたのに』

「服屋のゴルリアさんに相談するといい」


 きっと素敵な髪型にしてくれる。

 それに合わせた服も。


 世の中には素敵な人だって大勢いる。

 そのことを、エルナはもう知っていた。


『恋愛小説なんて嘘ばっかり!』

「うん。現実はもっと凄かったよ」

『みんなアルマが好きで、私を嫌うの』

「ラーク以外は、ね」


 一つひとつの言葉に頷く。

 なんだか少し可笑しな気持ちになる。


 ミニエルナがやっていることは、エルナが昨日やっていたことと何も変わらないのだ。団子を食べながら、グチグチと不満を漏らす。どうしようもない現実にひたすら呪詛を吐く。


 それはきっと、普通のこと。

 エルナの横で、ラークだって同じように不満を垂れ流していた。アルマだって、もしかすると同じなのかもしれない。


『アルマばっかりズルいよぅ』

「うん。ズルい。ずっとそう思ってた」

『みんな私に、アルマの身代わりになって死ねって言うんだよ。酷いよねぇ』

「ほんと、酷い話だよね」


 逃げないことは決めていた。

 けれど、ラークが「逃げよう」と提案してくれたことは、本当に嬉しかった。


 だから、もうそれだけでいい。

 ラークの困ったような表情を思い出し、エルナは小さく肩を揺らす。


『アルマと立場を交換できたらなぁ』

「……確かにそう思ってたよ。昔は」


 幼い頃は、幾度となくそう思った。

 一度くらい、交換してほしい、なんて。


「今はもう、交換しなくていい」

『えー、なんでなんでぇ?』

「ラークと結ばれちゃったから。だから、アルマが望んだって、交換してあげない」

『むぅ……男かぁ……』


 ミニエルナは、口を膨らませてついてくる。

 その様子が、なぜだろう、少し可愛らしくも感じ始めていた。


『なんでドヴネズミなんだろう』

「…………そう?」

『双子なのに。ハムスタアの方が可愛いくて、みんなに愛されるのに。どうして私だけドヴネズミのトーテムなの。そんなの嫌だよぉ』

「そうかなぁ」

『え?』

「私、ドヴネズミもけっこう可愛いと思ってる。みんなに嫌われるのは残念だけど、ドヴネズミ自体は嫌じゃないよ」

『ほんとうに?』

「ほんとうだよ」

『…………えへへ』

「ん?」


 ミニエルナの気配が大きく変わる。

 満面の笑みを浮かべ、ぴょんと飛び跳ねた。


『安心して。エルナのことは私が守るよぅ』


 そう言うと、ミニエルナはすぅっと消える。

 同時に、胸を締め付けるような圧迫感がほんの少し和らいでいた。


「…………ありがとう」


 エルナはそのまままっすぐ歩く。

 アルマの気配が濃い。もうすぐだ。





 とんでもない光景が飛び込んできた。


 確かに、そこにアルマはいた。

 手足を鎖で固定され、ボロ布を被せられ、感情の抜け落ちた顔をしながら宙を見ている。そして、鞭で打たれるたびにくぐもったうめき声を上げる。


 鞭を振り上げるのは、黒い体の鬼だ。


「お前は! 生きていても! 仕方ない!」

「──ぅぐっ」

「どうしようもない! クズだ!」


 ピシャリ。

 アルマの身体に赤い痕が残る。


「早く諦めて! 鬼になっちまえ!」


 鞭が振り上げられる。

 エルナは黒鬼とアルマの間に割り込む。


「……やめて」

「なぜ止める」


 黒鬼は不思議そうに首を傾げる。

 エルナはその目を見て告げる。


「……アルマを助けにきた」

「はぁ? そんな価値もないぞ。こんな奴」

「え?」


 黒鬼は、薄気味悪く肩を揺らしながら、口元をニタァと歪めてエルナを見る。


「見せてやろうか」


 そう言って、何もないところに鞭を振り下ろす。



 幼いエルナとアルマが現れた。

 三歳くらいだろうか。二人はおやつの皿を前に喧嘩をしている。


『エルナ、このクッキー、ちょうだい』

『だめ、アルマ、これはわたしの』

『いいの。わたくし、あいされてるもの』

『やめて。おねがい。わたしの』

『あーむ……んん……』

『あ…………』

『んふふ。わたくし、おこられないもの』

『…………あぁ』


 泣きべそをかいているエルナの前で、アルマは意地の悪い笑みを浮かべる。

 こんなことがあっただろうか、とエルナは訝しく思う。



「……これ、本当の出来事?」

「もちろんだ。このクズの記憶から発掘した、正真正銘の事実よ」

「……ふーん」

「あとは、そうだな。これなんてどうだ」


 黒鬼は鞭を振るう。


 何もない空間に、八歳くらいのアルマと、同じ年頃の男の子が現れる。


『エルナが好きなんですの?』

『う、うん。僕、エルナに対して、みんなが言うような薄汚い感じとか、別に感じたことないし』

『うーん……ねぇ。もしわたくしが、あなたを好きだって言ったら……どうなさる? 嫌われ者のあの子と、わたくし。どちらを選びますの?』

『え、あ、あの……』

『ねぇ……』


 男の子の胸のあたりをキュッと掴む。

 愛らしい表情で迫る。


 エルナも彼には見覚えがあった。

 基礎学校に一緒に通っていた銅級貴族の男の子で、珍しくエルナを嫌悪せずに話しかけて来てくれたのだ。気がつけば疎遠になっていたが。


「……へぇ」

「な。知らなかったろ。お前が孤立する一因を作ってやがったんだ。こんなクズ、助ける価値もねぇだろうがよ。だから──」

「……まだ判断がつかない。もっと教えて」

「はぁ? 仕方ねぇなぁ」


 黒鬼が鞭を振るう。


 二人が十歳の時だ。

 忘れもしない、母親との別れの時間。


『エルナ。アルマ』

『お母さんっ!』

『……お母さん』


 ベッドに横たわる母に、二人は並んで寄り添う。


『お母さんはね……ずっと見てきたから、よくわかるわ。あなた達、いろんな事が全然真逆なのに……本当に、よく似ているわ』

『(そんなわけありませんわ。エルナみたいな嫌われ者なんかと、わたくしは全然似ていません!)』

『エルナ、アルマ。お互いのことをちゃんと助け合いながら……仲良くやるのよ』

『(絶対嫌。お母さんの言うことでも、こればかりは聞いてなんかやりませんわ)』

『ふふ。まったくもう』


 アルマの心の声。

 初めて耳にするそれは、エルナのことを見下し、蔑み、拒絶していた。


 それを聞いたエルナは──ただ、小さく笑う。


「……ふふ。ふふふ」

「どうした。何が可笑しい」

「ううん……本当に。お母さんはよく見てたんだなぁって、思って。くくく……」

「──はぁ?」

「……この時ね。私も、ほとんど同じこと、考えてたの。馬鹿で意地悪なアルマとなんて全然似てない。仲良くなんて絶対しないって……ふふ」


 笑うエルナに、黒鬼は顔を歪める。

 想像していた反応と違ったのだろう。


「教えて。他にアルマは何を考えてたの?」

「……ふん。いいだろう」


 黒鬼は、エルナに求められるがまま、鞭を振るい続ける。そのうち、アルマの様々な感情が、止めどなく流れ出てきた。


『エルナってば、ほんと可哀想ですわ。あんなにみんなに嫌われるなんて絶対御免だわ。わたくしがわたくしで本当に良かった』

『生意気。ちょっと頭がいいからって何よ。所詮はコミュニケーションもろくに取れないひとりぼっちじゃないですの』

『少し優しくしたら、涙目になっちゃって。なにあれ。まぁ、お母さんの遺言もありますし、少しくらいは仲良くしてあげてもいいですけれど』


 その都度、辛辣な本音が飛び出す。

 それでも、エルナは笑みを崩すことなく黒鬼に迫り続ける。もっと、もっと、と。


「おいおい、もういいんじゃねぇか。そろそろ分かったろ。このお嬢様のクズっぷり」

「……アルマは、弱音も吐くの?」

「はぁ?」

「……教えて。全部」


 仕方なく、黒鬼は鞭を振るう。

 すると、先ほどとはまた違った本音が飛び出してくる。


『はぁ。誰からも好かれるのって嫌ですわ。なんだか、誰からも好かれないのと変わらない気がします』

『みんな顔がのっぺらぼうみたいですわ。わたくしのことを本当に思ってくれる人ってこの世に存在するのかしら』

『何をしても叱られない。変な格好をしても、可愛いって。おかしな言動をしても、和むって。それだけ!? 何ですの、これ……』

『いつもエルナばっかり可哀想って。わたくしはいつも、恵まれてるってばかり。わたくしだって』

『ズルいですわ。なんですのあの家庭教師。なんでわたくしには、ああいう先生を用意してくれませんの。またエルナばっかり可哀想って。エルナばっかり……』


 気がつけば、黒鬼は泣いていた。

 泣きながら鞭を振るい続けている。


『エルナ。わたくしのこと、残念な子、ですって。ふふふ。エルナだけは、わたくしのこと、ちゃんと見てくれてますのね……エルナだけは……』


 エルナは、黒鬼を抱きしめた。

 鞭が床に落ちる。


 黒鬼は涙をポロポロとこぼしながら、エルナにすがりつく。


「エルナぁ……ごめんねぇ……ごめんねぇ……」

「……アルマのばか。もう、帰るよ」

「うん……」


 黒鬼の姿をしているのは、アルマだ。

 瘴気に冒されてからずっと、自分に鞭を打って、こんなクズは死んだほうがいいと、自分自身を否定し続けていたのだろう。


 エルナはほとんど最初から、直感的にそれを理解していた。



 黒鬼のアルマに背を向ける。

 視線の先にいるのは、アルマの格好をした何か。


「……あなたが、瘴気、だよね」

「ぜぃ、ぜぃ……ワレは……」

「別に答えなくていい。ただ、私はひと言、あなたに言いたいだけ」


 そう言うと、エルナは手を伸ばす。

 頭に触れると、ソレは身をよじり、手足の鎖がジャラリと鳴る。


 大きく息を吸う。


「私の可愛いアルマに、何してくれてるの。アルマを虐めるお馬鹿さんは、私が成敗してくれるわ」

「──っ」

「アルマの体。返してね」


 手のひらに意識を集中させる。


 マナ循環。

 体内にあるだけのマナを循環させ、それの頭に注ぎ込む。


 アルマの形が歪みはじめた。

 苦悶の表情。狂ったように口を開き、激しい金切り声をあげる。ジタバタと手足を動かし、鎖をジャラジャラ鳴らして苦しむ。


「出ていけ」


 目の前の空間が、だんだん白く変色していく。


「……出ていけ」


 エルナの体が。

 黒鬼の体が。

 アルマの体が。


 激しい光を放つ。


「出ていけっ!!!」


 空間が、白く染め上げられる。

 それと同時に、エルナの意識はすぅっと遠ざかり、抗いようもなく沈んでいった。


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