25 六色の大掃除
領都の北側は険しい岩山に接しており、領都外壁の出入り口は東門、西門、南門の三つが存在している。
その中でも最も大きな南門。
普段は旅人を広く受け入れているその門も、非常時である現在は固く閉ざされ、見張りの兵が緊張した面持ちで警備にあたっていた。
ラークは散歩でもするように門に近づく。
すると、兵の一人がラークのそばにやってきて、持っている槍を突きつける。
「と、止まれ。今外には出られない」
「ん? 連絡来てないの?」
「何を言っている。大人しく──」
兵士の前にさっと手をかざす。
目の奥を覗き込み、ささやきかける。
「責任は上司が取る。通してくれ」
「責任は上司が取る。通します」
下がっていく兵に手を振る。
こうなってくると、次期当主はいよいよ頼りにならないかもしれない。ローデント家の未来を勝手に悲観しながら、ラークは門の前へと進んでいく。
堅牢な門扉の開閉は、通常数人がかりで行う。
兵たちに依頼してもよいのだが、少々面倒だ。
「……跳ぶか」
集まってくる兵たちを尻目に、黄魔導で空間を固め足場を作る。赤魔導で脚力を軽く強化し、地面を蹴った。
トントントン、と宙を跳ねる。
数秒もかからず、外壁の上部へ着く。
一瞬、言葉を失う。
ラークの眼前に広がる景色は、それほど圧倒的なものだった。これまで全く見たことのない、想像したこともない光景である。
「壮観だなぁ」
『よくもまぁ、こんなに集めたな』
門から数十メートルほど離れた距離に、魔物の群れがずらりと整列している。統率の取れた軍隊でも、これほど上官の望み通りには動かないだろう。
筋骨隆々で棍棒を振り回す、頭に角を生やした赤角蛙。額に目があり、心話で連携を取りながら群れで狩りをする三目狼。体色を周囲に合わせて変化させ、樹上から旅人を襲う擬態大蛇。風を纏って高速で空を飛び、大熊すら切り裂いて餌にする風切り雀。
多種多様な魔物や動物。
普段なら自由気ままに人間を襲うだけのそれらの生き物は、思い思いに唸り声をあげながら、体から黒い霧をにじませて一緒に並んでいる。
『初めて見るのもいるぜ』
「魔物図鑑でも作れそうだな。瘴血鬼化してなければ、一種類一体ずつ剥製にでもして学校に売りつけられそうなのに」
『そりゃいい値がつくだろうな』
一般人にとっては一体だけだって危険な魔物を、これだけの数集めるのは苦労したことだろう。その過程を思うと、ある種の感動すら覚える。
瘴血鬼の集団から飛び出た先頭に、見覚えのある一人の男がいた。彼はこちらに向かって片手を軽く振りながら、なんだか気安い様子で歩いてくる。
ラークは壁の外へ飛び降りた。
危なげなく着地する。
「よう。待ってたぜ六色」
瘴血鬼のクレルヴォ。
黒い翼を生やし、愉快そうな笑みを浮かべている。
「これはまた、すごい集めたな」
「ははは、狩人の目を盗んで、大森林で行動するのは苦労したんだぜ。なかなかすげぇだろ」
「しかもこんな数、よく制御してるよ」
「いや、俺が制御してるのは群れのトップだけさ。瘴血を流し込んで瘴血鬼化すると、使役の親子関係が生まれるからな」
「いいのか? そんなベラベラと」
「あぁ、大した情報じゃねぇ。冒険者ギルドなんかは、たぶんもう知ってるんじゃねぇかな」
「へぇ」
友人とでも話すような、気楽な雰囲気。
一方、瘴血鬼たちの放つ殺気はその圧力を徐々に増してゆく。普通の者であれば、生命の危機を感じて逃げ出しているところだろう。
「そういや、エルナ嬢はどうしてる?」
「あぁ。お前の企み通り、アルマを救うために命をかけてるよ。よかったな」
「そうかい。まぁ最悪、アルマ嬢だけでも闇巫女になりゃ、納得のいく結果だったんだけどなぁ」
そう言ってクスクスと笑う。
こちらを小バカにするような目線だ。
ラークはゆっくり体を伸ばし、関節の可動域を広げる。これから激しく運動するための準備だ。いつもと同じように、深く呼吸をしながら体と心を解きほぐす。
「知ってるか。あの大人気のアルマ嬢も、心の内を覗いて見るとよぉ、意外と闇が深いんだぜ。あれならいい瘴気を生みそうだ」
「知らないよ、そんなの……」
答えながら、心波制御をやめる。
ラークの体からはゴキヴリ由来の嫌悪の心波が放たれ、呼応するように魔物の群れがざわつく。ただ、今はクレルヴォが群れを制御しているのだろう。襲いかかってくる様子はない。
「ま、心の闇で言えばエルナ嬢の方が期待できるだろうな。あれが闇巫女になってくれりゃ期待通り。しかも、もしこれで二人とも闇落ちしたら、双子の闇巫女が誕生するなぁ」
「そうだろうね」
ラークは右手を前に出し、構える。
クレルヴォも同様の構えをとる。
「そんなに心配するなって。瘴血鬼になったら、お前の女はちゃんと俺がもらってやるぜ。顔も体もなかなか悪くねぇしな」
「…………はぁ」
ラークは気の抜けたため息をつく。
クレルヴォの目を覗き込む。
「あのさぁ、クレルヴォ」
「……なんだよ」
「青魔導師相手に、挑発が雑」
「ちぇっ、盛り上がんねぇな」
クレルヴォは瘴気を纏う。
ラークはマナを集める。
一触即発の空気の中、クレルヴォは口角をニイッと上げて笑う。
「俺がこの前のような──」
ラークはその言葉を無視する。
地面に手をつくと、大量のマナを込める。
「行け、クロバ。〈大型召喚〉」
「あっ……てめぇ!!」
瞬間。
地面が割れる。
這い出てきたのは、体長30メートルはあろうかという巨大ゴキヴリだった。黒い身体に長い触覚、極太の手足と大きな顎が凶悪に周囲を威圧する。
キシィィィ、という異音。口元をにちゃにちゃと動かして魔物の群れを見る。巨大な翅を伸ばしたり畳んだりしながら、ズシンズシンと足踏みをした。
客観的には、完全に悪役側だ。
『久々だなぁ、ラーク』
「だな。じゃ、掃除の手伝いをよろしく」
『おうよ』
クロバは魔物の群れに突っ込んでいく。
その濃密な嫌悪の心波に、魔物たちは我を忘れたようにクロバに殺到し、次々と捕食されていく。
クレルヴォは盛大に顔をしかめた。
「あぁ、くそっ。マジかよ」
「言ったろ、挑発が雑。僕を怒らせて一対一に持ち込みたかったんだろうけど、僕の目的は瘴血鬼の数を減らすことだからさ」
そう言いながら、ラークは再度マナを集める。風が渦を巻き、大地が震える。
「けっ。余裕な顔しやがってよぉ。だが、これがこっちの全てだとは思わねぇことだ」
「そう。出し惜しみは悪手だと思うけど……。さて、クロバに任せきりも申し訳ないし、僕も参戦するよ。止めてみな」
ラークは地面を殴りつける。
めくれ上がった土塊が軌道を変え、魔物に向かって飛ぶ。
「──六色のラーク。参る」
蹴った大地が破裂する。
ラークの姿は、あっという間に魔物の群れの中へと消えた。