24 決戦の朝
ラークには珍しく、朝食はパンと野菜スープだけの簡単なものだった。
いつもであれば、早朝訓練で腹をすかせた後のため、朝食は多めにとっている。だが、今日は単純に、準備の時間がなかったのだ。
二人で食卓に座る。
無言でパンをかじる。
『昨夜はお楽しみだったな』
「……違う、クロバ。夜が明けても楽しんでた」
「あぁ。ちょっと楽しみすぎたな」
二人の睡眠は1時間程度。
魔導師が白魔導・青魔導を多少強引に駆使すれば、そんな短時間でも問題なく体力・精神は回復する。
そんな朝まで何をしていたのか、などという無粋なことは言いっこなしだろう。
これまで我慢してきた反動もあり、ラークが魔導をフル活用したこともあって、二人はただひたすら思うがままに互いを求め合い続けていたのだ。
エルナはスープを飲む干し、ボヤく。
「……初めて……だったのに」
「えっと、何かダメだったかな」
「……本に書いてあった情報と全然違う。なにあれ。楽しすぎて変になった」
『それは、良かったんじゃねーか』
クロバの発言に、エルナは首を横に振る。
「……緊張したのに。決戦前夜の悲壮な雰囲気も、怖いのも、覚悟したのも、全部飛んだ」
「なんかごめんな」
緩い空気が流れる。
この事態の主な原因である最強の魔導師は、よく分からないまま、とりあえず雰囲気で謝罪していた。
おそらく最も可哀想なのは、屋敷の外で漏れ聞こえる音を聞きながら夜通し警備をしていた騎士たちだと思われる。
見るからに睡眠不足な騎士を伴い、二人は朝の街を歩いていく。
エルナは簡単にまとめたポニーテールとワンピース姿。ラークは戦闘用の手甲・ブーツ・胸当てを身につけている。
向かうは精霊樹の根元。
マナの濃いその場所で、ティコ婆さんは昨夜からアルマを救うための準備をしているのだ。エルナが到着すれば、早々に儀式が開始される予定である。
いつもなら屋台が立ち並ぶ中央公園。
現在は人もほとんどおらず、店などひとつも出ていない。皆、それどころではないのだろう。
「……誰もいない、ね」
「家に閉じこもってるんだろうな」
巫女による闇生み。
つまり、エルナが瘴血鬼化してしまうと、大量の瘴気が都市を覆い尽くすことは、既に街の人々の間にも広まっていた。
当然、みんな逃げようとはしたのだ。
昨日の夕刻、大勢の住民が領都を離れようと荷物をまとめて一角獣車で街を発ったのだが。都市外壁の外に出た者は、例外なく、瘴血鬼に喰われてしまった。
「逃げようとした人々は一角獣も含め全滅だ」
「……ひとりも、逃さないつもり?」
「あぁ。奴はこの領都を、住民も含めて完全に手中に収めるつもりだな」
公園にボールがひとつ転がっている。
どこかの子供が忘れていったのだろう。
その子は今、どうしているだろう。
家で震えているのか、それとも。
「……なんか、寂しい」
エルナがポツリと呟く。
「……ラークと歩いた街が、こうなるのは」
「あぁ、そうだな」
二人は手をしっかりと握り、言葉少なに目的地へと進んでいく。その後ろを、基本的に女っ気のない生活をしている独身の寝不足騎士たちは、なんとも言えない顔で追いかけていった。
世界樹の根元へたどり着くと、そこには見慣れない光景が広がっていた。
特殊な白い塗料で地面の上に描かれた、大きな魔術陣。その所々に置いてあるのは、青牙猿の頭蓋骨、乾燥させた翡翠色の目玉、禍々しい気配を放つ真四角の木箱など、独特の呪術道具の数々だ。
魔術陣の中心に、アルマが横たわっていた。
その顔は、ただ静かに眠っているだけに見える。
服の類は一切身につけていない。代わりに、白い紙紐が蛇のように体中に巻き付き、その上からおびただしい量の呪符が貼り付けてあった。
東方の着物に身を包んだ小さな人影──小人のティコ婆さんが、杖を突きながらのんびりと近づいてくる。
「ちゃんと来たね、エルナ」
「うん……ティコ婆」
「ラークのボンクラには、女にしてもらえたかい」
「……………………ふふ」
「よし。もう後悔はないかい」
「……ある。いっぱい」
「あはは、だろうねぇ。それでいい」
そう言うと、畳まれた白い布を差し出してくる。
エルナは首を傾げながらそれを受け取る。
「白装束さ。これに着替えな」
「……この場で?」
「──おい、バカ騎士ども。ボヤボヤして気が利かないねぇ。乙女の着替えほど神聖なモンはこの世にないんだよ。さっさと立ち去りな」
騎士たちは慌てて身支度をする。
昨晩は屋敷の外で悶々として警備をし、一睡もできないまま朝を迎え、重い鎧を来て精霊樹の丘に登るという過酷な運動をした直後の彼らは、ヘトヘトに疲れ果てていた。
もしかすると、早く帰って体を休めるように、というティコ婆さんの優しさなのかもしれない。
「遅い遅い。なにバテてんのさ、近頃の騎士は軟弱だねぇ。なんでもいいから早く出ていきなよ」
そう言って杖を振り上げる。
もしかすると、優しさではないかもしれない。
騎士たちが丘を立ち去っていく傍ら、二人は手を繋いで街を見下ろしていた。
「……いよいよ、だね」
「あぁ。エルナ、生き残れよ」
「ラークは……どうするの?」
「うん。アレを減らしてくる」
ラークの指差す方向には、黒い影の塊。
瘴血鬼化した魔物の群れだ。丘の上からでも見えるほどおびただしい数の瘴血鬼が、領都外壁の周辺を取り囲んでいる。
「エルナが救出に成功してもさ。あの様子じゃ、大人しく帰ってなんてくれないだろ」
「……あんな量、相手にできるの?」
「あぁ。敵の量は問題じゃないよ。魔導師は、マナの回復量と使用量が釣り合っていれば、どれだけでも闘っていられるから」
以前マナ欠乏を起こしたのも、エルナに向けて青魔導を常時使用する、という高負荷状態を丸一日続けていたからだ。
最低限のマナ消費で、それ以上の回復量を保ちながらであれば、理論上は永遠に闘っていることが可能である。
「ただエルナには、僕を見ないでほしい」
「……?」
「たぶん、本気を出すことになるから。心波を抑えている余裕は、なくなると思う。さすがに、昨日の今日で嫌われても平気でいられるほど、僕の神経は図太くないよ」
ラークは穏やかに笑い、頬をかく。
エルナはラークの手をぎゅっと握る。
後ろから、しわがれた声が二人を呼ぶ。
「──さて。お前たちも準備しな」
「……わかった。ティコ婆」
「僕も行ってくる。エルナ、必ず戻ってこいよ。よろしく頼む、ティコ婆さん」
「あんたに言われるまでもないさ」
握っていた手は、あっけなく離れる。
互いの目を見つめあい、頷く。
ラークはひとつ息を吐くと、後ろを向き、精霊樹の丘をゆっくりと降りていく。
振り返ることはできなかった。
逃げることを説得できなかった不甲斐なさ。今生の別れかもしれないと思う恐怖。そんな思いに囚われ、今にも泣きだしそうな情けない面など、エルナに見せたくはなかったのだ。





